もちもち盲腸

鬱の時じゃないと話面白くない。

もちもち盲腸

鬱の時じゃないと話面白くない。

最近の記事

私vs未来の私

以前記事にもしたが、私の母はとてつもない教育ママであった。 今母と2人暮らしをしているが、20もすぎていまだに母が不機嫌だと緊張してしまう。 そんな母と最近話をしていて驚いたことがあった。 母は自身の幼少期の話をする時、いつも 「私が小さい頃はお母さんが厳しくて、家に帰ったらずっと家事をさせられてた。しかもお金もそんなになかったからあまり贅沢もできなかった。気に食わないことがあると母からも父からも暴力を受けた。」 と話す。 かなり厳しい環境下で育てられたことを何度も何度も

    • 鬱は大人の嗜みらしい。

      鬱は大人の嗜みとリリーフランキーかオダギリジョーが言ってた。嬉しい。 病みやすい私には救いの言葉だ。 あんまり大きくない嫌なことが多めに重なったここ数日。久しぶりに希死念慮とこんばんはした。 病んでいない時にはあまり思い出さない友人のことを思い出す。彼は過去傷ついて良くないものに手を出し始めてしまった。 普段はあっけらかんとして楽観的な彼が、自身の人生を憂いるときに出す低い声が好きだった。 病んでいないとなぜ彼がそんな悪いものに手を出し始めてしまったのか全く分からない。

      • お祈りの話。

        3ヶ月前に別れた彼氏とは4年間付き合っていた。 みんなには4年間って言ってるけど、本当は3年くらいだっかもしれない。あまりこだわりがないから正確なことは覚えていない。 まさか、別れるとは、と周りも自分も思ってなかった。それくらい真剣に大好きだった。 真剣に人を好きになってみて、初めて知ったことの中にその人を失うことの怖さがあった。 失う=別れる ではなくて 失う=死んでしまう です。(死だけに笑) 私の中の1番怖いことが好きな人が死んでしまうことになった。 そこで、私は毎

        • 左右盲の話。

          私は左右を一瞬で判断するのが苦手だから、 毎回右手のペンだこを触って確認してます。 力みに力み続けて、文字を書き続けて。 小学校高学年あたりでペンの持ち方が変だと気づいたけど、もう引き返せなかった。 鉛筆にくっつけて使う矯正器具みたいなのも、 上手く力が入らずすぐに取ってしまった。 今思えば、あれは力が入らなかったというかあのくらいで書けばよかったってことなんだろう。 右手の中指の第一関節にできた硬いペンだこ。 君にも役割があったんだね。

          私は、激キショ特定厨です。

          懺悔いたします。 私は、激キショ特定厨です。 心が弱ると深夜に四柱推命を調べだす女でもあります。 悪いとは分かっているんです…。 でも知りたくて…。その人の情報が欲しくて…。 だからといって誰でも特定する訳ではありません。気になる人、68%くらい付き合いたい人のことを永遠と検索してしまうのです。 中途半端に賢い頭がここで発揮されてしまいます。妙に鋭い私の勘。様々な情報をもとにいろんなSNSのアカウントを特定してしまいます。 よくない、ほんとに良くない。 私に教えてない

          私は、激キショ特定厨です。

          23歳、勾玉をつくる。

          私の少ねぇ少ねぇ友人の中の1人とお泊まりした。 本当はその日男とお祭りに行く予定だったのだけど性格がタイプじゃなかったからやめた。 ここで少し、友人について。 仮に友人Hとしよう。 友人Hは本当に本当に変なやつである。 どこがどう変かというと、協調と頑固の配合が絶妙なのである。 どういうことかというと。 私より確実に上手に女社会を生き抜くだけの技術を持っているのに、稀にとんでもない変態ちっくなことをしでかすのである。 私は彼女のそういうところが本当に大好きだ。 本人には言

          23歳、勾玉をつくる。

          幼少期の話。

          幼少期。 生まれてから実家を出るまで。 0歳から19歳まで。 早めだが、正直に言うと楽しかった記憶より辛かった記憶の方が多い。 きっと今後も含めて私の中で1番いい子で気を遣っていた時期だと思う。 母はかなり教育熱心な人だった。 小学校の中で1番家が遠かった私は、毎日1時間ほど歩いて下校したあと、実家の隣にある父方の祖母の家に行き宿題や勉強をした。 小学生の頃の平日に友達と遊んだ記憶がない。 晩ご飯の時間になっても宿題が終わらないのだ。 焦りと苛立ちを感じながら宿題をこなし

          幼少期の話。

          コンシーラーが手放せない話。

          コンシーラーが手放せない。 大学に入り、自由にメイクをして良くなった時点から。 人よりも隠さなければならないものが多いのである。 記憶が定かではないが、中2あたりから肌がめちゃくちゃ荒れてた。今考えると、あの肌ですっぴんで学校に行ってた時代があると考えただけで十分命を絶つ理由に値すると思う。 なんとかしたくて、せめて人並みになりたくて色々試してきた。 だけど、一時的に緩和することがあってもコンシーラーが手放せるほど、カバー力の高いファンデを探さなくていいほどに改善した試しは

          コンシーラーが手放せない話。

          羽田で3時間読書した話。

          ダンスパーティに行った。 ダンスパーティ前も中も後も悶着があったけど、時間がかかりそうだからまた後で書く。 土曜がダンスパーティだったから、日曜は夕方まで観光するつもりだった。 でも悶着があったせいでほとほと疲れ切って、あと暑すぎて干からびて、結局丸善に行って檸檬だわとウヒウヒした後「アルジャーノンに花束を」を買って昼前に羽田に向かった。 ほんとに何もしてないな、日曜。 美術館とか行きたかったけど、オシャレ成分が土曜のうちに飽和しちゃってどうしようもなかった。どこかでも

          羽田で3時間読書した話。

          つれづれなるままに。

          文章を書いた経験はないけど、こんなの書いてみていいのかしら。 亜和さんの書く文章がとても面白くて書きたくなっちゃった。 でも、あんな感性も、経験も、思考も持っていないパンピーだからな。まあいいか。そんなもんでしょ。 今日考えたことでも書いていこうかな。 誰か憧れとまではいかないけど、この人に嫌われたくないなっていう人がいるじゃない。その人に説教をされたのね。それがずっと頭にあって、凹んでいるところです。 ほんとにすげぇ凹んでる。 そこまで言わなくていいじゃん。 というかそ

          つれづれなるままに。