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FFXIV Original Novel: Paint It, Black #12


前:

まとめ読み:



24.


 二匹の獣が互いの牙をぶつけ合う。
 何度も、何度も、何度も。
 スリィの刃が右から迫る。ナインの槍が振るわれ、ガンブレードが大きく弾かれる。
 槍の勢いを利用して石突がスリィへと迫る。防御は不能と判断して彼女は身をかがめた。柄による攻撃は回避できたが、ナインは軌道を急速に修正。屈んだスリィの頭めがけて石突を振り下ろした。
 スリィのガンブレードが戻り、柄を受け止める。かと思いきや、彼女は衝突のタイミングで力を抜き、槍を受け流す。そのまますぐに刃を水平の形に戻し、槍とナインの間にガンブレードを差し込んだ。
 ガンブレードの刃がナインの首を狙う。彼女は背中を反らし、剣の一撃を回避する。灰色の前髪が巻き込まれてわずかに散る。
 ナインはそのまま宙返りを実行する。鉄の仕込まれた爪先がスリィの顎を狙う。ガレアンの女は体を捻りすんでのところで蹴りを回避。ガンブレードの構えを戻して横薙ぎの一閃を放った。対するヴィエラの女も宙を舞いながらも槍を振るう。回転を加えた一撃は互いに刃を切り結び、互いの刃を弾いた。
 ナインとスリィ――二人は幾度となく刃をぶつけ合った。その度に散る火花は激しさを増していく。
「ナインッ!」
「スリィッ!」

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 二対の獣は互いの名を呼んだ。何度も、何度も、何度も。
 そうして殺意を交わし合う度に刃がぶつかり、火花が散る。
 互いの瞳に火花が映る。
 機械化されたはずのスリィの目には炎が灯りつつあった。
 剣と槍がまた交差する。その瞬間のことだった。
「戻りたまえ、超人兵士零号」
 頭上から命令が降ってきた。
 声に反応し、スリィの目から光が消えていく。彼女はすぐさま命令に応え、ナインから距離を取った。そして立体通路のパイプを蹴り、上へ登っていく。
「てめえ邪魔すんじゃねえ!」
 ナインも同様にそれを追おうとした。
 しかし。
 彼女のそばを銃弾が掠める。幾重もの足場に囲まれた中央の機体から放たれたものだ、と気づいた瞬間にもう一射。ナインは舌打ちしながら回避に徹した。小口径の機銃が据え付けられており、そこから撃たれている。
 彼女は柱の陰に隠れた。コルウスは手をあげた。
「零号はきみと一緒にいると悪い子になってしまうようだ。子の交友関係にはあまり口を出したくなかったのだがね、こうなってしまうのなら仕方ない。親の気持ちを理解してほしい」
「ふざけたこと言ってんじゃねえぞ根暗野郎。スリィをこっちによこせ。もう一回やらせろ!」
「さて、話は変わるがきみはどのようにして霊災を起こすのか、それがわからないと言っていたね」
 無視されている。
 しかし機銃は相変わらずこちらを見ている。あれを掻い潜って接近しない限り、スリィとやり合うことはできないだろう。彼女は柱の陰で機会を窺った。
「アッキピオの実験棟を通ったのなら、私たちの研究室を目にしたはずだ。それともそういうものには興味が湧かなかったかな? まあどちらでもいいか。ところで、この世で最もエーテル保有量が高い動物は何だと思う?」
 コルウスは楽しそうに話しかけている。彼の質問の答えがわからなかったが、別にナインに答えてほしいわけではないらしい。静かにしていると自ら口を開いた。
「そう、答えは人間だね。では地上で最も数の多い動物は? 微細な生物から小動物を除けば、このサイズで最も数が多いのも、そう、人間だね。だとすればだ」
 コルウスが手を動かす。立体通路上には制御パネルが設置されていた。彼の操作によって中央の立体通路が移動し、中央の機体が露わになっていく。
「人間をたくさん死なせれば、エーテルのバランスが崩れて霊災が起きるとは思わないかい? いや、いや、いや。いやいやいや! もっとだ! 人間だけではない、エーテルを扱える生物全てに死を与え、エーテル界へと返す。必ずや霊災を起こす引き金となるはずだ」
「そんなことできるわきゃねえ」
「可能だとも。そのために十数年も研究を続けたのだから」
「そのために俺たちを殺したってのかァ!?」
「その通りだとも!」
 中央の魔導兵器は魔導アーマーを元にしているように見えた。しかし見たことのない形をしている。
 その背中には何か大仰な装置を背負わされており、中央に巨大な円筒形の物体がくっついているのがわかった。
 ナインは直感でそれが何か『良くないもの』であることを察した。
「何だ、それは」
「ああ、ウイルスだよ」
 コルウスはこともなげに言った。
「ウイルスだぁ?」
「きみが見ているのはウイルス、を詰めたポッドだ。元はサベネア島固有の感染症を引き起こす、なんてことのないものだけれど、私が手間暇と愛情をかけて凶悪かつ貪欲、そして低燃費に調整を加えてあるよ。長く生きるように調整してあるから、元になったウイルスと違って死体からでも感染する。それこそ罹患者が落としたかさぶたからでも、どんな生物にも感染する。こいつを打ち上げるのが私の夢だった」
 彼は「がんばったんだよ」と自らの努力を誇示していた。
「埋葬でも火葬でも死体に近づいた瞬間感染し、肺を蝕む。いやあ肺に影響を与えるのは原型になったウイルスも持っていた性質だったけれど、呼吸器や消化器系にまで影響を及ぼすように改良するのが本当に大変で……結局アウレリアくんにがんばって参考になりそうな菌やウイルスを調達してもらったんだっけ。こうやって語ると簡単そうに聞こえるかもしれないけどね、本当に大変だったんだよ。なにせ改良を加えても培養しなきゃならない。みんなが思うほど短い期間じゃないんだ、これが。思うような効果がなければやり直しだしねぇ」
「だから?」
 コルウスは多弁だ。懲罰部隊時代に会った時は一言も発さず、寡黙な人物という印象だったが、今はべらべらと喋り続けている。自分の興味のある分野のことならこうなるのか、あるいは自分の夢とやらが成就寸前だから多弁になっているのか。
 ナインはどちらが正解かなど興味はなかった。
 だがこうして喋らせておけば時間が稼げる。彼女は柱に手と足を掛けられそうな部分があるのを見つけた。隙を見つければ上に登ることもできるだろう。
 彼に話を続けさせなければ。
「ウイルスの詰まったポッド一個で何ができるっつーんだよ」
「一個で十分なんだよ。その『発射装置』を使って、どこかの都市にでも撃ち込むことができればそれでいいんだ。疫病はね、広がるんだ。人から人へ、死体から動物へ。動物からまた人間へ。だってそういう風に作ったんだからさ」
 発射装置というのはおそらく魔導兵器のことだろう。その背中の装置が発射台というわけだ。しかし背中の部品は一個の完成した装置というよりも、まだ未完成のバラバラの部品に見えた。
 ナインは出っ張りに手をかけた。自分の体重を支えることができそうなくらいしっかりとしていることを確かめた。
「陛下にはガレアン以外を殺害する兵器としか説明してないけどね。いい感じの話をしておかないと予算が降りないんだよ。きみはわかってくれないと思うけど、研究者は本当はプレゼンなんかしたくないんだ。全くやんなるね」
「どうしてその話を俺にする?」
「余興だよ。特に意味なんかない」
 けらけらと彼は笑う。
「で、発射装置とやらは未完成のようだが」
「おお、そうだね――それじゃあ完成させるとするか」
 確かにその通りだ、とコルウスは自分の手を叩いた。本当に今気づいたかのようにだ。
 その様子にナインは空恐ろしいものを感じた。
 まるで自分が何か取り返しがつかないことをしてしまったかのようだった。
「何……?」
 コルウスが手元のボタンを押す。
 魔導アーマーが起動し、背中の装置が動き始めた。それまで収納されていたのか、巧妙に隠されていた何本もの機械の腕が変形、忙しなく駆動を始める。
「説明を忘れていたが、発射装置はどこでも兵器を完成させられる。パーツさえ揃っていればその場で組み上げが可能なように私自身で設計した。部品単位で輸送すればどこの軍隊も『これは大量破壊兵器である』なんて気づかないわけだ。いいアイデアだろう?」
「させねえ!」
 ナインは掴んだ出っ張りに力をかけ、宙に跳び上がった。魔導兵器を囲んでいた立体通路が、兵器を解放するかのようにゆっくりと横に動いていく中で、彼女は疾走する。
「零号、行きなさい」
「了解」
 スリィが白衣の男より前に出る。彼女はガンブレードの銃口をこちらに向けて、引き金を引く。飛び出した銃弾がナインに接近。彼女は足を止めずに槍を振り回して弾丸を弾き飛ばした。
 ナインは不敵に笑った。
 そんな牽制射では俺は止められない、と。
 しかしスリィは前へ出ない。どころか立体通路の床を蹴り、横へと跳躍した。ナインの翠の瞳が彼女の姿を追う。
 自分と戦闘をするつもりがないのか?
 頭に疑問が浮かぶ。しかしそのまま逃がすナインではない。彼女はスリィの後を追うため、立体通路を疾走する。
 跳躍したスリィは――いくつかの足場を経て、魔導兵器へと着地した。その身をするりと操縦席へと滑り込ませ、彼女は操縦桿を握った。
 瞬間、機体のラインに光が流れ、それは起動した。
 これまでの動作は準備運動に過ぎなかった。
 魔導兵器は立ち上がったのだ。
 折り曲げていた太い脚を伸ばし、それは起立した。魔導リーパーとよく似た昆虫のような逆関節型だったが、背丈は一般的な魔導アーマーの三倍近い。機体の前面に巡るラインが赤く発光し、瞳のように思える。
 脚を伸ばした魔導兵器は自らの体を確かめるように、大きく伸びをした。
 関節が唸り、駆動音が響き渡る。まるで獣の咆哮のようだった。
「魔導オキサリスの生体制御装置、それが超人兵士零号本来の役割だ」
《カラミティ、組み上げ最終段階に入ります。付近から離れてください。付近から離れてください》
 魔導兵器から抑揚のない声が流れる。ナインは機体に近寄るために立体通路を走る。
「スリィッ!」
《――敵性存在を確認。排除に移ります》
 魔導兵器の機関銃が火を吹いた。
 一秒のうちに数え切れないほどの銃弾が発射され、ナインを狙う。
 彼女は手摺に手をかけ、立体通路を降りて回避。通路を支える柱の陰に身を隠した。
 近づくだけでも重労働だな、とナインは胸中で独白する。
 一旦遮蔽物に隠れたままやり過ごし、隙を突いて攻撃を仕掛けるか?
 否――魔導兵器オキサリスは巨大な脚を蠢かせ侵攻を続ける。目の前に存在する足場など意に介さない。強靭な鋼鉄の肉体をぶつけ、通路を破壊しながら進む。敵であるナインを探して。
 当然ナインが隠れていた柱も立体通路の崩壊に巻き込まれて倒れる。彼女はすぐに離脱して崩壊に巻き込まれるのを回避したものの、早速遮蔽物を失い、オキサリスの目の前に引きずり出された。
「クソ!」
 小口径の機銃が彼女を狙う。連続で発射された銃弾を躱すために、ナインはあえて前進。射角の限界を予想しながら左右への跳躍を挟みつつ走るが、眼前にはオキサリスの巨体が待ち構えている。
 魔導兵器の巨大な右足が一旦宙に引き上げられ、反転、地に向かって勢いよく振り下ろされる。
 ナインは右に向かって跳ぶことで回避に成功するが、巨大質量の着弾による衝撃まで回避できるわけではない。加えて、オキサリスの足には微弱ながらも青燐反応を利用した衝撃波発生装置が組み込まれていた。
「ぐぅっ!?」
 姿勢を崩されたところに衝撃波が到来し、ナインは横に向かって吹き飛ばされる。未知の攻撃によって飛ばされたことを空中で理解する。彼女は姿勢制御を行い、槍を地面に擦らせて速度を殺した。顔は前方の巨大な魔導兵器を見据えている。
 オキサリスの口のような部分が開く。牙を剥いた獣のように開かれた口腔からは赤い光が漏れた。主砲たる大型魔導カノンが火を吹く。
 魔導リーパーを知るナインは焦燥した。絶対に避けなければならない。まだ速度は殺しきっておらず、慣性は利用できる。彼女はそのまま背後へと身を躍らせた。
 ほんの一秒にも満たない速度で魔導カノンが着弾する。金属の床が大きく抉れ、爆発のごとき炎が燃え上がった。ナインにも爆発の衝撃が伝わり、空中にいた彼女は背後へと大きく飛ばされた。
 強烈な衝撃に、姿勢制御も叶わない。ナインは回転しながら飛ばされ、何かに背中を強く打って床に倒れた。
 視界が霞がかり端には赤色が滲む。肺の空気はすべて押し出され、口の中には血の鉄臭い味が広がっていた。
 ――槍を手放してしまった。
 震える体を無視して立ち上がりながら、己の得物を探す。戦場では武器をなくせば即ち死を意味する。すぐに立ち上がれるほど軽い負傷ではないはずだが、彼女はそれでも立ち上がった。ほとんど本能に近いものだった。
 オキサリスは巨体の歩みを止めない。鋼鉄の足場を完全に引き剥がし、周囲の魔導兵器を押しつぶしながら前進する。巨大質量に格納庫に並んだ魔導兵器たちが圧潰し、小規模な爆発が漆黒の機体を照らし出す。青燐の爆発にも耐性があるのか、傷つく様子はない。
《カラミティ製造フェイズ2へ移行。安全な距離までお下がりください》
 彼女の斧槍は――鉄塊の足元に落ちていた。魔導リーパーだ。格納庫に並んだ幾多もの兄弟たちと同じ姿形の魔導兵器。大量生産された、ありふれた殺人兵器だ。
 ――だが。
 彼女は『それ』に見覚えがあった。

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「お前か、六六六号……」
 コルウスの悪趣味か、あるいは何の因果だろうか。
 かつて彼女たちが駆った魔導リーパーがそこにいた。
 機体の側面に趣味の悪い数字がペイントされたままだから、すぐにわかった。
《カラミティ製造フェイズ進行中。お下がりください。お下がりください》
 オキサリスの背面ユニットでは多数の機械腕が蠢いて作業を進めている。彼女に立ち止まっている暇はなかった。
 ナインは体中の痛みに呻きながら、操縦席へと飛び込んだ。ごく簡素な制御パネルが認証鍵の提示を求める。
「姐御、こうするんスよ」
 フィフティーンの言葉を思い出す。操縦桿の下のカバーを無理やり引き剥がし、配線を外す。他の部品とは違う、ガラクタにしか見えないボードが昔と変わらず取り付けられていた。彼女は外したケーブルをそちらに接続した。
 果たして、魔導リーパーは青燐機関を駆動させ、立ち上がった。他の魔導兵器よりもオンボロで、どう見ても型落ちで、どこの部品をとっても古びている。
 しかしリーパーは立ち上がったのだ。
 これ以上ない武器だ、と彼女は笑んだ。
《カラミティ製造フェイズ2完了。フェイズ3へと移行します》
 ウイルスのポッドが完成すれば、コルウスの目論見通りに生物は滅ぶのかもしれない。
 滅びはしなくとも、各国は壊滅的な被害を受けるだろう。生き方が変わってしまうほどに。
 だが――ナインは世界を救いたいわけではない。
 世界になど興味はない。
 故郷のことは変わらず大切に思っているが、己の命を大事には思えなかった。
 ずっと前からそうだった。自分の命に意味などない。どこで終わってもいいはずだった。
 世界にとって自分は不要とまでは言わなくとも、決して必要ではないはずだ。
 そもそも『世界』とは何だ。
 土地か、人か、国か?
 見えているどこまでが世界で、どこからが世界じゃない?
 ナインにはわからない。
 理解しようとも思わない。
 これ以上の思考は無駄だ。
 だが一つだけ。
 たった一つだけ。
 わかっていることがある。
「――お前にそんなクソみてえなことさせねえぞ、スリィ!」

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 魔導リーパーが吠える。機体のあらゆる場所が金属の軋む音を立て、悲鳴のようだった。
 それでも確かに機体は立ち上がり、走った。金属の床を蹴って跳び上がり、魔導カノンの煙を抜けてオキサリスの前へと躍り出た。
《敵性存在の生存を確認。排除を再開します。お下がりください》
 リーパーは走る。オキサリスを中心として、円を描くように動く。鋼鉄でできた二本の足が、魔導兵器の並んだ格納庫を疾走する。
 巨大魔導兵器に取り付けられた幾多もの銃口がその姿を追う。小口径の銃弾をばらまくが、ナインは魔導兵器たちを盾にしていた。リーパーまで届く銃弾はない。
《戦術分析中》
 ナインはリーパーの向きを九十度変更。前進の勢いのまま横滑りを維持。魔導カノンの発射体勢に入る。
 青燐機関がフル稼働し、口腔の中に火が灯る。
「食らいやがれ!」
 操縦桿の引き金を引くと、リーパーの口から炎の塊が吐き出された。赤い砲弾と化したそれはオキサリスの左脚部に着弾、炎が大きく散り、脚部が黒煙に包まれた。
 しかし――煙からオキサリスから抜け出る。目立った損傷はない。魔導兵器を押し潰しながら巨大兵器こちらに向かおうと足を動かした。
 半ば予想していたことではあったが、生半可な火力では損傷を与えることはできないようだ。
 リーパーを再び円周の軌道に乗せながらナインは思案する。
 さりとて己の槍でなんとかなる代物でもない。
 何か、何か方法はないのか。
《主砲の変更を提案……認証。ウェポンチェンジ、『聖剣』。クリスタルを装填します》
 瞬間、オキサリスの口腔から純白の光が漏れる。
 太い白線は格納庫の地面を焼きながら、まっすぐに魔導リーパーを狙った。
 間一髪のところでナインはそれを回避した。ほんの一瞬だけ限界を超えた加速を加えたのである。機体の各所が軋みをあげる。
 閃光は格納庫内を縦横無尽に焼いていく。射角というものがまるで存在しないかのように。まるで光の剣に斬り裂かれたかのように、床と壁は割れ、並んだ魔導兵器は残骸へと変化していく。
 いずれも超級の熱量によって溶解し、赤い液体を垂らしている。オキサリスの側面から、ガコンとクリスタルが排出される。あれが弾倉の役目を果たしているらしい。
《戦術分析。『聖剣』の使用を停止。分析中》
 このまま『聖剣』の魔法攻撃を利用してオキサリスの周囲を破壊してやることもできないかと思案していたが、さすがの魔導兵器も自分が危険になると判断したらしく、魔法攻撃が停止した。
 しかし、息をつく暇もない。
《分析完了。魔導ミサイル、照準》
 突如、歩みを止めたオキサリスの背部から複数本の物体が垂直に飛翔した。
 ほんの一瞬だけ魔導兵器の上部に浮かび上がった六つの物体は、円錐の形をしていた。それらを見て、彼女は帝国軍の兵器――ミサイルを思い出した。魔導プレデターにも装備されているものだが、オキサリスのそれは他のものよりも幾分大きい。
 六つのミサイルはすぐに尾の方から火を吹いて姿勢を制御し、ナインの方へと向かってくる。
「やべえ!」
 彼女は操縦桿を傾けるが、型落ちのリーパーではこれ以上の速度は出ない。しかも先程無理をさせたばかりだ。
 ミサイルは機関銃と違い、障害物を避けて狙ってくる。魔導兵器の並んだ区画を走るリーパーの背後から、ミサイルが追いすがる。背後を確認したナインは、このままでは逃げ切れないと判断。リーパーを操縦桿を左に曲げると同時に大きく跳躍させた。
 空中に浮かび上がったリーパーが後ろを向いたまま前進する。
 彼女はトリガーを引いた。
 ばらららら、と脚部側面の銃口が火を吹く。
 魔導フォトン砲の数十もの銃弾が空中へと飛び出したのだ。弾丸はミサイルを照準しており、数発の弾丸がミサイルに命中し、空中で爆発。先頭のミサイルが爆発したことで、他の五つにも誘爆。連鎖爆発を起こした。
 周囲に並んだ魔導兵器群にも誘爆し、数百もの金属片が手榴弾めいて飛び散った。
 比較的近距離でミサイルが爆発したことで、爆風を受けたリーパーが押し流される。直撃するよりマシとはいえ、ダメージは免れない。
 ナインにとって幸いだったのは、魔導リーパーが転倒しなかったことだ。かつて懲罰部隊が運用した魔導アーマーは二本の足を金属床に付けて立っていた。
 鋼鉄の足が不快な金属音を立てながら火花を散らす。
 しかし、そこに機関銃の弾丸が飛来する。爆風を受けた硬直から抜けきっていなかった機体に命中し、機体側部のフォトン砲が弾け飛んだ。銃弾は貫通しており、主砲である魔導カノンにも損傷を与えていた。
 青燐機関の暴走を恐れ、制御機関が魔導カノンをロックしてしまう。もう一方のフォトン砲もミサイルの爆発に巻き込まれた際に破損していた。
「クソ!」
 再びリーパーを走らせるが、オキサリスへの攻撃手段を全て失った。
 ミサイルの爆発を受けて魔導兵器各部の軋む音が激しくなっている。機体そのものの限界も近いのだ。これではあと数分も保たない。
《カラミティ、製造フェイズ3完了まで残り三分》
 機械音声が読み上げると、格納庫上部から光が差し込んだ。屋根が左右に割れて広がり、曇天の空が見えた。本格的にウイルスを搭載したミサイルを発射する体勢に入りつつあるようだ。
 機体がバラバラになるのが先か、敵が作戦を完了するのが先か。
 どちらにしても彼女に残された時間は少ない。
 だとしたら。
「一か八かでもやるしかねえよなぁ!」
 リーパーが方向転換。
 円周の軌道をやめ、オキサリスへと向かっていく。
 対地上兵装である機関銃が火を吹いた。
 弾丸はリーパーを狙っている。
 操縦桿を動かしてほんの少しだけ横へ回避させる。
 装甲の表面を削り取り、弾丸は背景へと消えていく。
 オキサリスとの距離が縮まった。残り三十ヤルムほどだ。
 敵の機関銃は手を休めない。操縦席に乗ったナインのすぐそばを小口径弾が掠める。彼女はじっと前を見据えたままリーパーを駆った。
 銃弾がリーパーの前面に命中。
 装甲が弾け飛び、フレームが剥き出しになる。
 だが彼はまだ走ることができる。
 機体の各部が悲鳴をあげている。
 それでもリーパーは走り続ける。
 ただ、前へ、前へ。
 追い込まれた獣のように一心不乱に前進する。
 残り十ヤルム。
 そして。
「跳べぇぇぇぇぇぇええええええええッ!」
 ナインが絶叫した。
 彼女の声に応えるかのように、リーパーは空中へと躍り出る。
 己の限界を超え、オキサリスの腹部あたりの高度まで飛び上がったのだ。
 オキサリスの機関銃が魔導リーパーの全身を撃ち抜いていく。
 黒い機体が、全身を蜂の巣にされていく。
 既に限界を向かえていた脚部が崩壊し、機体から落ちていく。その間も機関銃の弾丸は降り注ぎ、装甲やフレームが原型のない金属片へと変わっていった。
 しかし。
 リーパーの牙はもがれていなかった。
 牙の奥に隠された魔導カノンの砲塔は健在だった。
 ナインが制御パネルを操作して魔導カノンのロックを強制解除する。
 そして彼女は迷いなく主砲のトリガーを引いた。
 リーパーが今際の唸りをあげてカノンにエネルギーを集める。機体中央部の青燐機関が暴走し、機体そのものが危険な青い輝きを放つ。
 そして懲罰部隊の六六六号は、爆発した。
 青燐機関のオーバーロードによる、魔導カノンの数倍もの熱量を持った自爆だ。

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 機体――そう呼ぶにはあまりにも体をなくしすぎた鉄塊――は、オキサリスの腹部に直撃。魔導爆発によりほんの少し体勢が崩れた。
 それだけだった。
 魔導リーパーが己の命を燃やしてまで行った突撃は、わずかに魔導兵器の姿勢を崩しただけであった。
 表面に目立った損傷はない。装甲がほんの少しだけ焦げてはいたが、内部へのダメージなど望むべくもない。
 表面に付いた焦げ。
 それだけが懲罰部隊の六六六号の名残だった。
 彼の自爆に意味はなかったのだろうか。
 彼の死に意義はなかったのだろうか。
 ――否。
 否、否、否。
 否である。
 よくやった、六六六号!
 ナインは胸中で喝采を送る。
 彼女にとっては、十分以上の戦果だった。

「――ハッ!」

 オーバーロードの寸前、ナインはリーパーの操縦席を蹴って跳躍していた。
 魔導リーパーが放った爆風すら利用して、高く、高く、舞い上がっていた。
「…………!?」
 オキサリスの操縦席に座ったスリィは、眼前に現れたナインに目を見開いた。
「スリィ!」
 彼女はオキサリスの装甲に着地した。そして勢いを殺さぬままスリィの胸ぐらを掴んだ。
「ナイン……!」
 ガレアンの女が呻く。ナインは勢いのままに彼女を掴み、オキサリスの機体の上を転がっていく。
 そして、二人はともに落下する。ほとんど崩壊した足場の残骸上に落ちたが、ナインはスリィを離さない。
「離せ!」
 スリィの拳がナインの頭を捉える。ヴィエラの脳が揺れ、力が緩んだことを確認し、スリィは彼女の拘束から抜け出した。
《生体制御装置に混乱が生じました。製造作業を一時停止。解決策を計算中》
 二人は両端が崩壊した立体通路上で睨み合う。スリィは背中からガンブレードを、ナインは槍を抜き放ち、構えた。
「ナイン」
「スリィ」
 二人は互いの名前を呼んだ。
 スリィはほとんど本能で、その名前が意味することなど理解していない。
 それでも、彼女は名前を呼んだのだ。
 ――二人の距離は一瞬にして消えた。
 全く同時に刃と刃がぶつかり合い、火花が散った。
 ナインの槍をスリィは受け流す。背後へと流した勢いのまま回転斬りを放つが、受け流されたナインはそのまま前進し、槍を支えにしてスリィの背後へと回る。後ろを見ないまま石突で背中を狙う。
 柄と刃が衝突、ナインはすぐに槍を離し体を反転、次は穂先が繰り出される。

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 スリィが穂先を流しながら前進する。逆手に構えたガンブレードで柄を押さえつつ、ナインの懐に潜り込んだ。
 スリィの腕が機械の駆動する音を鳴らしながら加速、左手の掌底打ちが放たれる。
 ナインが胸に打撃を受けて後退する。
 機械による加速を得た打撃は強烈の一言だった。彼女の掌底打ちは骨まで響く。
 機械化された超人兵士はその隙を見逃さない。順手に持ち直したガンブレードが左から迫る。
 ナインはさらに退いた。空振ったガンブレードがキャットウォークの手摺を切り裂き不快な高音が耳に届く。
 ここだ、とヴィエラは槍を突き出した。スリィのガンブレードがそれを防ぎ、鍔迫り合いになるのは予想していた。しかしスリィはガンブレードのトリガーを引いた。青燐機関が駆動し、炎をまとった刃が槍を弾く。青燐の炎によるエネルギーが乗ったことでナインの力を上回ったのだ。
 スリィの腕部が悲鳴をあげながら駆動し、剣の慣性を無理やり殺す。不自然なほど綺麗に止まった剣が、切っ先をこちらに向けていた。そして一瞬の隙もなく前へと突き出される。

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 剣はナインの額を狙っていた。彼女は体ごと反らして回避する。動きを利用して蹴りを叩き込もうとするが、刃が急速に熱を持ち始めた。
 スリィがガンブレードのトリガーを引き、蒼炎を刀身に纏わせたのだ。
 ゆえにナインは格闘攻撃を諦め、防御に意識を割いた。槍を戻し、刃にぶつけて防御となすが、その一瞬の間に肌が灼けた。コートの左肩から焦げた臭気が広がり、鈍いが強烈な痛みが広がる。
 これまで蓄積されてきたダメージと痛みで、どうしても体勢が崩れてガンブレードの刃を留めておくことができない。ナインの槍が徐々に押されていく。
「ぐぅぅ……!」
 相手の力が弱っていることを察して、武器を弾く必要がないと見たスリィが刃に力を込める。
 このまま押し切られるかと思われた、その時。
 唐突に、二人の視界が揺らいだ。
 これまで奇跡的に崩壊を免れていた鋼鉄の足場が、ついにバランスを失い崩れていく。
 鋼鉄の塊が落下し、金属音が反響する。
 一瞬、足を付けていた地がなくなる感覚が二人を襲う。彼女たちの体は離れ、十ヤルムほど下に落下していく。
 突然のことに体が対応できず、ナインとスリィ双方、受け身を取れないままの着地となった。互いによろよろと立ち上がる。
 それぞれの武器は近くの床に刺さっている。
 武器を取るか、逡巡が浮かぶ。スリィは先程まで己が握っていたガンブレードに手を伸ばす。しかしナインは徒手のまま踏み込む。
 震える足に無理やり力を入れて、渾身の右拳がまっすぐ放たれた。彼女の拳はスリィの胸を打つ。
「くッ!」
 彼女の体は衝撃によって後退し、武器から離れていく。
 ガンブレードに伸ばしたはずの右腕を戻し、ナインが放った次の一撃を防御する。
 相手の左腕を右腕で受ける。筋力に裏打ちされた重たい一撃が腕に伝わるが、防御しつつ左に躱し、こちらも左拳を放つ。
 機械によって強化された速度と重量の乗った一撃がナインの腹部を襲う。
「かはっ」
 彼女は腹部の筋肉を隆起させることでダメージの軽減を試みたが、スリィの一撃は常人の何倍も重たく、口から息と唾液が漏れる。
 彼女の体は後ろへと吹き飛んだ。
 だがナインはすぐに体勢を立て直し、再びスリィの元へと踏み込む。
 ――なぜだ。
 彼女はナインの攻撃をいなし、打撃を叩き込む。
 ナインも彼女の速度に慣れてきたようで、拳を頭を振って躱し、逆にストレートを叩き込もうとしてくる。
 スリィは後ろにステップして回避する。
 ――なぜ、この女はこうまでしてわたしに挑んでくる?
 ナインがさらに踏み込むが、それはスリィの仕掛けた罠だった。
 彼女は一旦引くと見せて即座に反転する。右腕を振り上げる素振りを見せ、ナインが前面に腕を掲げて防御の姿勢を取ったところで即座にやめる。
 常人では不可能な速度で右回し蹴りに変更する。
 ナインは脇腹に打撃を受け、横に飛ばされていく。
 だがすぐに立ち上がり、再び前へと出る。
「なぜだ!」ガレアンの少女は顔を歪ませて叫んだ。「なぜ前に進める!?」
「んなこたお前も知ってることだろうが!」
 ナインの右拳を回避する。
 さらに連撃として放ってくる左の打撃を腕を掲げて防御し、受け流した。右腕で掌底打ちを放つ。ナインの胸に命中し、骨が軋む音が伝わってくる。彼女は後ろへと吹き飛ばされた。
 だが、それでも。
 ヴィエラの女は笑顔を浮かべていた。
 口から血を流し、腕も脚も体も震えさせながら。
 立っているのもやっとという姿を晒しながら。
 それでも彼女は両脚で立ち上がり、顔を歪めて笑顔を形作っていた。
 超人兵士には意味が理解できなかった。
「前に進まなきゃ死ぬ、たったそれだけの話だろ?」
「理解不能!」
「思い出させてやるよ!」
 二人は同時に地を蹴った。
 スリィは右腕を思い切り引く。
 一度拳を放ち、相手の防御にあわせて蹴りを加えるためだ。
 相手はこれを防御をしなければ拳の一撃をまともにもらうことになり、逆に防御を行えば、こちらは次に繋げる攻撃が通りやすくなる。
 相手のことを考えれば、防御をしない理由はない。たとえ連撃を食らおうとも、スリィの打撃が規格外なのは相手もわかっていることなのだから。
 ゆえに、ナインは必ず防御を行うはずであった。
 スリィの鈍化した知覚が敵の動きを捉え続ける。
 ――実行しない。
 ナインは防御を実行しない。
 その素振りを見せない。
 なぜだ。
 理解不能だ。
 意味がわからない!
 防御をしろ!
 防御しなければ私の右腕をまともに食らい、その時点で終わりになるんだぞ!
 だが。
 ナインは最後まで防御の構えを取らなかった。

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 代わりに右腕を振りかぶり、最も勢いが乗った状態で前へと繰り出した。
 ――互いの勢いが乗った拳が交差する。
 同時に互いの頭部へと打撃が決まり、二人は揃って真反対へ吹き飛んだ。
 背中から倒れたスリィの視界が明滅する。
 己の速度に加えて相手の打撃が同時に着弾したのだ。頭部への衝撃は相当なものだった。数少ない生身である脳が揺さぶられ、焦点が定まらない。
 揺れる、揺れる、揺れる。
 視界が揺れ続けている。
 手も足も動かない。
 おそらく敵も同様のはずだ。
 強化された自分がこれだけのダメージを負っている。
 だとすれば、敵も動けないはずだ。
 絶対に、そのはずだった。
 しかし。
 彼女の視界の中にナインが現れる。
 ――なぜだ――。
 この女もわたしと同様に――いや、わたし以上の打撃を受けたはずだ。
 なのに、どうして立っていられる。
「これが意思の力だ」
 無茶苦茶だ。
 目の前のヴィエラは耳を垂らし、足を子羊のように震えさせながら、めちゃくちゃなことを言っている。
「立とうと思えば立てる。勝ちたいと思えば勝てる。たとえ本当にそれができなかったとしても、意思が負けていたら可能性は欠片も残らない」
 そう言ったのはお前のはずだぞ、と彼女は呟いた。
 ああ……。
 確かに。
 確かに、わたしはそう言ったのだ。
「――あなたは、本当にまっすぐね、ナイン」
 思考の霞が晴れていく。
 もうずっと眠っていた気さえする。
 ようやく、現実が戻ってきたのだ。
「これ以外の生き方を知らねえからな」
 彼女はスリィに向かって手を差し伸べた。スリィはその手を取り身を起こしたが、すぐにふらついてしまう。彼女は近くの瓦礫に身を寄せ、背中を預けた。

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「痛かったか?」
「ええ、とても」
「俺も痛かったぞ」
「ごめんね」
 二人の会話を遮るように、拍手が響き渡る。
 場違いなほど盛大な拍手を送っているのは、コルウスだ。
 今までどこに隠れていたのか、彼は二人から少し離れた場所で、両手を叩いていた。
「素晴らしい!」彼は拍手喝采を送った。「実に素晴らしい友情じゃないか」
 そして懐から回転式弾倉の拳銃を取り出し、ナインに向けた。
 そして迷うことなく引き金を引いたのだ。
「ナイン!」
 スリィが叫ぶ。
 だが、ナインの体はほとんど勝手に動き、銃弾を回避していた。
 次の弾丸が放たれる前に彼女は己の得物である槍を拾い上げ、コルウスに向かって投擲した。
 がふ、と間の抜けた声が発され、白衣の男は倒れる。彼の右肩あたりに槍が突き刺さり、拳銃は地に落ちていた。
 ナインは腕を庇い、足を引きずるようにしながらコルウスの元へと歩み寄った。
 未だに停止状態にないオキサリスについて訊かなければならない。
「おいこら、あれの止め方教えろ」
「……私のような大それた計画を実行する者が、停止方法なんて用意すると思うかい?」
 痛みに慣れていないのか、彼の言葉は思ったよりも弱々しい。
「停止させたければ破壊することだな……。ただしオキサリスは戦略級魔法攻撃にも耐えられるように設計した。ヒトにこれが破壊できるものか」
「わりぃけどよ、スリィは奪還させてもらったんだ。こうなりゃどんだけ時間かかっても止めてみせるぜ」
「ふむ、『どれだけ時間がかかっても』か」
 コルウスは蒼白な顔に笑みを浮かべる。
 死体を啄むカラスのような不気味さを湛えて。
「オキサリス、製造作業を再開」
《指令受任。カラミティ製造作業を再開します》
 ――その無機質な声は、背後から発されていた。
 スリィが己の喉を抑える。
 自分が発したつもりのない声を抑えようとしていたが、それは無意味だった。
《フェイズ3から再開。最終作業完了までの残り時間予測、五分》
 声は確かにスリィの喉から発されていた。
 彼女の意思とは関係なく。
「……どういうことだ?」
「ハハハ、たかだか一つのパーツごときに、オキサリスの制御権限なんか与えるわけないじゃないか!」
 ナインの頭からさっと血が引いていく。
 目の前の男は何を言っているんだ?
「止めろ! 止めねえとお前を殺す!」
 ナインがコルウスの胸ぐらを掴み、揺さぶる。
「いいとも殺したまえ! さあ! ぜひ!」
「てめえ、ふざけんなっ! てめえ言っただろうが! 世界が滅ぶ姿を観察してえってよ! だったら死ぬわけにはいかねえんじゃねえのか!?」
「確かにそう言ったとも! だがここでオキサリスを止めてみたまえ! 私は一生どこぞに囚われるか、処刑されるか、だ!」コルウスの顔は蒼白を通り越して色がない。「計画が完遂されず! 私だけが取り残される! そんな状況にはとても耐えられない! だったら――」
「だったら何だ!」
「――計画の完遂を信じて死ぬ方がマシだ」
 ……狂ってる。
 こいつは、駄目だ。
 彼女はコルウスから手を離した。
 この男の真っ黒な瞳には、迷いなき意思が浮かんでいた。
 それは狂気だ。
 己の研究が完成することを心から望んでいる。
 そのためには他人も利用し、自分の命すら捨てられる。
 そういう生き物なのだ。
 人の理解の範疇にない生き物だ。
「私が死んでも誰かが滅びを観測するだろう。彼らの研究のため、私は偉大な先人となるんだ……」
 ナインはロクロから渡された遺物を取り出した。
 すぐ近くに損傷していない魔導ターミナルが設置されている。端末接続部に正方形を強制接続し、情報の取得を試みる。
「何か方法があるはずだ、何かが……」
《魔導オキサリスの停止手段、該当なし》
 遺物が機械的な声で情報を提示する。
「弱点とかあんだろ!?」
《情報、該当なし》
「もっと調べろ!」
《解析実行――該当、一件。生体制御装置停止のため、破壊を推奨》
「……は?」
《最大範囲で拡張検索を実行。該当、なし。生体制御装置の徹底的な破壊を推奨》
「馬鹿なことを言うな!」
 こいつは。
 スリィを殺せと。
 俺に言っている。

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 アハハハハァ、とコルウスの乾いた笑いがこだまする。
「――こうした強大な計画を練り、実行した際に、それを妨害するモノが現れるのは知っていた。筆頭機工師ガーロンドによる第一次メテオ計劃、ダーナス軍団長による第二次メテオ計劃、バエサル軍団長の西州侵攻。何の因果か、星の意思だか知らないけれど、大きな計画には必ずそれを妨害するモノが現れる」
 オキサリスの背面ユニットはポッドの製造作業を止めようとしない。機械の腕が次々に複雑な部品を組み立てていく。
「うぬぼれているわけではないが、私の計画にもそういった『抑止力』が現れることについて、自信があった。だとすれば『抑止力』を選別し、コントロールしてしまえばいい。つまり、きみだよ、ナイン隊長殿」
「もっと探せ! 何かがあるはずなんだ、何かが……」
「懲罰部隊で友情を育んだきみなら、生体制御装置たる超人兵士零号を止める役目を、自ら担うという確信があった。ヒトの感情と意思は強力なものだ。実際に、きみは超人兵士零号の元にやってきた。ロクロくんではなく、きみがね」
《該当、なし。生体制御装置の破壊を推奨》
「ふざけるなッ!」
《――カラミティ製造完了まで残り三分》
 冷たく時間は刻まれていく。
「きみたちは優秀だった。二人が逆の立場であっても、同じことを実行しただろう。ちょっとした密告でガレアンの名家は没落し、懲罰部隊に編成され、二人で友情を育み、どちらかが死に、どちらかが制御装置として生き返る。そうして別れた後に、『抑止力』はアウレリア・クォ・タキトゥスと出会い、彼女を追ってここへやってくる。そして実際に、きみは全ての障害を薙ぎ払いながら、ここへやってきたんだ……」
 コルウスの声が次第に弱くなっていく。
 何か様子がおかしい。
 槍に縫い留められたからとはいえ、こんなに早く弱るはずはない。
 彼の胸の動きが異様に小さくなっている。呼吸が浅いのだ。
 顔には死相が現れている。
「――毒を飲んだのか」
「ハハァ……きみだ、きみこそがオキサリスと『カラミティ』、最後のパーツだった……」
「死ぬな! オキサリスを止めるように命令しろ!」
「私が、そうすると思うかい?」
 ナインは言葉に詰まった。
「これで私の計画は実現する……。きみに、彼女は、殺せない。私は、私の夢が実現するのを、エーテル界で信じているよ……」
 コルウスの瞼が閉じていく。
 ほう、と息が漏れる。すると彼から一切の動きが失われた。
 彼の飲んだ毒は、確かにコルウスの生命活動を停止させたのだ。
 狂気の研究者が消え、物言わぬ死体だけが遺された。
《カラミティ、製造完了まで残り二分》
「止まって――止まれっ!」

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 スリィは自らの喉を抑える。
 あまりにも力強く自分の喉を締めるものだから、表面に痣が出来ていた。
 しかしその行動には何の意味もなく、機械の体は遠隔制御装置としての機能を果たし続けるだけだった。
 ナインの脳を絶望が染めていく。
《生体制御装置の徹底的な破壊を推奨》
 アラグの道具は言葉を繰り返すことしかできない。
 世界が滅ぶ。
 研究室で見た、いくつもの死体が目に浮かぶ。
 死体から死体へ、動物から人間へ。
 全ての生物がウイルスによって殺害される未来がやってくる。
 巨大な魔導兵器を止めない限り。
 そして、オキサリスを止める方法は存在しない。
 唯一の友達、スリィを殺害する以外には。
 ようやく取り戻したんだぞ。
 俺はまだ、ありがとうも言っていない。
 助けてくれてありがとう、と。
 嫌だ、殺したくない。
 もっと話したいことがいっぱいあるんだ。
 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
 スリィが涙を浮かべてこちらを見ている。
 ナインは彼女のそばに近寄った。
 何か言葉を発さなければならないはずだが何を言えばいいのかわからない俺はどうすればいいんだ何をすればこれを切り抜けられる頭を使わなければならないが使えば使うほどに自分がどうしようもない窮地に立たされていることを自覚するだけで何の意味もない俺はどうすればいい何をすればこれを切り抜けられる頭を使わなければならないが使えば使うほどに自分がどうしようもない窮地に立たされていることを自覚するだけで何の意味もない。
「な、ナイン……」
 彼女は答えられない。
 ――考える。
 彼女を生き延びさせることを。
 オキサリスは止まらない。世界は疫病に満たされ、際限なく死者だけが増えていく。コルウスの夢が実現し、霊災が発生し、さらに多くの人間が死ぬ。
 それのどこが悪い?
 人は結局、己の見えている場所だけが己の世界なのだ。
 スリィさえ生きていれば、ナインにとっては何でも良かった。
 愛しき故郷も滅ぶかもしれない。
 ロクロも、俺も、誰もが死ぬかもしれない。
 それでもスリィが死ぬのだけは――耐えられない。
 ――だけど。
 だけれど。
 いいのか、それで?
 スリィが生きて、世界が滅んで。
 彼女に世界を滅ぼさせて、それでいいのか?
 正しいことが何なのか、俺にはわからない。
 でも、それでいい、のか?
 ナインは。
 彼女は。
 ヴィエラの女は。
 ――――彼女は槍を手に取った。
「ごめんな、スリィ」
 翠の目から水が溢れる。

「――死んでくれ」

「い、嫌っ……わたし、死にたくないっ!」
 もう二度と死にたくない。
 死は恐ろしいものだった。
 最初は自分が生きなければ、家の復興が果たせないからだった。
 父と母は大好きだった。ガレマール帝国に忠誠を誓っており、二人が間違いを犯すはずなどない。汚名をすすぐことができるのは自分しか残っていない。
 だから、死にたくなかった。
 あの列車から谷底へと落ちて生死の境を彷徨った。
 死とは恐ろしいものだった。
 肉体的な痛みだけではない。いつ己の意識が消えてもおかしくない。自分の存在が消えてしまうかもしれない。家が没落してから感じていた孤独感とも違う。
 世界から置いていかれるような感覚。それがあまりにも恐ろしくて、生きていたいと懇願した。だから激痛に耐え、コルウスの手を掴み、自分の意思すら手放して、生きたいと願ったのだ。
 スリィは、死にたくなかった。
 自分が死ななければオキサリスが停止しないことは理解していた。
 それでも、死はあまりにも恐ろしいものだった。
 ――槍の穂先が胸に突き刺さる。
 鋭い刃は彼女の胸を貫いて、背中に抜ける。
「あが、がっ」
 口から苦悶の声が漏れた。胸が燃えるように熱く、繋がっていたはずの肉が裂かれる痛みで全身の熱が一瞬消え、灼熱となって戻ってくる。
 額から脂汗が流れ出した。
「やめで……ナイン……じにだぐない……」
 舌がうまく動かない。言葉がうまく紡げない。ノイズに満ちた声だけが喉から発される。
 ナインは荒い息を吐いていた。
 心臓を突いたはずなのに、スリィの生命は停止しない。
「いだい……」
 彼女はひゅうひゅうと荒い呼吸を繰り返した。瞳からは大粒の涙が流れ出し、顔は紅潮していた。
 胸の傷からは血があまり流れていない。
 傷口からは内蔵ではなく――機械が覗いていた。
 体の多くを機械に置き換えられている。
 スリィは機械によって生命力を増幅されているのだ。
「っ……」
 ナインはもう一度槍を突き出した。
「ぎ、ぎ、ぎいっ!」
 少女の美しい顔が苦痛に歪む。
 涙は滝のように流れ、鼻水まで流し、口からは涎が垂れている。
 ナインはもう一度槍を突き出した。
 ナインはもう一度槍を突き出した。
 ナインはもう一度槍を突き出した。
 ナインはもう一度槍を突き出した。
 ナインはもう一度槍を突き出した。
 彼女が槍でスリィを突く度に、スリィは声をあげた。
「いや……じにだぐない……やめで……ナイン……どもだぢ……じゃない……」
 既にスリィの体は地面に崩れ落ち、体のあらゆる場所に穴が開いていた。傷口からは血がほんの少しだけ流れ、鋼鉄の部品やコードが顔を出しているだけだ。
 ナインの口から血が流れる。奥歯を噛み締めすぎて口の中が傷ついているのだ。
 本当は――心臓を突いて、それで終わりにするつもりだった。
 だが、死なない。
 スリィは死なない。
 機械に置き換えられた体が――超人兵士としての耐久力が、彼女の死を許さない。
 それが、生体制御装置に与えられた安全性だったのだ。
 ナインの目から涙が溢れる。
「死んでくれ」
 足に突き刺す。
 鋭く分厚い刃は、彼女の華奢な足を切断してしまう。
「死んでくれ」
 腕に突き刺す。
 鋭く分厚い刃は、彼女の柔らかな腕を切断してしまう。
「死んでくれ……」
 再び胸に突き刺す。
 胸から生命を象徴する赤色が流れていく。
「死ねっ、死ねっ、死ねっ!」
 いくら血を流させても、体を切り裂いても、苦痛の声をあげるだけでスリィは死なない。
 見開かれた目は赤に染まり、目、鼻、口から体液を垂れ流しながら苦鳴をあげ続けているが、それだけだった。彼女は死ななかった。
 ナインの体は血と臓物の赤にまみれていた。
 ――スリィの美しい顔が好きだった。
 金色の髪、青い瞳、筋の通った高い鼻、白い肌、桜色の唇。
 まるで美しい人形のような顔が好きだった。
 だから、顔だけは。
 顔だけは傷つけたくなかったのだ。
 胸が裂けそうになる。
 そんな感覚を覚えるが、駄目だ。そんなことを感じてはいけない。
 スリィは、スリィはもっと痛いのだから。
 ナインは槍を逆手で握った。逆手に持ち、穂先を床に――ナインの頭に向ける。
 体をいくら壊しても死なないのなら。
 機械に置き換えられていない頭を。
 脳を破壊するしかない。
「いや……怖いよ、ナイン……」
 少女は己の顔に突きつけられた刃に心から恐怖していた。

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「ごめん、ごめんなぁ、スリィ……」
 ナインの瞳から涙が溢れる。水は頬を伝い、顎から雫となって落ちていった。
 視界が歪んでいる。涙でよく見えない。
 大好きなスリィの顔が見えない。
 ――そして、彼女は槍を振り下ろした。
 それまでの感覚とは違う。
 柔らかな肉を裂き、硬い骨を砕く感覚が手に伝わる。
 歪んだ視界の中で、肉色の塊が花開いているのが見えた。

《生体制御装置、破損。生体制御装置、破損。命令の送信が停止しました。カラミティの製造を続行する場合、認証コードを送信してください》

 ナインはその場に座り込んだ。
 なぜだ。
 なぜ、こうなる。
 どうしてこうしなければならなかった。
 どうしてこうなるんだ!
 ……馬鹿だ。
 俺は、馬鹿だ。
 許してくれ。
 いや、許さないでくれ。
 俺を許すな、スリィ。俺をずっと怨んでくれ。
 ナインは自らの膝を抱え込んだ。
 彼女の傍らには、かつて友達だったものが落ちているだけだった。
 建物が大きく揺れる。オキサリスはびくともしないが、周りの瓦礫や魔導アーマーたちが衝撃で崩れ落ちていく。
 何かが始まったことはわかったが、ナインは興味を引かれなかった。



25.


 機械の駆動音が聞こえる。おそらく昇降機の音だ。下から近づいてくるが、誰が乗っているのだろう。
 いや、どうでもいいな。すべてどうでもよかった。
「――ナイン」
 氷のように澄んだ声。
「…………」
 ロクロがやってきたのだ。
 革のブーツが床を踏む音が近づいてくる。
「生きてるな?」
「…………」
「基部に爆薬を仕掛けた。全部終わりだ。脱出しよう」
「……もう、いい」
「施設が崩落する。きみも死にたいのか?」
「もう、いいんだ」
 ロクロは黙った。
 膝を抱えるナインと、頭部が破壊された遺体――おそらくスリィのものだろう――、それに白衣の男の死体。中央の機体は作業の半ばで沈黙しており、彼女はナインの状況を推察した。
 巨大な魔導兵器は依然健在だが、海上施設が崩落すれば海の底だろう。少なくとも彼女が入手した『ウイルス兵器』という情報が正しければ、効力を失うものと思われた。
 ロクロは魔導ターミナルからアラグの遺物を取り外した。
 屋上には脱出用の飛空艇が駐機している。アラグの遺物を回収したから操船には苦労しないはずだ。
 膝を抱えて俯いているナインを見やる。彼女は自失している。このまま放っておいても何も言わないし、自分のことなど気にかけもしないだろう。
 そして崩れゆく施設とともに海に沈んでいくことになる。
 仕掛けた爆薬は時限式だ。悠長に彼女の回復を待つほど時間はない。
 ロクロは溜息を吐いた。
 ナインをここに置いていくことは難しくない。
 いっときの道連れだし、利害が一致したからここまで共闘しただけで、彼女の生命に対する責任はひとつもない。加えて、状況が状況だ。彼女はここで自らの死を望んでいる可能性が高い。自死を望んでいるのなら、ロクロはそれを止めようとは思わない。個人の自由に従い、死ぬのがよかろう。
 己の倫理観が社会の一般的な感覚からかけ離れている自覚はあるけれど、ロクロは心からそう思う。
 しかし。
 彼女の白く細長い指がナインの腕を掴んだ。
「行くぞ」
 ヴィエラの反応はない。
 上腕を掴んでいるが、肘から先はだらんと下がっている。
「ここでくたばるつもりか?」
 彼女の反応はない。
「ここで死にたいのなら止めはしない。死にたければ死にたいと言え。殺してほしければ殺してほしいと言え。僕が殺してやる」
 彼女は何も答えない。
「だがもし、今のきみの中に何もないのなら、きみは何かを得る権利がある。伽藍洞の中には何かを詰め込むことができる。それが報復心でも、逃避でも、忘却でもだ。生き死にを決めるのはそれからでもいいだろう。だから――」
 ロクロは言葉を紡いだ。
 旧い、旧い記憶の中で何かが揺らいでいた。
「――だから、今は僕と一緒に来い。ナイン・フィアレス」

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 彼女は――ロクロを見つめた。翠の瞳には光がなく、空虚だけが満ちている。
 しかし、それでもナインはロクロの方を見たのだ。
 報復代理人は自らの手と腕に力を込め、ほとんど無理やりにナインを立たせた。
 抵抗はない。
 二人は――ロクロはナインの腕を掴み、半ば引きずるように昇降機のリフトに乗った。周囲の兵器たちは無残にも砕け、炎上を続けていたが、リフトは無事だった。
 そうして屋上に出ると、電力設備の機械が立ち並んだ中央にポートがあり、確かに小型の魔導飛空艇が駐機していた。
 黒い鋼鉄の機体に乗り込むまでに、彼女らは何度も強い潮風に吹かれたが、それでも前に進んだ。
 ロクロが操縦席に座り、アラグの遺物を接続する。ナインは後部の座席に座り、ロクロの手によって安全帯が巻かれていた。
 やがて青燐機関に火が入り、帝国製の飛空艇は空へと舞い上がる。
 アウラの女が遺物に目を落とし、時刻表示を見る。そろそろだった。
 ナインが窓から眼下を見つめていると、海中の青を切り裂くようにして何かが強く光った。
 そして、海上施設が左右に揺れ始める。
 爆破が始まったのだ、と気づいた時には、施設の下部が海に飲まれていくところだった。
 そして縦長の施設は足元から崩れ、白く大きな飛沫を上げながら海へと落ちていく。深い、深いところまで。
 誰の手も届かない、ずっと遠いところに落ちていく。
 オキサリスも、カラミティも。
 それから、彼女も。
 ナインは飛空艇が離れてもその姿をずっと見つめていた。
 どれだけ小さくなっても。
 それらがただ海面に浮かんだ泡となっても。
 そして彼女は声を絞り出した。
 その声は小さく、掠れていた。
「さよなら、スリィ。俺も――大好きだった」
 彼女の言葉は青燐機関の駆動音にまぎれ、誰にも届くことはなかった。



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