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価値(善)と価値の毀損(悪)、価値観の体系的理解


前書き

人類の文明が誕生して以来、人間の遺伝子は生物学的にはあまり進化していない。

また、個人の経験記憶はその死とともに失われ、後の世代には直接は引き継がれない。

その代わり、人類は社会的に知識を蓄積することで、進歩を重ねてきた。

その知識の継承こそが、現代における人間の進化の本質であると言えるだろう。

知性、善悪、価値観の本質

継承された知識の利用において、人間の知性とは、価値を追求する技能と表現できる。

それは、知識と経験をベースとした人間の価値判断に関する思考の効率性と言える。

その価値の認識が全うされた状態は一般に幸福と呼ばれ、個人と、そして人類全体にとって目的となり得る。

ここでいう価値とは一般における善であり、その価値の毀損は悪の概念と一致する。

人は価値と価値の毀損を経験することにより、その判断の精度を向上させる。

それは人生経験を通じて、当人の価値の判断体系として構造化される。

人は、その価値の判断体系を洗練させることにより、本人と所属する社会を成熟させる生き物ということである。

その価値の判断体系を一般に価値観と呼ぶ。

価値観の体系的理解

現代社会において人々の価値観はそれぞれに異なるとされているが、それはある種、錯覚である。

人々の価値観には共通の体系的構造が存在する。

人間の価値観の根底には生命の価値が存在する。

それは、個人においては自分自身の価値であり、他人においてはその心理距離に応じて体系化される。

傾向としては、心理距離が近いほど価値に重きが置かれ、遠いほど価値の認識は希薄になる。

そして、最も重いのは自分自身の生命の価値である。

次いで、家族、友人と、認識されていく。

物的な価値は、その生命の価値との関係性において重み付けがされる。

そして、全体において、何らかの形で価値の毀損が生じると、その価値の認識に歪みが生じる。

人は、その価値の毀損を克服することで、成熟する。

社会的概念の価値

社会的概念とされるものについては、本来、人間にとって価値とはならない。

それが価値とされるのは、生命の価値への欲求が満たされない場合に限られる。

それは、一種の代償行為であり、具体的には、承認欲求などの変形である。

人は、社会的通念や、社会的成功、社会的ステータスなどの、それ自体について価値を感じているわけではない、ということである。

これらは、本人において自己受容が完成されていれば、価値として必要とされることはない。

そして、人々の価値観の体系的な構造は共通しており、遺伝子による選好と経験による情報の偏り、欲求の状態により、その価値観の認識のされ方が異なるのである。

結果、見た目上、人々の価値観はそれぞれに異なって見える。

価値の認識の個人差

自身の価値観の認識において、人々によって個人差が確認される。

それは、自身の価値観の自覚が強い人間と、自覚の薄い人間が存在するということである。

また、人の思考の特性により、価値が拡散的に認識される場合と、収束的に認識される場合がある。

拡散的な場合は、全体としての価値が強調され、収束的な場合は、個に焦点が当てられる。

そして、価値を概念的に体系化する人と、経験的に体系化する人とに場合分けされる。

また、感情情報の観測に優れる人は感情の側面から価値を認識し、論理情報の観測に優れる人は情報の整合性の側面から価値を認識する傾向がある。

社会的善悪の使用

ここまで述べた個人的な価値観に対して、道徳や倫理など、文脈において社会的な善悪が用いられることがある。

この社会的善悪に代表される社会的概念は基本的に人々の幻想でありファンタジーと言える。

社会とは個人の集合である。

そこにおける社会的概念とは、社会運営の都合上、あくまで便宜上用いられているだけで、一つの確定した概念として存在しているわけではない。

そして、人々はその幻想に、個人の認識や認知を投影して、社会というものを考えるのである。

結果、人それぞれに社会的善悪に対して見ているものは異なる。

特定の文脈において、社会的善悪を固定して使用する場合は、それはその個人の価値観を語っているのとほとんど同義であることに留意が必要ということである。

しかし、それが、たとえ幻想であったとしても、社会的善悪を社会全体で練り上げて行ければ、その幻想は事実に限りなく近づけることはできるかもしれない。

その幻想と事実の一致は、確かに人類の社会的な進歩と呼べるだろう。

知性を磨く

人間社会の進歩、人の知性、価値判断の効率性の向上には、その価値観の自覚が第一とされる。

自身の価値の方向性が定まらないことには、知性の向上はままならない。

まずは自らの価値観をハッキリと自覚することである。

その上で、あるいはそれと並行して、価値を実現するための効率性の追求を模索するのである。

この記事は、人間の進歩に資するため、この知性の本質的理解とその共有を目的として記すものである。


追記:

価値判断、善悪の判断の成熟した社会において見られるのは、人々の互いの価値の尊重である。

これは、自分と相手、他人の価値が明確であれば、それぞれにおいて合理的な判断が可能となるということである。

そして、それにより相互に相手の価値に対する配慮が可能となるのである。

このように進歩を遂げた先に、人類社会は価値の平衡状態に陥る可能性がある。

それは、高度に複雑化した価値の体系化された世界で、しかし、一方で進化の行き止まりに到達する可能性がある。

その進化の行き止まりで必要になるのは、生命の価値の再定義であるだろう。

それは、一個人の生命の範疇に囚われない、宇宙と生命の関係性についての言及である。

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