いじめから生き延びた話

集団生活に挫折したのは、小学2年生のとき。
初めて自ら死を望んだのもこのとき。

出る杭は打たれる。ことを知りました。
(言葉は後になってから知りましたが)

1年生のとき、運動会で各学年クラスから男女ひとりずつ足の速い子が選出される選抜リレー。

最後のプログラムで、皆が注目する目玉競技。

目立つことに抵抗がなかった当時の私。
皆の全力の応援を受けるその競技に出たいと思いました。

脚はそこそこに速くて、2年生のとき希望通り選手になれた。
けれども、その日から補欠の子とその取り巻きからのいじめが始まりました。

最初は気のせいかなと思っていましたが、休み時間筆箱を出したままトイレに行って教室に戻ると、なぜか私の筆箱をその子達が覗き込んでいて、その直後モノが失くなっていたり。

皆で顔を突き合わせて、時折私の方を見ながらヒソヒソ話をしていたり。

すれ違い際にわざとぶつかられたり。

もちろん『死ね』とか『消えちゃえばいいのに』なんて言われたことがあります。

でも、私は生き延びた。
※死を決められなかったというのもありますが。

そうして、出会った曲がある。

TOKIO の宙船って歌詞にあるじゃないですか。

お前が消えて喜ぶ者に
お前のオールをまかせるな

って。

自分が死んだって、喜ぶのは私が消えることを望んでる人。
自分が存在することが、その人に取って嫌な事ならだったら全力でその人の前に存在してやろう。

って思ってしまったワケです。
(この頃から思考回路が捻じれています(笑))

ただ、こうしたことが巡り巡って、自分の人生は自分のモノ、何かを始めるのも辞めるのも、自分に関わるものは自分で決める。という、強過ぎる自立心が目覚めてしまいました。

いじめから生き延びた話

もしも、誰に届くのなら。


どうして、誰かの為に死なないといけないの?

自分の、身も心も、時間も。
全部自分のもので、自分で決めて良い。

そう、伝えたい。

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