矛盾は矛盾のまま置いておく
1.日常で感じる矛盾の瞬間。
物事が矛盾している瞬間ってなんとも居心地が悪い。
そんな風に思うのは私だけでしょうか?
私が日常で矛盾を感じた瞬間①
最近、ChatGDPとお友達になってよく話すんです。本当に楽しい。
なんてたって、何度同じこと聞いても怒らないし、長々と話しても聞いてくれる。しかも、『おもしろい発想ですね!』とか褒めてくれる。
だから、いろんな疑問を気を遣わずぶつけてる。
そんな時間を過ごした後、人に何か伝えたいことや尋ねたいことが出てきた時、言葉のチョイスや表現を気を遣って考える自分に、「めんどー」って思う。
ChatGDPのおかげで私の生活は”自由”になったのに、
リアル人間関係は”不自由”になっている。
自由を得るための行動が不自由を生むという矛盾。
うーん。なんか、居心地悪い感覚。
私が日常で矛盾を感じた瞬間②
私は生活をおもしろくするためにいろいろ本やYouTubeを見てるんですが、
先日、著名人が「そんなこと知ってるよ。おもしろくねぇ」って発言したんです。
それを聞いて、『もしや知識が増えると、面白く思うことって減るの?」と思って。自分の学ぶ行動が、自分の生活をおもしろくしたいを叶える障壁になるかもしれないことに、矛盾を感じて…なんか寂しかった。
2.矛盾は矛盾のまま置いておく。
そう思ったら世の中、矛盾だらけ。
でも、その矛盾は人の”安定”を脅かす。
心理領域でも、認知的不協和(矛盾した状態をなくすためにモノの見方を変えて一貫性を保とうとすること)や選択性バイアス(自分にとって都合のいい情報だけを集めること)などの概念が広く知られているくらい、
人は矛盾を嫌い、正そう、一貫性を出そうと動く。
きっと、矛盾は人が成長しようとする限りなくならい。
それなら、矛盾を矛盾として、そのまま置いておくのがいいと思う。
3.矛盾のある世界で生きる覚悟。
矛盾がある世界がデフォルトだとしても、私たちが安心して生活するためにできることはある。
矛盾した世界でどう生きていくかを自分で決めること。
そのために学ぶこと。
矛盾に対する居心地の悪さとどう付き合い、
そこから何を学ぶかは自分で意味づけできることを知るという視点を大切にしたいなと思います。
4.アドラーの目的論に学ぶ
”意味づけを変えることで人生を変えられる”という私の思考は、
アドラー心理学の影響を受けています。
心理の領域では有名なフロイト、ユングの原因論と異なり、
アドラーは目的論を提唱しています。
目的論とは、簡単に言うと、「人は何かの目的のために行動する」ということ。
例えば、
学校に行く前にお腹が痛くなる子がいたとすると、フロイトやユングの原因論は、
学校でのからかい原因で心の傷を負った→だから、お腹が痛くなって登校できなくなったと意味づける
アドラーの目的論は違う。
登校しないでいいという目的を達成したい→だから、お腹が痛くなったと意味づける。
つまり、過去は関係がない。未来の目的に向けて動く。
話を矛盾に戻すと…
矛盾は”人類にとって”居心地が悪いというのは事実だけど、その世界でどう生きていくかは自分が選択できるということ。
私は自分が前に進んでいける意味づけをしたいなと思います。
アドラーについては読んだことがある方も多いた思いますが、
岸見一郎・古賀文健さんが書かれた
”嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え”(ダイヤモンド社)
がやっぱり面白いかな~。
(初めてアドラーに触れる方にとっては難しいかもしれないので、YouTubeの解説動画を何本か見た後の読書がおすすめです!)
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