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彼女の奇妙な愛情 #5

まとめ読みマガジン:

5.ニノマエマナコの世界


 翌朝、いつものようにベッドの上で目覚めた。

 寝ぼけ眼だけを動かして、周囲を眺める。パステルカラーの壁紙、適度に片づけられた室内。落ち着いた木製家具。本棚には適当な量の本が詰まっていて。

 我が家の、わたしの部屋だ。

 意識が覚醒してくるにつれ、色々と思い出されることがあった。

 今日が土曜日であることとか。

 土曜日だから授業はないこととか。

 アラームをセットしていたはずだけれど、と携帯電話に目を向けると、まだセットした時間よりも十分ほど早かった。

 重力と眠気の根強い抵抗を打ち砕き、半身を起こした。就寝用に緩く三つ編みにした後ろ髪が背中に触れる感触があった。

 カーテンの隙間から差し込む光は、秋の終わりにしては陽気な感じ。

 土曜日だから級友たちに会えないのは少し残念だけれど、今日もいい日になりそうだね。

 うーんと背を伸ばし、勢いよく立ちあがる。

 わたしの名前は一愛子。

 何より第一に愛する子。


******


 学校で授業はなくとも部活動はあるものである。

 わたしは昼食を自宅で摂ってから、学校に向かった。徒歩三十分なり。

 演劇部の練習場と化したラウンジに顔を出して、部員達と挨拶を交わした。どうやらわたし以外はみなさんお揃いのようで。それでもまだ揃って間もないというので、安心した。

 前には一年上の三年生の先輩方もいたのだけれど、五月の文化祭公演を境にして卒部してしまった。受験に取り組まなければいけないからね。彼ら彼女らにはぜひとも志望校に合格してほしいものであります。

 今の時期は急いだ舞台もないため、基礎練習だけで部活動が終わってしまう日も多い。

 一応練習場に顔を出したものの、わたしも発声と基礎トレーニングを終えたところで、部員たちとの雑談に花を咲かせた。不思議なことに今年の入部希望者は女子ばかりで、男子は同学年が二人いるだけと、非常に数が少ない。顧問の先生によると決して珍しくないとかなんとか。

 まあ、先輩たちも女子の方が圧倒的に多かったしねえ。男衆がいないと、大道具が大変なんだけど、希望者がいないなら仕方ない。

 同級生と話していると後輩たちも集まってくる。気さくに話しかけられて、嬉しく思う。

 話の種は尽きることがない。学校のことから、自分の家庭のことから、テレビの話題なんか。あと、まだまだ先のことになるけれど、クリスマスの話題なんかも出ている。

 クリスマスが近付けば、演劇部も活動で忙しくなるだろう。クリスマス公演が予定されているのだ。

 学校内での公演といえば文化祭とクリスマス公演。このふたつが大きなもので、あとはコンクールなんかがちょこちょことあるのみだ。我が演劇部はゆるーい活動なのである。えへん。

 ま、クリスマス公演だけでなく、部活の中で行われるクリスマスパーティーも楽しみなんだけどね。みんなも、公演よりむしろそちらの方がメインのように考えている節がある。悪いやつらじゃ。

 わたしも適度に話し、適度に聞いた。みんな笑っている。

 みんな楽しそうで何より。

 笑顔を見ていると、伝染してくる。わたしまで楽しい気分になってくる。

 むしろわたしから笑顔を生み出しているような。

 楽しい時間は一瞬で過ぎ去っていくもので。

 気付けば夕刻だった。

 特に片付けるものもないため、同級生の部長が適当に締めくくり、解散する運びになった。

 一緒に帰りましょうと自宅の方角が同じ後輩が誘ってくれる。わたしのことをよく慕ってくれる子で、背がちっちゃくてかわいい子だ。

 わたしは少し考えた。

 今日も屋上に行ってみようかという気分になっていたのだ。

 しかし、屋上を訪れたとしても、彼はいないだろう。前に会話したときに、帰宅部であるということがわかっていた。土曜日で授業がないことだし、いないだろう、と思う。

 それに、昨日あれだけ体調が悪そうだったし、風邪をひいたのではないだろうか。少し心配になった。

 夕陽を観に行くにしても、読書しに行くにしても、中途半端な時間だし。

 連れ合いがいなければ、行っても意味はない、と思った。

 後輩の誘いに乗ることにした。

 一緒に帰ろっか、と了承すると、喜んでくれた。満面の笑みでそれを伝えてくる。子犬の尻尾まで見えるようだ。

 素直に喜んでくれると、わたしも嬉しくなってしまう。

 他の同級生や後輩が自転車を漕ぎだしたり、駅に向かって歩いていくのを見送ってから校門を出た。

 外はもう、すっかり暗くなっていた。冬が近くまで歩いてきているのを感じる。

 他愛ない会話をしながら、後輩ちゃんと歩く。しばらくすると分かれ道。わたしと彼女も別れ道。

 手を振って、また月曜日、と言って別れた。

 それからまたしばらく歩くと、公園が見えてくる。

 電灯の白い光に照らされた公園は、どこか不気味なようにも感じられる。住宅街の中にあるから、人もそんなに多いわけではない。

 小学生くらいのこどもたちがよく遊んでいるけれど、夕方以降は家に帰ってしまうしね。

 夜の公園に入るのは良くないと思うけれど、何となく昨日と同じベンチに座ってしまう。頭の中には彼のことがあった、かもしれない。

 あるいは、代償行為だったかもしれない。

 昨日のことが思い出される。

 本当に迂闊だった。

 まさか自分の内心を吐露することになるだなんて。恥ずかしくて顔から火が出ちゃいそう。

 語ったこと自体に後悔はないけれど、今まで誰にも言ったことがなかったことを口にしてしまったというのは、少なからずショックだった。

 特に、それまで彼相手に偉そうなことを言っておいて、自分はこんな欠落した人間なのだと明かしたことが、とても滑稽だと思う。

 滑稽以前に、彼に失礼だとも、思った。

「ふうむ」

 ――わたしは世界を愛していた。

 何事も嫌いになれなかった。悲しい気持ちになることはあるけれど、誰かを、何かを嫌いになったことなんて、一度も、ない。

 ああ、壊れているなあ、と思う。

 しかし、壊れている自分でさえも愛おしく思える。嫌いという感情がわからないから、勝手に。

 いつからそうだったなんて、何度も考えたことだけれど、答えは出ない。

 気付いたらわたしはすべてを肯定していた。だから、生まれてからずっとなのだと思う。明確な答えはないけれど、そう思う。

 世界を愛する、と文字にしてみると大袈裟なものだけれど、そうではなくて。

 目の前にいる人たちやものたちを嫌いになれなかったというか。

 花が好きで、人が好きで、人が作ったものが好きで。

 人が作った世界が好きで。

 だからずっと、わたしはこの感情を愛だと思って生きてきた。

 今まで出会ってきた人たち。たとえば両親や祖父母や学校の同級生や部活の後輩や先輩、先生たち――誰も嫌いになることなんて、できなくて。彼らが何をしても愛しいと感じた。 

 だから彼らもまた、わたしのことを大事にしてくれたし、愛してくれた。

 わたしは幸せだった。

 幸せだったけれど、歪んでいた。これ以上なく歪んでいると、自負していた。

 そんな自分でも、嫌いになれなかった。

 昨日彼に明かした通り、嫌いという感情がわからないがゆえに、愛するしかできないのだと、そう考えている。

 彼は――自分を嫌いだと言った。自分のことが誰よりも嫌いなのだと。

 わたしは正直、羨ましく思った。わたしに欠けているものを、彼は持っている。それが彼にとって致命的な傷だったとしても、わたしにはただ羨ましかったし、好ましいと感じた。

 だからこそ、彼が自分のことを無個性で生きている意味がないと最初に語ったときは、悲しかった。

 彼は自分のことを無個性であると言った。

 わたしは、「わたしと違う」という意味で彼は特別なのではないかとも思った。けれど、彼が求めている『特別』は、きっと『他とは違う』という単純な意味ではないのだろう。

 彼は言った。

 自分はどこまでも無個性で、どこまでも普通な人間なのだと。だから、誰も知らない立入禁止の屋上で夕陽を眺めるという、普通でないことをしているのだと。

 でもそれは所詮まねごとで、自分が特別ということではないんだって。

 はっきり言って、わたしにはわからないことだった。

 わからないことだったけれど、わかる気がした。

 彼の悩みそのものはわたしには理解しがたいことだったけれど、彼の苦悩の根幹は、わたしと似通っていると思ったんだ。

 わかるような気がする、と伝えると、彼は衝撃を受けたような顔をしていた。何を思ったのかはわからない。

 ああ、それにあの時は。

 他人の前で初めて煙草を取り出した日でもあったね。

 自分でも意外だった。何故それまで他人には、父母には、当然隠してきたそれを、彼の眼前で行ったのか。

 わからない。

 わからないけれど、そうしないといけない気がしたのだ。

 ――煙草は、父の趣味だった。

 わたしが生まれる以前、父は重度の愛煙家だったという。その頃の名残なのか、家には世界中の煙草があった。

 父の書斎、棚に収まりきれない色とりどりのパッケージ。

 わたしは小さな頃から、書斎に入る度に鮮やかな小箱を見ていた。思えば、あの頃から惹かれていたのかもしれない。

 非喫煙者の母は、喫煙している父を見る度に、悪癖だと指摘している。父も気をつけて、換気扇の傍や、庭に出て喫煙していた。たぶん、こどもだったわたしを気遣ってのことだろう。

 しかしそれは、やはり母の言うように悪癖だったのだろう。父が母の目を盗むように隠れ、それでも至極旨そうに味わっていた様子を見て育ったわたしは、煙草というものに興味を持ってしまった。そして、高校生にして紫煙を愛好するようになってしまっていた。

 初めはいつだったっけ。きっかけはなんだったっけ。

 ……高校入学を控えた春休みだっけ。

 父の書斎、奥の棚。整然と並べられたり、無造作に積み上げられたりしていた極彩色の混沌の中。

 わたしは何かに引っ張られるようにして、鮮やかに彩られた箱を手に取った。

 最初から煙草を美味しいものだと感じていたわけではない。

 好奇心という強い感情にに全身を駆られて、火を点けて吸いこんでみると、煙が喉の中で大暴れして熱かったし、盛大にむせた。

 げほげほとむせながらも、わたしの嗅覚は煙の中から匂いを感じ取っていた。

 甘い。

 口の中に広がる、メロンの香り。

 後に知ったけれど、海外産のフレーバー煙草というものらしい。多くの人が愉しむ、いわゆる普通の紙巻煙草とは違った。

 たぶん最初からそういう「普通の煙草」に当たっていれば、わたしは煙草を嗜むようにならなかっただろう。

 幸か不幸か。幸運か不運か。

 それから、わたしは幾度か煙草を味わうようになった。

 両親に気付かれた様子はない。それもそのはずで、父の貯蔵している煙草のパッケージは、結構な数になる。いくつかなくなったくらいでは、気にならないだろう。

 だからといって、あまりたくさんくすねると、ばれてしまう。

 メロンフレーバーの煙草を数本消費したころに、わたしは思案した。

 そこで思いついたのが、「特別なこと」に出会えたら、煙草を味わうことにしよう、ということだった。

 自分でもちょっとロマンティストすぎるのではないかと思った。でも、かっこいいからいいのだ。そう決めたのだ。

 多くの喫煙者みたいに、ただ癖で、漫然と愉しむのではなく。

 何か特別なことに出会えたら。

 具体的に挙げるのなら、入学式の日とか、高校で初めて友達ができた日とか。

 直近の出来事なら――そう、立入禁止のはずの屋上で、感動的なほど綺麗な夕陽を眺めたりしたときに。

 本当は人前で愉しむ気なんてなかったんだ。いつもは家に帰って、家族が不在の間に、出来事を反芻しながらメロンフレーバーを咥えた。

 そうすると、紫煙と一緒に思い出が体内に染み込んでいくような感覚があった。

 だけど、あの時、あの屋上では、なぜかその場で染み込ませなければいけない気がした。

 いや、本当はそこまで考えていなかった。

 夕陽を眺めているうちにぼうっとなって、気付けば鞄の中からパッケージとライターを取り出していた。

 本当は彼の前でメロンフレーバーを取りだすことなんて考えていなかった。学校に持ち込むことさえ、普段はあり得ないことだったのに。

 色んな偶然が重なった、と言ってしまうのは簡単だ。けれど本当に偶然に偶然が重なった。

 たとえば、初めて屋上に入った日に夕陽の名残を見たこととか。

 たとえば、夕陽をすべて見られたなら、きっと特別なことになるだろうからメロンフレーバーを持ち込んでみようと思っていたこととか。

 たとえば、彼と話してみようと思ったこととか。

 たとえば、前日は来なかった彼がちゃんと屋上に現れて、彼の内心を吐露してくれたこととか。

 たとえば、本当は彼が帰ってから火を点けてみようと思っていたこととか。

 そんな偶然を経て、その瞬間があって。

 見慣れたメロンの鮮やかなパッケージを取り出し、慣れた所作でそれを咥え、使いなれたライターで火を点けた。

 ……やってしまったなあ、と思う。

 その姿を見せてしまったこともあって。彼にはわたしの「駄目な部分」を見せてしまったこともあって。

 昨日、この公園で色々と喋ってしまった。

 木製ベンチに右手で触れる。ひんやりとした感覚と、乾いた感触が手のひらに伝わった。

 彼の座っていた場所。

 自分のことが大嫌いな彼がいた場所。そこにぬくもりはなかった。当然のことながら。

 まだ冬ではないとはいえ、夜はさすがに風が冷たい。指先が冷えていくのを感じながら、わたしは考えていた。

 自分のことが嫌いで嫌いで仕方がないと言った、彼。

 わたしとは対極にいる人。

 わたしは、誰かを、何かを、嫌いになれることなんて、出来なかった。

 母は父のことを愛して止まなかった。とても仲睦まじい夫婦だと、子どもにして思ったものだ。

 しかし、父の悪癖――喫煙を見る顔だけは違った。本当にひどい顔をした。歪んだ顔をした。

 わたしには、その頃からよくわからなかった。煙草に対しての感情というよりも、何かをしつこく毛嫌いするという感情が。

 そういう感情を何年もずっと持ち続けるというのは、大変な労力なんじゃないのかって、想像した。

 初めはそういうマイルドな疑問だった。何の力もない、小さな棘。

 けれどそれが残した小さな傷は、じくじくと静かに、ゆっくりと膿んでいった。

 大きくなってから、気付いた。

 気付いてしまったから、意識してしまう。

 ああ、またわたしは彼に、彼女に、好意を抱いている。

 ああ、またわたしはあれに、これに、それに好意を抱いている。

 ああ、また。

 誰かに、何かに好意を抱く度に、自分の中の好意を感じる度に、違和感は増大していった。

 わたしは誰かを嫌いになることがなかった。

 わたしは誰かを嫌いになれるのだろうか?

 わたしは何かを嫌いになれるのだろうか?

 気付けば、穴は大きく広がっていた。

 自分のことは好きだ。

 けれど、嫌いになることができない自分が、自分を嫌いに思うことができないだけで、それは本当の好意なのだろうか。

 わたしが誰かに好意を抱くことで、他の誰かも必ずわたしに好意を抱いてくれる。

 不思議なことに、わたしは嫌われたことがなかった。

 わたしを嫌いになってくれる人なんて、いなかった。

 わたしは、彼らにも好意を強いているのではないだろうか。彼らの中にも、好意しか存在しないのではないだろうか。

 世界に愛されているのも、わたしが世界を愛することしかできないために、愛されているだけなのではないだろうか。

 嫌うという選択肢がないから。

 自分が信じられなくなった。

 他人も信じられなくなりつつある。

 信じられない自分と同時に、信じている自分も存在する。

 わたしは矛盾している。

 矛盾しながらも生きている。

 だからわたしは今、生きているのが楽しかったとしても――


 いつか、自ら死を選ぶのではないかという気がしている。


5... end

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