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体験記 〜摂食障害の果てに〜(16)

 最初、家族との面談は禁止されていましたが、一般病棟に移って数日後、突然、面会が許されました。
 私は、自分の体の中がどんな状態か、全くわかっていなかったので、
(もっと良くなってからにしてくれたらいいのに。)
 と、思いました。言葉すら話せなくなってしまって、息をするのが精一杯なのに、会えば、さらに苦しくなるからです。誰にも会わず、そっとしておいてほしかったのです。
 その時は、一度だけの特別面会ということで、父と母がやって来ました。弟が来ていないので、ショックでした。二人の顔を見た途端、わああっと涙が溢れ出てきて、止まりませんでした。
「私、死んだんで。」
 と、一番伝えたかったことを言いました。死んで、もう私は別の私になってしまったような、寂しい思いでいっぱいでした。
「死んだんか⁉︎ 」
 父と母が大泣きしました。
「会えて良かった。」
 三人で大泣きしながら、何度も何度も繰り返し言いました。やっぱり、生きていて良かった、と心底思いました。それから、気になっていた弟のことを聞きました。
「本当は、今日全員揃ってくるはずだったんだけど、『一度に三人で詰めかけたら、お姉ちゃんの体に障るんじゃないか』と、気にして、明日、来ることにした。」
と、母が言うのです。たった一日だけの、特別に許された面会だったのに。その事を説明すると、
「これからいつでも会えると思っていた。」
 と、母が言いました。母は通常の面会と勘違いしてしまっていたのです。今度はいつ会えるかわからないので、とてつもなく残念でした。しばらくして、看護師さんが、面会の終了を促しに来ました。主治医の先生が話しがあるから来てください、と言ったので、惜しみつつ、父と母が出て行きました。すーん、と寂しくなっていたら、ちょっとして、また母の声が聞こえ、
「もう一度だけ、久美に会いたい。」
 と、部屋にやって来ました。そして、
「頑張れよ。ええか、何でも食べて、元気になれ!」
 と、励ましてくれ、握手しました。その目は涙でいっぱいで、「また来る」と、涙を拭き拭き、笑って、帰って行きました。
 弟と会えたのは、翌週で、母と弟が、昼間、面会に来ました。弟の顔を見た途端、どわああっと涙が溢れて来ました。入院前は、家にいるのにお互いほとんど口もきかず、顔をまともに合わせない日すらありました。ケンカばかりしていました。なのに、弟に再び会えたことが、とてつもなく嬉しかったです。もう、二度と会えなかったかもしれなかったのです。弟も、マスクをぐしょぐしょに濡らし、
「久しぶりに泣いた。」
 と、笑って言いました。それから、弟は、オートバイレーサーで大怪我をした人の事を語って聞かせてくれました。その人は、回復不能と言われたけれど、絶対、復帰してやる、と懸命にリハビリをして、動けるようになり、レースで優勝したそうです。
「絶対に奇跡は起きる。」
 と、弟は私に言いました。
「うん。」
 私は、弟が一生懸命に励まそう、としてくれているのが痛い程わかっていたので、頷きました。でも、本心は、(『奇跡』って大袈裟だな)と、思っていたのです。まさか、自分が『死ぬ』と言われているなんて、全く知らなかったのですから。少し時間は掛かるけれど、また元気になって、家に帰れる、と普通に考えていたのです。
それから二~三日経って、主治医の先生から許可が出たので、母は毎日、昼間、弟と面会に来るようになりました。でも、弟は、風邪を引いたそうで、私に風邪の菌が移るといけない、と言って、待合室で母を待ち、部屋には来ませんでした。
「そんなこと、気にしなくいいのに、マスクをしているのだから。」 
 と、私が言っても、絶対に聞き入れませんでした。
 母は、私がいないから、弟が代わりに花の水やりや金魚の世話をしている、と話してくれました。金魚は、まさか私がこんなことになるなんて思いもしなかったので、水換えを怠り、病気になってしまったそうです。生き物を飼うのは、責任のいることです。飼い主の世話一つで生死が決まるのです。弟は、私が帰った時、金魚がいなかったら悲しむ、と言って、世話を一心にしてくれているのだそうです。いえ、それよりも、金魚が元気なら、必ず私も元気になる、と信じているのだそうです。
 私は、深く反省しました。金魚にも弟にも大きな迷惑をかけてしまいました。早く元気になって、また元通り、水やりや金魚の世話をしなくてはいけません。

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