安部公房の描く”疎外”
良き医者は、良き患者である。
安部公房はその野心作『密会』で、病院という舞台に社会の狂気の縮図を閉じ込めてみせた。
この小説のイメージは、ごく分かりやすく言えば千と千尋の神隠しの世界観である。つまり、我々の生きる現実世界を曲解して創り上げられたある一つの世界に、外来者が思わぬ理由で足を踏み入れ翻弄される、という構図である。これは、僕が大好きなカフカの『城』という作品にも通ずるものがあって、世界の何にも紐づけられない人間が秩序ある世界を彷徨う苦悩がここにも克明に描かれた。
働かざるもの、食うべからず。
これに対して、
尋常なるもの、病院にいるべからず。
自分の全く意図しない理由で病院に来てしまったなら、それはもう患者でなくてはならないという強烈な約束事から誰も逃れることはできない。
これこそ、この作品の世界観そのものである。そして、労働という切り口ではなくそれを人間特有の色欲の切り口で解釈し直したのが本作。
突然救急車で搬送された妻も、
それを追って病院にやってきた主人公も、
そこに足を踏み入れたのなら患者でなくてはならない。
性欲を披瀝してはならないという我々の世界の常識を取り除いたこの病院で起こるディテールをここに書けば僕が変態だという印象を与えそうなので、これ以上は作品自体に任せるのが良いだろう。
だが、思い知らされるのは、、
生きることは、郷に入れば郷に従え、ということに尽きるということだ。
それに従わない人間には
“明日の新聞に先を越され、僕は明日という過去の中で、何度も確実に死につづける”という悲劇が待つのである。
革命も反抗もやめて目を閉じた時、
僕らにはコウフクな人生が待つ。
生きることの難しさは、予め存在している世界に全く意図せず産み落とされるという点にあり、実はそれ以上でもそれ以下でもない。産み落とされれば通行手形を得たと思うのは大間違い。僕らはそこで、何かしらの世界に改めて”入場”しなければならないのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?