障がい者 と生きる れいわの時代

8月1日、れいわ 重度障がい者のお二方が議員として国会へ。介助者の費用は『自己責任』だとか、相変わらず貧困な思想が日本に蔓延っていることがあぶり出された。そういう考え方が何よりの『障害』だと私も思う。

私はこの日の夜に、山本太郎代表が新宿街頭記者会見(街宣)で一般の人にいつものようにマイクを渡して質疑応答コミュニケーションしているのをツイキャス中継から見ていた。
これは、彼がずっと何年も街へでて続けてきたことであって、選挙のためとか、昨日今日始めたことではない。違うのは、マスコミがそれを無視できなくなったということ。

聴衆の一人がこう言ったのにハッとなった。
「僕は、あの二人が羨ましいんです。外から見て障がい者ってわかるから。僕は精神障害2級の手帳を持ってます。外からみてわからない...」このような趣旨だったと記憶している。山本太郎代表は彼からの問いかけに対して逆にマイクを引き続き持たせながら「質問してもいいですか?」と対話を始めた。

山本:「きっかけは何だったんですか?」
この一言に涙がでそうになった。

私も精神通院の自立支援手帳で医療費の援助を受けている。障がい者手帳は持っていない。「外からみたら普通なのにね」と面と向かって言われたこともある。軽い安定剤と睡眠導入薬を何年も手離せないカラダになった。私が通院していることは知っていても、果たして今まで「きっかけ」ことの発端について聞こうとしてくれた人がどれだけいたことだろうか。むしろ、面倒なことには関わりたくないのか、私から言い出そうとしても'無視'されるのが常である。

ましてや、私の面前で少し不思議な言動が見られる職場の後輩(本人は医療に繋がっていないらしいので真実はわからない)に対して「あいつは退職勧奨すべきだ」という心ない悪口をいくつも聞いた。実際、自分から辞めると言わせるように仕向けんとしているのか、同じ部署から何年も異動させてもらえないことが彼を苦しめていた。このように関わることもしないままに排除しようとする空気がある。私はその後輩が不安感から言葉にならない叫び声を発するようなときは、スッと隣の席に座るようにしてきた。すると、すぐに落ち着きを取り戻す。そういう何でもないSOSを見てみぬふりする人がとても多い。誰にだって得意不得意はある。その後輩は、すこぶるコミュニケーションが苦手なだけである。

そう考えると、誰もが障がい者だといえる。

かくいう私自身も、ウラで、「あいつは辞めさせるべきだ」と言われていることを、信頼する先輩があえて教えてくれた。私が過労で倒れて救急車で運ばれてからというもの、サァーっと距離をとるようになった人達が言っていることなのだろう。察しはついていた。言いたいことがあれば、直接言ってくればいいのに。これを他の元上司に相談してみると、「まわりのことが気にならなくなればいいですね。」あくまで、当事者が乗り越えるべき壁というのが世の中の考え方らしい。

一度や二度、倒れたとしても敗者復活戦でやり直しのきく世の中になってほしいと願っている。セーフティーネットのメニューが増えていく社会を作れるかどうかは、私達有権者にの意識かかっている。

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