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小早川隆景に学ぶ交渉術 その3「豊臣秀吉の申し出を後腐れなく断れ」

「謀略の神」と呼ばれた毛利元就の息子で、元就が安芸(現在の広島県)の一地方領主から中国地方の覇者へと昇り詰めるのを助け、元就の死後はその後継者である輝元を支えた小早川隆景(こばやかわ たかかげ)。

豊臣秀吉や黒田如水(官兵衛)からも一目置かれた智将であり、活躍したエピソードには事欠かない人物ですが、その生涯を追いかけながら「交渉」という切り口で隆景の魅力に迫ってみたいと思います。

その1、その2はこちらからどうぞ。

豊臣秀吉の憂鬱

本能寺の変によって生じた大混乱をなんやかんやして収拾した秀吉は、その軍事力に加え、朝廷から貴族の最高位である「関白」に任ぜられ、名実ともに日本における最高権力者に昇りつめました。

順風満帆に見えた秀吉ですが、しかし彼には大きな悩みがありました。それは子宝には恵まれなかったということ。
そのため秀吉は後継者候補として何人かの養子を迎えていましたが、50代も後半になっていた秀吉はさすがにもう実子は望めないと諦めたのか、1592年になると養子のひとりで姉の子(つまり甥)である秀次に関白の位を譲り、彼が後継者として確定したことを内外に示します。

しかし翌1593年、秀吉にまさかの男児が生まれます。茶々(淀殿)を母に持つ、後の豊臣秀頼です。

こうなると、秀吉としては何とかしてわが子を豊臣家の後継者にしたい。
かといって秀次を始めとした養子たちをないがしろにするわけにもいかない。何か良い方策はないだろうか?

そんな中、秀吉の腹心である黒田如水(官兵衛)が小早川隆景を訪ねてこう言いました。

「秀俊(ひでとし)様を、毛利家の養子に迎えるというのはいかがでしょうか?」

1594年のことでした。

登場人物紹介

ここで登場人物を整理してみます。

豊臣秀吉(58歳)
・関白の地位こそ秀次に譲ったものの、絶対権力者として君臨中

毛利輝元(42歳)
・毛利100万石の当主だが、叔父である隆景には頭が上がらない
・実子なし

小早川隆景(62歳)
・秀吉に引き抜かれて直属の大名となったが、相変わらず毛利本家のことは気にかけている
・実子はなく、異母弟である秀包(ひでかね・27歳)を養子に迎えていた

豊臣秀俊(12歳)
・秀吉の正室(寧々)のお兄さんの子(秀吉の甥)
・秀吉の養子となり、関白を譲られた秀次に次ぐ扱いを受けていた

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つまり黒田如水の提案は

「継承順位2位の秀俊が他家の当主になれば、後継者争いから外れて秀頼への権力継承を妨げる要因が減る。毛利100万石であれば養子先として申し分ないし、輝元は実子いないから問題ないよね?」

というものだったのです。

驚いた隆景

驚いたのは隆景です。

毛利家は鎌倉時代から続く名家。口にこそできませんが、農民出身(諸説あり)の秀吉の縁者を後継者に迎えるなどとんでもない。

だいたい秀吉の養子を当主に迎えるということは、毛利家が事実上秀吉に乗っ取られることになってしまうではないか……と、これは隆景自身が養子となって小早川家を乗っ取っているので、説得力がはんぱないです。

それに輝元はまだ40代前半。これから実子が生まれる可能性は十分に考えられます。

というわけで、隆景からしてみれば断る理由しかないのですが、むげに断って秀吉の機嫌を損ねれば、どんな不利益を被るか分かったものではありません。後の話になりますが秀吉は、後継者問題に絡んで関係性がこじれにこじれた秀次に対し、本人を切腹させた上に妻子を処刑するという過酷な処分を下しています。

つまり「養子の件は断る」「秀吉の機嫌も損ねない」。両方やらなくっちゃあならないってのが、隆景のつらいところだったのです。

秀吉の目的は?

隆景が最初に確認したのは、秀吉がこの件にどこまで関与しているのか、ということでした。

もしも秀吉が「秀俊を毛利家に」と考えているのなら、残念ながら抗う術はありません。養子に迎えるのはやむを得ないとして、少しでもこちらが有利になる条件を引き出すための交渉をすることになります。

しかし秀吉が「秀俊どうしようかなあ。どこかに養子に出そうかな?」くらいにしか思っておらず、上司の意をくんだ黒田如水が「それなら毛利家はどうだろう?」と打診してきただけなのだとしたら?
その場合は、養子縁組を回避する術は残されています。

はたして、今回は後者でした。しかし、もしも黒田如水が秀吉に「秀俊を毛利家の養子に」と伝え、秀吉が乗り気になってしまったら取り返しがつきません。

時間との勝負です。

隆景、動く

すかさず隆景は動きました。

秀吉に面会の約束を取り付けると、開口一番こう言ったのです。

「突然ですが、秀俊さまを、わが小早川家の養子にいただけませんでしょうか。もちろん、次期当主として」

「ほんとに突然だな!? 秀包はどうするのだ?」

秀吉は小早川家に秀包という後継者がいることを知っていました。
知っているどころか秀包は容姿が端麗ということもあり、秀吉にずいぶん気に入られていました。

「そこはなんとかしますんで」

「なんとかって、おまえ」

驚きはしたものの、秀吉にとっては渡りに船の申し出。話はとんとん拍子に進んで養子縁組は成立。秀俊は小早川家を継ぎ、秀秋を名乗ることになったのです。後に関ヶ原の戦いで東軍勝利を決定づけることになった、あの小早川秀秋です。

もちろん隆景は、秀俊を小早川家の養子に迎えたかったわけではありません。秀俊を毛利本家に押し付けられるくらいなら、小早川家で引き取ろうというわけです。

そして毛利本家の血筋である秀元(輝元の叔父の子)を輝元の養子に迎え、毛利家の後継者問題も決着させたのでした。

一方、小早川家の後継者の座を追われた秀包ですが、秀吉も隆景も気の毒に思ったのか、別家を立てて大名として独立することを許されました。独立した時点での石高は分かりませんが、関ヶ原の戦い時点では13万石を領していたので、それなりの配慮がされていたものと思われます。

これが勝利の鍵だった

かくして隆景の活躍で毛利家は秀吉の機嫌を損ねることなく、乗っ取りの危機を回避することができました。それどころか隆景の申し出に喜んだ秀吉は、隆景の官位を引き上げることでこれに報いています。

つまり隆景は「養子の件は断る」「秀吉の機嫌も損ねない」だけでなく、「秀吉に恩を売る」までやってのけたのです。

それを可能にしたのは

1.黒田如水の
2.「秀俊を毛利家の養子に」という申し出

に対して慌てて反応することなく

1.豊臣秀吉の
2.秀俊を養子に出せたらいいなーくらいに思ってるだけ

という思惑を探り、先手を取ったことが大きな要因でした。

つまり、交渉においては目の前に見えているものだけに囚われるのではなく

1.誰を交渉相手にするか
2.その本当の目的は何か

を押さえることが極めて重要です。これこそが、私たちが小早川隆景から学ぶべき交渉の要諦です。

実際のところは

以上が小早川隆景が秀秋を養子に迎えた顛末とされていて、小早川隆景の知恵者っぷりを表す有名なエピソードです。
が、実は1592年の時点で輝元は秀吉に対し、秀元を後継者にした旨を公式に報告しています。つまり1594年になって「秀俊を毛利家の跡取りに」とゴリ押しするのは、さすがの秀吉にも無理でした。

ではなぜ「小早川秀秋」が誕生したのかというと、隆景が自ら望んだものであったという説が唱えられています。それによれば

・泥沼化しつつある朝鮮出兵、秀吉の寿命、秀頼誕生による豊臣家の後継者問題など、混乱の種は尽きない
・隆景が守りたかったのはあくまで毛利本家とその本領(中国地方)
・当時の小早川家の領土は北九州にあったため、毛利領に戻って非常事態に備えたい
・小早川家を秀俊(秀秋)に譲れば自身は身軽に動けるようになるし、秀吉にも恩を売れる

というもので、実際にその通りになっていますし、なるほど説得力のあるものです。

どうしてこうなった!?

ではどうしてこんなエピソードが広まってしまったのか。

実はこのエピソードは、『陰徳太平記』『黒田家譜』という二つの資料に掲載されているものです。

『陰徳太平記』は1717年に完成した、戦国時代の中国地方を描いた軍記物語。成立には吉川家(隆景の兄・吉川元春の子孫)が関わっていました。

『黒田家譜』は1688年に完成した黒田家の公式歴史書なので、如水をはじめとした黒田家の皆さんのことは徹底的に持ち上げています。そして隆景は黒田如水が「あの人ほど賢い人を見たことがない」と一目置く智将だったのです。

というわけで『黒田家譜』が「天才軍師・黒田官兵衛が尊敬した」小早川隆景の活躍を良い感じに捏造し、『陰徳太平記』(※歴史書ではなく軍記物語)がそれに乗っかった、といった事情が推測できます。

まとめ

というわけで、とりあえず

「われわれが知っている歴史なんて資料や遺物から推測したモノに過ぎないので、実際のところがどうったかなんて分かったもんじゃない」

というのが声を大にして申し上げたいことなのですが、この記事は「小早川隆景に学ぶ交渉術」なので、その観点でその1からその3までをまとめると

まず「その1」からは「交渉においては内容も大事だが、誰が交渉を担うかも大事」であるということ

「その2」からはBATNAの重要性を

そして今回の「その3」からは、交渉相手とその目的を見極めることの大切であるということ。

小早川隆景から学べる交渉の要諦は、こんな感じじゃなかろうかというのがシリーズを通してのまとめでした。

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