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夏の終わりの私的音楽記

人生は出会いの連続。
他者や物、はたまた心を動かすような空間や瞬間、知恵と優しさで彩られた言葉たち。出会いなくして記憶が生まれることもない。あらゆる出会いをどれだけ慈しんで愛しいと思えるか。そんな感覚を失うことなく出会いを求め、迎え続けたい。
じれったい気温のせいでセンチメンタルな想いがほんの少し溢れてしまった、夏の終わりの私的音楽記。

■8月13日(火)
大学時代の留学仲間と過ごす夜。
「おいしいカレーを食べようよ!」
いつの間にか誘い文句の定番になったメッセージがグループLINEに流れると、さらっと集まる仲間たち。薄いビール片手にきらきらと夢を語り明かした夜、ラスベガスで遊び倒して二日酔いで行ったグランドキャニオン、社会との繋がり方を模索して色々な場所に飛び込んでいった日々。そういう時期もあったけれど、気が付けば話題は仕事の話から旅先での思い出、家族から期待される結婚まで暮らしに関することが増えている。
心なしか、前よりも優しくなったように感じるみんなの目元と口にする言葉。私たちは、なにかを諦めたわけではなく、なにかを守る温かさを知りはじめているのかもしれない。いつもより遠回りして歩く帰り道で聴く星野源「ミスユー」。紡がれる歌詞とメロディーの波に漂うほどに、共に過ごした時間と通り過ぎていった別離への愛しさが優しく募る。
次はいつ、どこでカレーを食べようか。
 

■8月16日(金)
静かにゆったりと実家で過ごす夏休み後半。
父のシャツにアイロンをかけ、仕事の相談をする。お風呂で母の背中を流し、互いの夢に耳を傾け合う。特別なことをするより、顔を合わせて言葉を交わし、食事を共にできることが何よりの贅沢だ。当たり前のように時間を共にしているけれど、確実に限りがあるこの時間を大切にしたいと切に願う瞬間が増えている。できるなら、2人の思い出をもっと知りたい。兄や私が生まれる前の、もっともっと前の2人の人生を垣間見たい。
父が留学先のフランスで知った料理のレシピ、母の昔の恋人が弾いてくれたというフォークソング、新婚旅行先のスイスで買ったお揃いの時計、2人の人生を彩りつづけている瞬間や物の数々と、2人が残したいと願う思い出たちを、私の心にも残させてほしい。
灯りをおとした部屋で横になり、結婚式でバンドに演奏してもらったというレイ・チャールズの「エリー・マイ・ラブ」を聴く。”永遠”なんてものを信じるには私は臆病すぎる。けれど、大切な両親が永遠を信じて交わした約束の日を想うと、目頭の熱が高まりほんの少し臆病な殻を破ってみたいと思ってしまう。せめて今夜は、夢で時間旅行を。

■8月24日(土)
誕生日。
有り難いことに、20代最後のこの日を無事に迎える。
精神的には20代前半から変わっている気がしないのに、(当たり前だけれど)確実に、着実に、数字としての年齢は重ねられていく。幼い頃に想像していた29歳はもっと“大人”だと思っていた。でも、こうして、10代の多感な時期にあらゆる感情を見せ合いぶつけ合った大切な友人と、初めて観るテレビ番組とくだらないジョークで笑い合いながら少し苦いワインを飲み、両親に感謝を伝えて誕生日を迎えられているのだから、十二分に幸せな“大人”なのだろう。
「そういえば、瀧廉太郎と同じ誕生日だね。」
翌日に誕生日を迎える、364日年上の友人からのメッセージに笑みがこぼれる。叶わなかった“なにか”より、叶った”なにか”に涙を流せる人生でありますよう。心の中に新しい願いが芽生える“はじまり”の夜
多幸感を強く抱きしめながら潜り込むベッドで聴くのは風味堂の「ゆらゆら」。
そうだ、時計の針が0時を過ぎたら友人に送ろう。
「そういえば、ショーン・コネリーと同じ誕生日だね。」

均等に混じった哀しみと幸せの砂粒が溢れ出しそうな貝殻をひとつ、首からさげたまま過ぎていく日々。
新しい1年は、どれだけの音楽と、本と、言葉と、感情に出会えるのだろう。