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偽文書「椿井文書」がウソの史実を生み出した手口がとても興味深かった

大阪府枚方市に「王仁(ワニ)の墓」という史跡がある。

第15代天皇・応神天皇の時代に百済(かつて韓国の西側に存在した国)より渡来、「論語」を日本にもたらした王仁博士の墓石と言われていて、王仁公園(名称は王仁博士の墓があることに由来)の敷地内にある。王仁公園は大きな広場やプール(通称「ワニプール」)があり、北河内育ちの人であれば、おそらく1回は学校の行事などで行ったことがあるはずだ。
学校の先生からも「ココは王仁っていうエライ学者さんのお墓があるんやで〜」とか教えてもらった記憶がある。

そんな、地元の誰もが知ってる地名や名称が、もしウソの史実に基づいていたとしたらどうだろう。
最新の歴史学の研究結果によると、王仁の墓とされてる石はとくに王仁博士とは関係のない、ただの石らしい。

大阪大谷大学の馬部隆弘さんの「椿井文書 ー 日本最大級の偽文書」という本を読んだ。

馬部さんは日本中世史・近世史の研究者。以前、枚方市役所の非常勤職員として勤務していたころ、市史の編纂に関わったことがキッカケで、史実の根拠となっているいくつもの史料が江戸時代の国学者・椿井政隆によるものであり、どうやら、これらは当時の富農の求めに応じて椿井が作成した「ウソの史実」を文書化したものだと結論づけるに至った。

偽文書であると分かれば、それをスルーして、正しい史料のみを根拠にすればよいのではないか?しかしどうやら、そんな単純な話でもないらしい。

歴史学者は、命題を設定し、様々な史料を根拠にしてそれが真か否かを証明する。「命題を証明するのに用いた史料」については明記するが、史料の収集過程で出会った「命題を証明するのに用いなかった史料」について当然触れることはない。それが取るに足りない史料である、とか、それが全くのウソの文書である、などを証言することは彼らの責務ではないし、命題の証明にとって重要ではないからだ。
したがって、上記背景から、歴史学者間で「これが重要な史料である」ことは共有されても「偽文書である」ことは共有されづらい。
その結果、偽文書を根拠とした研究成果を発表し、査読通過するというケースが少なからず存在し、その論文を引用した地域史、地誌、学校教材が作成されて世間一般に流通してしまっているという。

さて、話を椿井文書そのものに戻そう。
椿井文書は江戸時代後期、つまり19世紀前半において、国学者・椿井政隆が作成した様々な文書の総称だ。文書といっても、地図や絵図、家系図、合戦参加の武将リストなど様々である。本書では、いくつもの具体事例を挙げ、なぜそれが椿井文書であると言えるのか、なぜ偽書と結論できるのかを説明している。

本記事では、これらの事例を踏まえ、椿井文書とはつまり、どのような条件下で、どのような種類のものが作成され、どのようにして事実化したのか?を自分なりに整理してみたい。

どのような条件下で作成されたのか?

1. 都市部から離れた山村地域

椿井は、近江や北河内など、閉鎖的な山村地域を活動対象とした。一方で、知識層が多い京都や奈良などの都市部を避けることで、それが偽書であるとバレないように活動していた(※)と想像できる。
※当時、偽の文書を作成し悪用することは重罪であった。

2. 利権をめぐって他村と争っている

当時、土地や河川、湖池の利権をめぐり、隣村と争う地域が多かった。その権利主張の根拠としてしばしば引用されたのが「式内社」だ。式内社とは、中世まで続いた朝廷公認のいわゆる「国営神社」のことだが、正確な位置を示す史料がなく、現在でも、このあたりに式内社があったらしい、くらいしか分からないそうだ。
「うちの村の○○神社が式内社なんや!」「いや、うちの村の△△神社こそ!」みたいな論争はあれど、それぞれ根拠となる史料がないので決着がつかない、という状況は多々あったらしい。
まとめると、山や河川といった、いわゆるグリーンインフラの優先使用権を巡る周辺地域間の争いに勝つための主張とそれを裏付ける強力な根拠を人々は欲している、ということを椿井は知っていたと考えられる。

3. 権威ある地誌の存在

1700年代中頃に、江戸幕府が地理学者・並河誠所に命じて作らせた「五畿内志」という地誌が完成した。6年間という限られた期間で制作したということもあり、根拠とすべき史料について並河が1つ1つ検証することはせず、各村について詳しい人に聴取してまとめる、という形式もしばしば取っていた。その結果当然、五畿内志の記述には根拠に乏しい内容が多々含まれることとなった。しかしながら、当時の政権公認の名の下完成した五畿内志は、世に出て数十年が経つ頃には「近畿地方の歴史」として当たり前に受け入れられるようになっていた。つまり、椿井は、近畿地方において「五畿内志に書いてあることは正しいらしい」と皆が信じていることを知っていて、かつ、「五畿内志に書かれたことの根拠となる史料はまだ見つかっていない(けどきっとどこかにある)」とも考えていることも知っていた。

どのような類の文書が作成されたのか?

椿井は、上記条件を満たす畿内の各地域に出向き、地元の富農をターゲットとした。封建制度が根付く時代にあって、彼らは自らのルーツを武士に求める傾向にあった。
「うちの家系は元々この地域を支配していた豪族で、なんやかんやあって今は農家としてこの一帯をまとめ上げている」と、根拠さえあればそう言いたいわけで、彼らが望む・望まないに関わらず、椿井は彼らのルーツとなる家系図を作成し提供した。

しかし、椿井の仕事の巧みな点はここではない。地元の名士の家系図が見つかったというだけでは周りの人間はきっと信用しない。そこで、椿井は地元の名士の家系図だけでなく、下記の史料も作成し流布させようとした。

・五畿内志の記述の根拠となる史料
・利権で争っている隣村の富農の家系図
・両家の祖先同士に関係があったとする史料(○○年に合戦をして、仲裁役として地元の寺社が入ったときの誓約書など)

冒頭に書いた「伝王仁墓」も椿井が作成した史料が根拠となっている。王仁の例を元に、置かれていた状況を整理すると以下のようになる。

※位置関係を整理するため、Wikipediaに記載の旧地名の緯度経度を取得、Googleマップのマイマップ機能を活用した。公開ONにしているので、ご自身で動かしたりして位置関係を確かめてみると面白いかもしれない
マップURL

挿絵.001

・事実1:伝王仁墓近くには元々「おに石」と呼ばれる1m程度の高さの自然石が存在し、地域の人々によく知られていた
・事実2:五畿内志において、この「おに石」の「おに」は「王仁」が訛ったものであるとの記述があるが、根拠はとくに明記されていない
・事実3:津田山の東西に位置する穂谷村・津田村は長年、津田山の利権をめぐって争っていた
・事実4:津田村には西村氏という富農が長年居住していた

列挙した事実は、先に述べた
1. 都市部から離れた山村地域で
2. 利権をめぐる争いが発生しており

3. 権威ある地誌が存在している
という条件が満たされた環境下に「伝王仁墓」という存在があったことを示している。

その状況下で、椿井は「伝王仁墓」に関わる地域向けの文書を作成し各ステークホルダーに提供した。文書は主要なものだけでも5つあり、下図の通り。

挿絵.002

これは・・・
情報や知識の流通量の少ない時代においては「これだけ史料が残っているのなら、これはきっと王仁の墓で間違いないのだ」と受け入れられてしまうのではないだろうか?

椿井文書が「史実」となるまで

椿井がその文書を提供した時点では、あまり信じられていないこともあったようである。(「なんかこの前、椿井っていう胡散臭いヤツ来たんやけど、、、」という日記が残ってたりする)
しかし、その文書を受け取った当事者たちが世を去り半世紀もたつと、その事情を知らない子孫がそれを目にし、家宝としたり、新たな地誌編纂の史料として活用したりするようになる。

更にその地誌を元に、昭和以降「○○のルーツ!」などとして「町おこし」に活用されてしまったり、椿井文書を根拠とする史料や史跡が文化財などの指定を受けたりするようになる。
伝王仁墓の場合、戦後日本において日韓友好親善運動に活用され、史跡は大阪府指定文化財となり、王仁博士の出身地とされる韓国の霊岩郡と枚方市が友好都市提携を調印するに至った。
こうなってしまうと、王仁の墓がそこにあったかどうかは目を瞑らざるを得ない。というか、色々な意味で後に引けなくなってしまう。

学び

やや抽象的な表現となってしまうが、
常識、願望、思惑が一定程度に絡み合っている状況下で、椿井文書のようなものがあると、それが偽文書であるとしても「ほれ見たことか!やっぱり合ってたじゃん!」という共通認識が生まれてしまう。

そのような共通認識があるなか、それが事実ではないことの検証よりも、それが事実だと認めた上でなにかを進める、という力学が生まれ、止められなくなってしまう。

伝王仁墓を活用した枚方市の一連の政策などはまさにそういう力学があったのではないかと想像した。

自分が関西出身ということもあり、本書に挙げられている事例は多かれ少なかれ身近に感じる地域のものであり、偽文書が後世にもたらす影響の重大さを感じた。

その他

本書を読むキッカケは「奇書の世界史」。椿井文書だけでなく、世界中の色んな時代の偽書、奇書を紹介している書籍。浅く広く学べる感じで、こちらも楽しく読むことができた。よかったらぜひ。


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