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幼少期の話。

幼少期。
生まれてから実家を出るまで。
0歳から19歳まで。

早めだが、正直に言うと楽しかった記憶より辛かった記憶の方が多い。
きっと今後も含めて私の中で1番いい子で気を遣っていた時期だと思う。

母はかなり教育熱心な人だった。
小学校の中で1番家が遠かった私は、毎日1時間ほど歩いて下校したあと、実家の隣にある父方の祖母の家に行き宿題や勉強をした。
小学生の頃の平日に友達と遊んだ記憶がない。
晩ご飯の時間になっても宿題が終わらないのだ。
焦りと苛立ちを感じながら宿題をこなしていた。

宿題は母が必ずチェックしていた。
これがかなり厳しい。
あくまで過去の話だと理解した上で読んでほしいのだけれど。
気に食わないところがあると手が飛んできた。
ものも飛んできた。足も。
内容が適当だったとノートを燃やされた時もあった。
そんな感じの放課後だった。

中学受験をさせられ、地元の友達と離れ知っている人が誰もいない中学校に入学した。
定期テスト。
恐ろしい。
定期テスト前も後も恐ろしかった。
進みの早い中学の勉強に、片田舎から出てきた塾にも通ったことのない子がついていけるはずが無かった。
田舎の小学校で神童だった私は一気に劣等生へ。
成績至上主義の学校では白い目で見られた。(感じがした。)
母には結果が返ってくるたび叩かれた。

母はかなりヒステリックな性格で、感情のコントロールが苦手そうだった。
一度怒りだしたら自分でもどうしていいのか分からなくなる。止まらない。
仕事や対人関係のストレスを家に持ち込んで発散する。なんとなく危うい人。そんなイメージ。
ずっとエウレカセブンのエウレカに似てるなって思ってた。
母のご機嫌を伺う日々だった。

父は私たちより母と付き合っている時間が長い分、どこかもう諦めているような感じだった。
母のヒステリーが始まるとそれが収まるまでじっと耐えていた。ただ、それなりにストレスも溜まるようでたまに私らにぶつける時があった。

これだけ書くとすごく殺伐とした家庭のようだけど、ちゃんと旅行に行った記憶も部活の送り迎えをしてもらった記憶もある。
だけどやっぱり辛かった。

大学生になって初めて「毒親」と言う言葉に出会った。なんて危うくて甘美な言葉。

そんな言葉一つで幼少期の記憶を整理できたらどんなにいいだろう。

定義もあやふや。
誰が決めるの?

私の親が毒親だったとは言いたくない。

確かに辛かったけど、金銭的な苦労をさせられたことはないし、大学にも行かせてくれた。
習い事もさせてくれた。
ただ余裕がなかっただけ。
私は自分の親を毒親だと言いたくない。

言いたくないけど、使ってみたい。
本当に本当に辛かったから。
放課後は友達と遊びたかったから。
宿題もみんな適当にやってたから。
英検とかみんな知らなかったから。
なぜ怒っているのか分からなかったから。
なぜ叩かれないといけないのか分からなかったから。
夜中まで泣き叫んで許しを乞うのキツかったから。
そのあと腫れた目で学校行くの恥ずかしかったから。

幼少期の記憶のおかげで人の感情に少しだけ敏感になれた。
ただそれによって自分の行動を変える素直さは無くなってしまった。
それでいいかも。


あんなに逃げ出したかった母と今二人暮らしをしている。
不思議。
そこそこ上手くやっている。
不思議。

お互いに少しだけ大人になれたのかもしれない。

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