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私は"ここ"に住みたい

どこにでも住めるとしたら?
たとえば、雲の上、都会、田舎、宇宙、バックパッカーみたいに世界中どこでも、イギリスのロンドン、フランスのパリ、アメリカのニューヨーク、南国、極北、絶景の目の前。
いろんな理想がある以上、多種多様な答えが存在するだろう。

私が個人が住めるとしたら、その条件は「安心する寝床があるところ」となる。どこだろうと構わないが、それが最低条件になるだろう。だから私は三十路になっても大きなぬいぐるみを手放せない。立派な"こどおば"の自覚はあるがそう育ったんだから仕方ないし今更変えるつもりもない。そいつらがいるところが私の寝床という概念が出来上がっている。仮にこれが小学生だとして矯正する立場の人間がそれを行えたら軌道修正出来たかもしれない。

いま現在「安心する寝床がない」とは言わないが、きっと生きている限り探究し続ける命題であることは間違いない。アロマキャンドルを炊いたり、ホットアイマスクをしてみたり、ヒーリングミュージックをかけて、なるべく入眠への工夫はしている。元々寝入りが難しい性質なんだからと半諦め半分半ば遊んでいる。

安心する寝床は安全基地で、唯一疲労を回復する睡眠がとれる所となる。ふんわりした布団と、滑らかな毛布、あったかくて心地がよい。それがなければ、住むことは叶わないし、生きていけないとも思う。回復できるセーブポイントがなければ戦えないのだ。

長野に生まれて育ったはいいが田舎っぺの例に漏れず都会に憧れて東京に出た。私はここでキャリアウーマンになってタワマンに住んで仕事帰りに飲んだりしちゃうのだ、と鼻を大きくさせて気合を入れたが、結局出戻った。簡単に言えばろくな能力もないくせに高望みをして身の丈に合わないところに行ってしまってせいだとなんとなく察している。陰キャのくせに陽キャになろうとした感じが近い。人の多さに辟易したし、人間社会の荒波は乗りこなせなかった。その点、都会が優れて田舎が劣っているとも言い切れないが、ただひとつ言えることは、性質に合わないことはこなせないことがわかった。
移住組でもないが、あの時の決断は移住並みに覚悟が必要だったと勝手に思っている。
勝手に描いた夢が破れてもう一度リスタートなんてセーブ機能のない今生一度きりにしてはきちんとリスクがあるだろう。
普通の人は、の“普通”とは想像上のものでしかない。むしろ理想論に近いことは重々承知したうえで、思い描けずにはいられない。
普通の人ならまっすぐ進めただろうに。
普通の人なら今頃子供もいただろうに。
普通の人なら…。
勝手に絶望して、勝手に挫折して戻ってきた土地だ。

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