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液卵と直感〜ひらめきは思わぬところから〜

こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。

今日、よく行く飲食店で野菜と卵炒めを頼んだ時に、ふと、これは本物の卵ではないのではないか?という直感が降りてきました。

もう数年は通っているお店で、何回も頼んでいるメニューのはずなのに、今までは、普通の卵を都度割って作っていると思っていました。

むしろ、白身がないくらい黄身が混ざっていて素晴らしい、あっちのお店は、白身が上手く混ざっていない、もっと上手く混ぜて欲しい、とすら思っていました。ワガママですが。。。

でも、今日は一口食べた瞬間に、この卵の固さは、おかしいなって感じました。
その時、ハッと、これ液卵パックを使っているのかもと感じました。

直感的に分かる、そんな感じでしょうか。
明らかに卵の色が黄色くて白身の痕跡が全くないことに、今まで全く気づかなかったのに、何故か急に気になり出したのです。

ちなみに、液卵の説明を見つけましたので念のため乗せておきます。

別に、液卵が悪いわけではないのですが、食感に不自然な弾力があり、フワフワな柔らかい卵の食感が楽しめないのは、卵好きとしては残念な感じです。

ちなみに、今回、液卵について書きたいわけではなく、テーマは、直感です。

何年も通っていて、何回も頼んでいるはずのメニューなのに、今まで全然気づかなかったことが、なぜかフッと降りてきて分かる、これが直感なんだと直感的に思いました。

インターネットで直感について調べていたら、脳科学者の中野信子博士の記事を見つけました。

色々と興味深い内容が書かれていたのですが、論理的に選ぶことと、直感では、直感の方が強い力が働き、抗えないような強い力が働くようです。

人は、直感で選択して失敗したとしても、その選択を正解にしようとする働きがあり、認知的不協和が調整して、現実を正解にするようです。
そして、それが生きる原動力となり、充実した人生につながっていくという話です。

論理的に出した答えは、論理的には正しいけど、何かが違うと感じるようです。

この記事では、論理的に出した理想の結婚相手を例に出していました。論理的にはじき出した理想の結婚相手は、論理的には正しい答えだけど、「何かが違う」という感じが残るようです。

その時に、論理的な正解を取るか、感覚を取るかは好みによるけど、感覚の方が人類を生き延びさせてきた長い歴史がある分、感覚に従った方が有利という話でした。

人生を充実させるには、直感で選択し、それを現実的に正解にしていくことが大切で、その正解にしていく過程で理性を上手く使うことが、実は、論理的思考の出番になります。

以前、こちらの記事で直感の脳内での働き部位について触れましたが、直感を司っている場所は、人間の本能的な部分に関係しています。

結局、人生に正しい答えなんてなくて、もしあるとしたら、いかに自分が満足出来るかしか正解はないのだと思います。

だから、深い部分の感情を満たせる本能的な部分とつながった直感や直観で選ぶことが、深い感情的な充実感につながるのでしょう。

冒頭に戻りますが、わたしは、液卵の炒め物は卵の食感が固いので、割りたての卵で作った料理が好きです。

いくら液卵の方が色鮮やかでキレイな見た目をしていても、口の中に入れた時に、卵のまろやかさや、スフレのようなフワッとした感触がないと、卵は嫌なのです。

完全に好みの世界ですが、わたしは、これが好き、これは嫌いという感覚を無視していたら、生きている感覚も薄れてしまいます。

誰かに迷惑かけたり傷つけない限り、自分の好きは大切にしたいです。

それが、わたしにとっての正解の人生を作る道しるべだから。



たまごはフワフワが好きです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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