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クラシック小爆発!【エッセイ】


 一九九〇年代のと或る冬の日、大阪市淀川区西中島の横断歩道を渡った所で、別れ際にクミさんが言った。
「今度アシュケナージを聴きに行くんですよ」
「え? あしゅ‥‥? 何ですかそれ」
 聞き返す私。
「ピアニストですよ」

 ウラディーミル・アシュケナージは、二十世紀後半を代表するピアニストの一人である。指揮者としても著名な彼は、来日も頻回に渡っており、クラシック愛好家でなくてもその名を知っている人は多い。それほど有名なアシュケナージを、私は知らなかったわけだ。

 クミさんと私は小学校の同級生だった。正月の同窓会で二人とも大阪に住んでいることを知り、一度会って積もる話でもしようということになったのだ。お互いもう若いとは言えない年齢になったけれど、彼女も未だ独身だったから、誘ってもいいだろうと思ったのだ。
 私は小学校一年生の時にピアノを習いかけたことがある。姉の付録のようなものだったが、同じ先生の所にクミさんもレッスンに来ていた。私は三カ月しか続かなかったが、クミさんはかなり長く頑張った筈だ。その頃の思い出話の最後が冒頭の会話だった。

 話し足りなかったな‥‥帰りの電車の中で私は独り思った。クラシックか‥‥ほとんど聴いていないな。もっぱら喧しいロックとわけ分かんないノイズと‥‥ジャズピアノなら少しは聴いてるけどなあ。
 いや、待てよ、例外が一つあるぞ。作曲家のモーリス・ラヴェルだ。

 あれは二十代始めの頃、ラヴェルのピアノ曲をアレンジしたジャズの演奏を聴いて興味を持ち、廉価盤の『ラヴェル・ピアノ曲集』を買ってみたのだった。
 ジャズのゲイリー・バートン(Vib.Pf.)が取り上げていた『プレリュード』や、『ソナチネ』や『亡き王女のためのパヴァーヌ』は佳曲だった。『古風なメヌエット』てのも良かったな。『水の戯れ』が大好きだったし、組曲『夜のガスパール』の一曲目『オンディーヌ(水の精)』、こいつは飛びっ切り!!!だった。ラヴェルこそは芸術家だ! なんて心の中で叫んでたじゃないか。あのLPは郷里の実家に持ち帰ったまま、もう長いこと聴いていない。

 急にラヴェルのピアノ曲が聴きたくなった私は、後日、梅田のクラシック専門のCD店に赴き、アシュケナージがラヴェルを弾いているCDを購入した。いちばん聴きたいのはやっぱり『オンディーヌ』だ。
 ところが、聴いてみると昔日の感動があまり甦って来ない。テンポが少し速過ぎる? アシュケナージの上手さが却って私には合わなかったのかも知れない。じゃあ他のピアニストの演奏を聴いてみよう。
 こうして私のクラシックCD専門店通いが始まった。ラヴェルのピアノ曲集ではこれが定盤と言われているものを始め、十人以上のピアニストの『オンディーヌ』を聴き、終いには私なりのお気に入りを見付けた。旧ユーゴスラビア出身のピアニスト、イーヴォ・ポゴレリチだ。

 ところが、事はラヴェルだけでは終わらなかったのだ。ショパンにドビュッシーにサティに高橋アキ‥‥CD店内で気が付いてみれば、眼の前には何と広大かつ深遠、そして妖しい魅惑ムンムンの宇宙が広がっていることか。

 なになに古楽だって? そうだ、第二の例外。YMOの坂本龍一がプロデュースした、ダンスリーという日本の古楽グループのLPを、以前レンタルで聴いたことがあるぞ。あれけっこう面白かったな。今度は本場の古楽を聴いてみよう。
 ソプラノ歌手のエマ・カークビーがリュートをバックに歌う、ジョン・ダウランド作曲『Flow my Teares(流れよわが涙)』や、セクエンツィアという古楽研究グループを知ることが出来たのは僥倖と言うべきだった。トルヴェールやトルバドール、つまり十一・十二世紀の吟遊詩人達はどんな歌を歌っていたんだろう。同じ頃、ライン河畔の女子修道院長にして神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンが作った聖歌って、一体どんなのだろう。たまらなく聴いてみたい。

 セクエンツィアは古代北欧歌謡『エッダ』の復元にも取り組んでるのか。あの『巫女の予言』のくだりはどんなふうに歌っているんだろう、などと胸ワクしながら隣の棚を見ると、そこは現代曲のコーナー。第三の例外。 
 昔、大学祭で上映された映画『怪談』(小林正樹監督)の音楽がえらく面白かったのだ。作曲は武満徹だ。すぐにLPを探して、『弦楽のためのレクイエム』や『ノベンバー・ステップス』等も聴いてみた。プログレッシヴ・ロックのリスナーも惹かれそうなイケてる音楽だった。久し振りにCDで聴き直してみよう。
 他には‥‥おお、クロノス・カルテットはロックの最高峰ジミ・ヘンドリックスの『紫のけむり』を弦楽四重奏でやってるぞ!

 そんな感じで現代曲のCDを漁っていたら、細川俊夫の名前が眼に入った。あれ? どこかで聞いたことのある名前(俳優じゃなくてw)‥‥思い出した! 私は中学三年生の時、同級生のロックバンドに飛び入りして演奏したことがある。その時に快くエレキ・ギターを貸してくれたそのバンドのギタリスト、細川君の弟さんじゃないか。広島県出身。何と! ドイツを拠点に世界的な作曲家への道を歩んでるんだ。聴いてみるとこれぞ現代音楽。つまり武満徹以上に前衛的なんだけど、強烈に惹かれるものがある。細川俊夫の音楽とはこれからも付き合って行くことになりそうだ。

 お次は宗教曲コーナー。第四の例外。これはレンタルで観た恐怖映画の『エクソシスト3』がきっかけだ。エンディングロールにとても静謐かつ美しいコーラスが流れていた。エンドクレジットをメモして調べてみると、後期ルネサンスの作曲家オルランドゥス・ラッススのミサ曲だと判った。こんな名前聞いたことがないや。このラッススの別作品を、タリス・スコラーズという男女混声の声楽アンサンブルが歌っているCDを見つけた。これも絶品だった。
 ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの聖歌の時にも思ったけど、宗教音楽に惹かれるのはどういう訳なんだろう。『グレゴリオ聖歌』から聴いてみよう。バッハの『マタイ受難曲』は長大過ぎて寝てしまったけどw。

 サミュエル・バーバーの『弦楽のためのアダージョ』も飛びっ切り!!!だ。『菩提樹』はウィーン少年合唱団のよりレーゲンスブルク少年聖歌隊の方が一般受けしそうだな。お、アフリカ系女性オペラ歌手のジェシー・ノーマンはゴスペルも歌ってるぞ。あのCDも欲しい。こっちのも聴きたい。ATMの預金残高を見るのが恐くなって既に久しい。
 クミさんと会った日から一年が経ち、再び冬が来ていた。私が大阪を離れる日が間近に迫っている。最後にもう一度クミさんと会おう。会って去年話せなかったことを話そう。

 クミさんは再び誘いに応じてくれた。私はクミさんに、あなたは私の初恋の人だったと話した。これはまだ前置きだ。
 そのことが原因となり、中学時代、私はクミさんにちょっとした迷惑を掛けたことがある。いや、正確には、迷惑を掛けた出来事が本当にあったのか無かったのか、それがはっきり分からないまま長い時間が過ぎたのだ。クミさんとは中学から別だったし、私のいない所で、私のクミさんへの気持を知る第三者によって引き起こされた(らしい)出来事だったからだ。彼女に事の真偽を確かめて、その時彼女がとても不愉快な思いをしたのだったら、今ここで謝罪をしたいのだ。

「もう昔の事だから忘れてしまったわ‥‥」
 クミさんは微笑みながらそう言った。

 車内放送が新幹線の発車を告げている。
 クミさんと会ったことがきっかけで、私はクラシック音楽に以前よりも深く親しむことが出来るようになった。もちろん本格的な愛好家に較べれば、まだまだクラシック宇宙ビッグバン!!!と言うわけにはいかない。小爆発が起きて、辺境の銀河が二つ三つ出現したに過ぎない。それでもこの上なく素敵なものだ。

 夜の大阪平野を新幹線が加速して行く。

 ありがとう。

 遠ざかる街の灯を新幹線の窓越しに眺めながら、私は心の中でそっと呟いた。



*エッセイ誌『R』No. 89掲載作品を推敲・加筆。

🎻🎹🎻

モーリス・ラヴェル

↓↓↓ゲイリー・バートンと小曽根真(Pf.)の『プレリュード』

*ラヴェルのもう一つの『プレリュード』(入試用)をネタにした作品はこちら。↓↓↓


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