#16 牛乳寒天、その後
いつかと言わず、いま。そう思って母に言ってみた。
「牛乳寒天の作り方教えて」と。
おばあちゃんのハンバーグがどうしてあんなに美味しかったのか、もういまでは聞くことができない。だから、いつか聞いてみようではなく、今なんだ。そうnoteにも綴った。
わたしの想像では作り方を教えてもらい、寒天が固まったらふたりでうんうん美味しいねと言いながら食べる、そんなイメージだった。
実際はというと、砂糖の違いなのか、お湯の量が違ったのか。うまく固まらず、なんと完成しなかった。母曰く、固まらなかったことなんて今まで一度もなかったらしい。娘が教えてほしいと言ってきた今、固まらないという、意味ありげな流れ。
母は納得がいかず、そこからまた寒天を足したりお湯を入れたりしていた。え?もう教えるとかどっかいっちゃってない?お母さん、全部自分でやっちゃうクセがでちゃっているよ?
なんとも母らしい。寒天と格闘している人が目の前にいる。わたしも完璧主義だけど、さらに上がいた。
わたしは親の味を娘が台所で教えてもらう、それが親子だ、それが娘だ、みたいなドラマでも見たのだろうか。そうしなければいけない、と囚われてはいないか。
家に帰った母から「納得がいかず家で作ってみました。ちゃんと固まったので、湿布と一緒に送ります」とLINEがきた。
そうだった、家にたくさん湿布があるから送ると言っていた。まさか、湿布と一緒に牛乳寒天が送られてくるとは。翌日、しっかり固まった理想の牛乳寒天が送られてきた。
正直、こういうんじゃないんだよなあ、と思った。失敗したってなんだっていいんだよ。固まらなかったどろどろの寒天をお皿に入れて食べたほうが、よっぽどいい思い出になったと思うよ、お母さん。これを笑いながら言えるようになりたい。
自分が親になってから、親もひとりの人だった、というとてもシンプルなことに気がついた。勝手にこちら側が期待していることが多い親子関係。夫婦も同じなのかな。こちらの期待と違うと、あれこれ悩み、考え始める。親子であっても、そして夫婦であっても。自分とは違う個性を持った人であることを、頭の片隅に置いて。声かけも、態度も、大事にしていきたいと思った。
詰まるところ、なにが言いたかったのか。自分が親の立場でも、子の立場でも、学ぶことの多い日々だわ。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
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