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「世界でいちばん透きとおった物語」から始まる読書感想文と読書論

面接の際に趣味は読書です、と言ったら担当者が最近読んだ本として「世界でいちばん…透き通る…?物語?」をおすすめしてくださったため、すぐに調べ直した。すると昔からよく読んでいた方が書いていると判明し、絶対に買って読もうと思った。杉井さんの本はライトノベルで読み始めたのがきっかけだったけど、いかにもライトノベルという感じは当時からしていなくて読みやすいと思っていた。大学生になってから読み直したシリーズも、昔から好きだったけど今読んでもやっぱり面白かった。泣いてしまったような気がする。

面接担当者におすすめされてから一週間もしないうちに本屋へ行って、飛んでいくようにこの本の元へ向かった。買ってから読むまでずっとドキドキワクワク、気持ちが昂揚していた。早く読みたい、そんな気持ち。純粋な読書欲。私が乱読家と呼ばれていた(呼ばせていた)頃の、気持ちにも近いかもしれない。食欲にも似ている。もっと美味しいものを、食べたい。好きだと思えるものに出会いたい。

ちょうどよく、月曜日から大学で短期の講義が始まる、ということで絶好の読書チャンスに恵まれた。昔は家でも貪るように本を読んでいたけれども、歳を重ねるにつれて読書時間は移動の際に取るようになった(移動の際にしか取れなくなった)。2時間もあるのだから、無理もない。家で過ごす時間は作業に充ててしまう。大学最寄り駅まで1時間程度座り続けられる路線に乗っているときに読むこととした。

1ページ目。本を開いて目次、進んで物語の1文字目。いつも読みはじめのときは知らない世界に飛び込んでいくことへの漠然とした不安を感じる。私は彼ら彼女らとわかりあえるだろうか?そんな気持ちも文字を追って、5ページくらいまで進んでしまえば、まるで最初から何も感じていなかったかのように自然と物語の世界に溶け込んでしまう。

最寄り駅。時間も今自分がどこにいるかもすっかり忘れて夢中で読んでしまった。続きが気になる。面白くて、早く続きを読みたくて、その気持ちが強く大きくなるから文字を追う速さがどんどん速くなっていく。ページをめくる手も早く次を、次をと急かしてくる。読みたい、読みたい、読みたい。この気持ちが芽生えたと自覚したときがいちばん好きだ。最高に読書している、という気分になれる。ライトノベル上がりの隠れ厨ニ病読書家だから、酔いしれてしまう悪い癖も仕方がないことと思っている。高まった気持ちのまま、珍しく気分良く講義を受けた。

講義終了。今日中に読み切れるだろうか…と思いながら本を手にする。面白いほどページが進む。面白い。主人公をベースに書かれているから心情の変化がわかるし、より一層感情移入ができる。主人公と同じ気持ちになって考えていくことができる。
読書は他人の人生を覗き見し、そして自分の人生として体験できる。
他ではきっとできない体験。本は誰の顔も見れないし、声も聞こえない。だからこそ他人の人生を見ることと、自分の第二の人生として体験することができるのだと考えている。全て自分で想像できる。また本の中は誰にも邪魔されない閉鎖空間である。想像も、考えも、読み方も全て自由。
ここが他のメディアにはない本の強みである。そして自分以外の人と本の話をしたときに面白いと感じる点はここにある。他人は私が体験した第二の人生をどのように捉えたのだろう。他人から語られるそれに耳を傾けることで、他人が常日頃から考えていることや大切にしていることなどの価値観を知ることができる。自分との違いを知ることは非常に楽しく、興味が尽きない。他人の価値観を知りたいと思ったら、好きな作品、共通で知っている作品を語り合うことが最適なのかもしれない。私はそうやって人との距離を近づけてきた、ような気がする。

もちろん、読み切ることはできなかった。そんなに気になるなら続きを家で読んでしまえよと甘い誘惑がささやく。…いけない、と甘い考えを振り払う。私は明日も朝早く起きなければならないのだから。現実は少し辛い。本のことを考えないようにして、深い眠りの底に落ちた。

2日目。嬉しい。読める。早く読もう。これから彼らがどうするのか知りたい。結末を知りたい。一体何を考えていたのか、全く読めない重要人物の心情を知りたい。私は乱読家と謳いながらもジャンルには偏りがあった。…つまり乱読家というのはかっこいいから名乗りたかった、だけだったのだが…。
ミステリを全面に出したような作品は昔からなぜか好き好んで自ら選ぶことがなかった。とくに理由は見当たらない。ただ読み進める中でミステリ要素も入っている、という作品はこれまでも読んできた。今回も例に漏れず、ただの感動系人間ドラマかと思っていたらミステリ要素が含まれていた。ちなみに私はミステリであっても自分から推理することはあまりない。しかし今回は自然とこうなのではないか?こうであったら良い、などという考えを膨らませた。終盤に向かうに連れて、そんなことは考えてなかった、と驚くことばかりだった。解決編、として仕掛けを知ったとき、何度も今まで手繰ってきたページを読み直してしまった。
驚愕、尊敬、感嘆…。
誰もが救われる物語ではなかったのかもしれない。それでもこれまでの話はすべて余興だったのではないかと思えるくらい、印象的で、今までにない体験をした。読み終わったあとに余韻にしばらく浸ってしまう作品はこれまでもいくつも出会ってきた。そのたびに止まってしまった呼吸を再開して、深いため息とともに良いものを読んだと思ったものだった。
今回はそれどころではない。このような長々とした拙い文章でも綴らなければ気が収まらないような、非常に強い、心を掴まれる作品だった。私は杉井光を先生と読んでしまうかもしれない。あらすじや、面白かったところをぱっと手短に伝えられない。どの言葉も伝えてしまったら面白さを半減させてしまうような気がして、それでも面白いんだということを伝えたくて、だから私は恥ずかしい文章を書いてしまっている。どうかもっと多くの人がこの作品を読んで本へのハードルを下げられますように。他人の人生を覗いて、自分の別の人生を体験する、そんな少々の背徳感さえ味わえる最高で悪趣味な読書を楽しいと感じますように。というのは半分くらいは冗談。


電車を降りるとすっきりと晴れた鮮やかな青空が広がっていた。今日も気分良く授業を受けられそうだ。さて帰りの電車は、なにをしようかな。



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