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#8 遺伝子

引っ越ししたい。

一人暮らしを始めて、これまでに12回引っ越ししている。できれば半年ごとくらいのペースで居を変えたいけれど、手続きの煩わしさと金銭的な問題から仕方なく我慢している。

特に「手続き問題」は切になんとかしてほしいと願う。行政的なものばかりでなく日常生活に必須のライフラインも、個人(人)と場所(土地)の情報の変化に敏感だ。「僕がどんな場所に住んでいるのか」を明らかにしなければ、暮らしが成り立たない仕組みになっている。この社会はあらゆる局面で、「わたくし」と「場所」が不可分なシステムだ。大嫌いだ。

国も民間も、人と場所を結びつけて、がんじがらめにするのが好きらしい。上京以来、この見えない切れない鎖に不自由を感じ続けているのだけれど、管理したがりが多いのか、されたがりが多いのか、この不自由さをなかなか共感してもらえない。

「場所から解放されたい」という思いは募るばかりだ。いまの社会は家畜感甚だしい。ずーっと首輪をつけられている気分である。解放されたいと願っているのに、この10年、20年で自由になるどころか「鎖」はますます強固になり、その数も増えている。ドS管理社会だと思う。

鎖をぶった斬る方法もないわけじゃない。何人か、そうした人に会ったこともある。けれど、この“縛りたがり社会”でそれをすると、途端に「非人間的生活」を強いられることになってしまう。あらゆる契約は結べなくなり、個人の名前すら意味を持たなくなったりする。ヨハン・リーベルトのように賢くて美しい容姿をしていれば、それでもなんとかなるのかもしれないけれど。

ヨハンじゃなければ、住所がないと何もできない。10万円の定額給付金が住居を持たないホームレスに行き届かなかったことを考えれば、少しは想像しやすいだろうか。この社会は、「その人」よりも「場所(土地、住所)」が重要なのだ。人ではなく場所に、給付金は払われるのである。人より場所が優越するなんて、気持ち悪い。

このキモさに共感する人を増やすために、今日は書こう。管理されることに、家畜化されてしまっていることに、一欠片の違和感も抱くことのない人たちに向けて。

まずはイメージしてほしい。

人類はアフリカで誕生したのに、とっくの昔にアフリカ大陸を旅立って、いまや地球上のありとあらゆる場所に生きている。

なぜか。

それは、この400万年史において、「遊動(移動)する人類」と「定住する人類」がいたからだ。

もし遊動する奴がいなければ、人類はグレートリフトバレーでわちゃわちゃやってるだけだったろう。そして人類史のほとんどの期間において、つまり現生人類のほとんどが、遊動するのが当たり前の状況にあった。ちなみに、人類が「定住」したのは農業革命以降ではない。人口を賄えるだけ狩猟採集に適した場所が見つかれば、定住したからだ。

人類はなにも、いきなりアフリカから南アメリカの南端まで何万キロもの移動をこなしたわけではない。ちょっとした安息地での定住と、さらにその先への遊動/移動を繰り返し、徐々に居住エリアを拡大してきた。安息地を切り拓く人類と、その先へと遊動する人類。二つのタイプの人類がいたからこそ、いまがある。

ではなぜ人類は遊動したのだろう。この問いの回答には諸説ある。

ひとつは、自然環境の変化や獲物(動物)の移動に伴って移動した、という説。もうひとつは人類同士の争いによって土地を追われた結果、移動したという説。どちらも正しい。しかし、すべてではない。

たしかに、自然環境が変わり水場が枯渇したら、新たな場所を求めて旅立たないといけない。獲物となる動物たちが移動したら、人類もその跡を追わなければ生きられない。それに、ある程度のグループ同士でナワバリ争いが起これば、追いやられてしまう者もあっただろう。

これらの説はいずれも、「遊動せざるを得なかった説」「やむなく遊動を繰り返した説」といえる。消極的理由による遊動、ということだ。そのせいか、人類は定住することができるようになった、遊動する必要がなくなった、だから定住のための管理は必要だ、と当然のように考えてしまうのかもしれない。こうしたエセ進化論信者たちへの再教育が必要だ。

人類が遊動した第三の理由に、「好奇心」がある。

大型フェリーなどではなく、5トン船よりも小さな船で少しでも外洋に出たことのある人なら、想像に容易いだろう。その海を、木をくり抜いただけの帆船で渡ることの無謀さを。

あるいはタクラマカンやサハラを歩いたことのある人なら、次の水場がどこにあるのかわからないまま一歩踏み出した先人がいることに、想いを馳せてもらえればいい。

チベットに行ったことのある人なら、4000メートルを超える荒れた高地で生きている人たちが、どこから来て、なぜそこに暮らすことを決めたのか、理由を考えてみてほしい。

経験的に想像できないなら歴史からイメージしよう。大航海時代に大西洋を横断した連中が、その先、何があるのかわからないのに、死を厭わず大海に漕ぎ出したわけはなんだろうか、と。

そこには「遊動せざるを得ない」という消極的な理由ではなく、「いっちょ行ってみっか」という馬鹿げた好奇心、つまり積極的な、イケイケな動機があったはずである。

人類にこの積極的な遊動、好奇心がなければ、途方もなく高い山脈を越えることも、灼熱の砂漠を渡ることも、荒れ狂う海を航海することもなかった。好奇心があったからこそ、人類は地球上にくまなく分布することができたわけだ。

ならば、わたしたちの身体のなかには、このように「どうしようもなく遊動しなきゃ気がすまない遺伝子」も組み込まれているはずである。

定住民遺伝子と遊動民遺伝子。現代人はこのハイブリッドである。定住するのが当たり前だと疑うことない人たちの身体にも、ひとところに留まらず、その先へ、先へと遊動せざるを得ない調査兵団型遊動民遺伝子が刻み込まれている。
「わからないなら、行って、見てみよう」。そう語る、エルヴィン団長やハンジ分隊長は、この遊動民遺伝子が強く発現したタイプということ。

遊動を求める遺伝子情報は、すべての現代人に刻まれている。しかしいつからか、定住遺伝子が優越する社会になってしまった。自分で自分に定住民族だと自己暗示をかける民衆が増え、あるいは洗脳され、定住民族が支配する社会になってしまった。その結果、遊動民族が迫害されていることに、定住民族は気づきもしない。息をするように、まばたきをするように、意識することなく遊動民族を傷つけ続けているのに。だからここに、遊動民を代表して、僕が反旗の声を上げたいと思う。(to be continued…)

さて、妄想が過ぎた。

しかしこのふざけた妄想にも、捨て置けないだけの根拠がある。ホームレスにも、「定住型」と「移動型」のライフスタイルがあるからだ。

定住型はわかりやすい。ブルーシートや拾ってきた建材を利用したテントのような住居に暮らすホームレスだ。拠点を設けて、生きる。定住民遺伝子に従うホームレスたちである。

しかし、都会には特定の拠点を設けずに生きるホームレスがたくさんいる。日がな一日動き回り、歩き回り、夜は眠れる場所を見つけて野営する。都会の人波にまぎれて生きるホームレス。普段、どこにいるのかもわからない、遊動民遺伝子に従うホームレスである。

この遊動ホームレスを、「トーキョーサバイバー」と名づけた。僕がこれまで話を聞いてきたホームレスの多くも、遊動ホームレス=トーキョーサバイバーである。

正直に告白すると、僕は、彼/彼女らの「遺伝子に従順な定住しない生き方」に、密かな憧れを抱いてしまっている。定住しないなんて、うらやましいじゃないか。

ああ、引っ越ししたい。次はどこに行こうかなぁ。



遊動型の生き方をしているホームレスの人たちの声が詰まった『トーキョーサバイバー』。本書出版のためのクラウドファンディングの締め切りは、本日までです。駆け込み支援、ぜひ!



追記:クラウドファンディングは皆様の温かいご支援のもと、SUCCESSし終了いたしました。ご協力・ご支援いただきました皆様、誠にありがとうございました。うつつ堂代表 杉田研人拝(2022/3/17)

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