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体験記 〜摂食障害の果てに〜(15)

 『食』のありがたさ

 家族の気持ちはありがたかったけれど、甘いものは、全く食べたくなかったので、賞味期限が過ぎて、持ち帰ってもらうばかりでした。だから、せめて食事だけは、一生懸命食べよう、と決めていました。でも、スプーンに五~六杯が限界です。それ以上はお腹に入りません。看護師さんは、私のペースに合わせ、休憩を挟みながら、食べさせてくれました。
 あまりにわずかな量なので、寝る時間にお腹が空きました。ただお腹が空く、というのではなく、全てのエネルギーが切れかけ、干からびてくるような感じでした。(このままいったら朝まで体が保たない!)と思いました。そこで、夜中、様子を見に来てくれた看護師さんに頼んで、差し入れのプリンを食べさせてもらいました。翌日も頼んだら、前日とは違う看護師さんだったので断られました。「ダメです。嫌です。」と、冷蔵庫の前を行ったり来たりして、部屋を出ていきました。とても悲しかったです。
 翌朝、先生に「夜、プリンを食べてもいいですか?」と聞いてみたら、
「夜間は、看護師の数が少ないから、難しいだろう。原則、食事は昼間だから、昼間、何でも食べさせてもらいなさい。」
 と、言われてしまいました。夜間、看護師さんの数は四人です。先生の言われていることは理解できるし、納得できます。でも、昼間ではなく、夜間が問題なのです。夕飯を午後六時過ぎに食べてから朝七時過ぎに食べるまで、体力が保たないのです。元気だったら、看護師さんに頼まず、自分でプリンを取り出して食べるのになあ、と悲しくなりました。他人に頼らなければならないほど情け無いことはありません。
(何でも食べて早く元気になって家に帰りたい。また歩けるようになって、散歩に行きたい。)
 だから、食べれるだけ頑張って食べました。食べれなくなっても、休憩して、また食べました。でも、タンパク質のおかずは食べないでおきました。何故なら、カレイの煮付けを食べて、消化せず、気分が悪くなって苦しんだからです。ヨーグルトは大丈夫だろう、と食べた途端、胃がひっくり返るように吐きました。食べても大丈夫なのは、柔らかな野菜少量と、お粥、みかんにプリンぐらいです。大きな野菜はのみこせず、喉に引っ掛かるので、小さく小さく割ったり裂いたりして口に入れてもらいました。
 こんな状態になって初めて、『食』のありがたさを知りました。白菜やホウレン草を食べると、繊維が痰を落としてくれるのです。そして、私の体に不足したビタミンが補われていくのです。野菜って、偉いなぁ、と感心しました。主治医の先生が私の様子を見に来るたび、
「あなたの栄養バランスはめちゃくちゃに崩れてしまっています。治せるかどうかわかりません。やれるだけのことはやってみますが、どうなるか、わかりません。」
 と、言いました。栄養バランスがめちゃくちゃに崩れてしまったのは、私が決まった数種類の食べ物しか摂らなかったからです。野菜には固有のビタミンが含まれていて、色々食べることによって、知らず知らず体を健康に保ってくれるのです。牛乳や肉、魚、豆、卵にも、他とは比べようのない栄養が含まれていて、それらを毎日、偏らず摂ることによって、元気でいられるのです。私は、本で見て読んで知っていたはずなのに、頭の知識で、実際には何もわかっていなかったのです。
 先生は、この言葉を何度も、私の部屋にくる度、繰り返しました。私は、栄養バランスを改善すれば良いのだろう、と考えていたのですが、本当の意味はそんな生やさしいことではなかったのです。命に関わる重大事だったのです。先生は、家族を病院に呼んで、血液検査の結果を見せ、全ての値が『赤の状態』(異常値)である事を示し、
「いつ死んでもおかしくない状態です。今、意識が朦朧として、何を言っても、良く理解できていないようです。いつ死ぬかわからないので、会ってやってください。」
 と、言ったそうです。

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