子供を生みたいというエゴ

#子育て #結婚 #家族 #生き方 #ライフスタイル

私は独身で、それなりに適齢期に突入しているが、別に今十分満足しているので結婚や子育てと言う選択を取れずにいる。
「子供を生んで得られる幸せ」と、
「今の暮らしを失う覚悟」が釣り合っていない。

そもそも自分が今生きている理由は
「生まれてきたもんは仕方ないし、死ねないから」というものなので、
そういう人間をわざわざ新規で作成する必要もないかなと言う考えが強い。

私は「生んでくれたことに感謝」と言う気持ちに違和感を感じている。
別に生んでくれと頼んだわけではないので。
そして生まれなかったら生まれてなかったで、
生まれたときの幸せすら知ることも無かったはず。
別にそれはそれでよかったと思ってしまっている。
まあもう実際今生まれちゃってるし、何より死ぬの怖いのでまあ生まれた以上は、出来るところまで生きようかなと言う感覚で生きています。

これは別に両親を攻撃しているとかネガティブなわけではなくて、みんなそうでしょ。普通に。
もし
「生まれてなかった時、めっちゃしんどかったんだよね~。でもお願いしたら生まれることが出来たよ~」
って人、いたら教えてください。

なので、感謝はない。
でも、両親を含めて私が生まれたことで幸せになってくれた人たちを
幸せな気持ちにしてあげたい、と言う気持ちはめちゃくちゃ強い。
それについては私の最優先の使命だと思っている。

人間の新規作成って、相当の覚悟が必要だと思っている。
自分たちが幸せになるために子供の許可もなく生み出すって、相当責任の重たいこと。

ましてや子供が幸せにすごせるかどうか、生んで育てて一人にしないと分からない。
ハンデを持って生まれるかもしれない、誰かを傷つけたり、不登校になったり、ニートになったり、ホームレスになったり、犯罪者になったり、自殺したりするかもしれない。
多くの人はそうなる覚悟がないから、子供が思い通りに育たなかったときに、
「何でこんなことになったんだろう」と後悔をするのではなかろうか。
私もまだ、「何でこんなことに・・・」と受け止められず、
後悔しているルートがぬぐえていないから、腹をくくれていないのだと思う。

でも最近やっと、私でも自分が生んだ子供と向き合えるのかもと言う希望が見えてきた。
子供がどんな選択をとっても尊重できる「寛容さ」を、身につけてきたのだと思う。
何を選んでも、本人の自由!だと任せられる寛容さ。
私がやれることとしては、たくさんの選択肢をリスクと限界をセットで与えて、
自分で覚悟を持ち自分の責任で選ぶという生き方を教えてあげるということ。
そういう考えにたどり着けたから、向き合える気がしてきたのかもしれない。

よく「ママなんて不完全でいいのよ、完璧なんていないんだよ・・・」と諭されるが、
自分自身でさえ不完全なのに、不完全になる可能性を秘めた人間を新規作成するくらいなら、既存の不完全な人間を助けてあげたいんですよね。

しかし本人が不幸せになるリスクを背負ってまで、人間を新規作成する目的が何なのか。
エゴではなく、正当な目的・・・
強いて言うなら少子化による労働人口不足で、生活のレベルが落ち無いようにするためでしょうか。壮大な社会のエゴだな。

ちなみに少子化少子化言ってますけど、
そもそも子供が多かった時の方が、異常値だったんではないのかとさえ思っている。
結婚して子供を育てる生き方以外に選択肢がなかっただけ、とか。
きっと今のほうが、昔の子供が多かった時代の人たちよりは
個人の自由・幸せ・納得度は上がっているんじゃなかろうか。
少なくとも私は今の個人の自由を失うか、人間新規作成するかを天秤にかけるよりはるか手前の段階で悩んでる。

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