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生きるとは…

昨年末、相次いで知人、年の離れた従姉の病の報せが届いた。
認知症と筋ジストロフィー
ふたりとも、状態は決していいとは言えないそうで、筋ジストロフィーの従姉は、病院に入院。ほぼ寝たきりの状態だという。
従姉妹の旦那さんの話によれば、筋力が0の状態だそうで、自力では何もできないということだった。
悪いことは重なるもので、従姉にはふたり娘がいるのだが、次女も最近、同じ病気だということがわかったらしい。
まだ40代になったばかりだという。
これから進行を食い止めるために、トレーニングを始めると話してくれた。

従姉には兄がいて、なぜか小さい時から私のことを、とても可愛がってくれた。大阪万博の時は、行ってきたと言って、香水のペンダントと万博会場の地図の大きなハンカチを、お土産にくれたり、結婚してからも、ドイツに旅行に行ってきたと、わざわざ北海道から来てくれて、小さなテディベアをお土産にくれたり、何かにつけ気にかけてくれていた。

その従兄が、数年前、突然死で帰らぬ人となった。
奥さんから、亡くなったとの知らせを聞いたときは、本当にショックだった。
年齢こそ80歳に近かったけれど、写真を撮るのが好きで、桜の季節になると、毎年のように東京にきては隅田川や目黒など桜の名所を周った後に、必ずうちにも立ち寄ってくれた。
最後に会った時も、父が入院している病院に見舞いに行ってくれたり、とても元気そうにしていたのに…まさか突然、亡くなるとは…
原因は、心臓に問題があったらしいが、詳しいことはわからない。ただ、なくなる数ヶ月前から、よく「疲れる」「しんどい」と話していたそうだ。
おそらく、その頃から体調は、芳しくなかったのだろう。

もうひとり、従姉には弟がいた。高校を卒業後、陸送で働いていたが、ある日突然、身体の自由が思うようにならなくなってきたと言って退職。
療養しながら日常生活を送っていたが、50代で亡くなっている。生前はなんの病気かよくわからなかったらしいが、後で筋肉の病気だったという話を聞いた。

従兄が突然死したときには、従姉がたったひとりになってしまった。きっと寂しいだろうなと思い巡らせていたが、まさかその頃すでに、彼女自身も重い病にかかっていたとは知らなかった。ただ、室内を車椅子で移動しているという話は聞いていたが…

従姉の闘病の話を知ってまもなく、今度は知り合いから、妹さんが認知症らしいという電話があった。
知り合いの妹さんは、私より年上ではあるけれど、まだ認知症と言われるほどの年齢ではないはず。
しかし話を聞いてみると、明らかに認知症特有の行動、言動を繰り返している様子。
今は息子さんが独立して、ご主人と二人暮らしだそうだが、毎日のように徘徊して歩き、時々、暴言を吐いたり、暴れたりしているのだとか。

知り合いが言うには、実は、数年前から、様子がおかしいなと感じていたそう。ただ、そのときは何か気に入らないことがあったのだろう、たまたま忘れてしまったのだろうと、楽観的に捉えていたという。
それが、去年あたりから、明らかにおかしな言動や行動を見せるようになって、慌てて義弟に、どうするのかと問いただしたところ「様子を見たい」との返事がきて、それっきり話し合いを持てるような雰囲気ではなく、結局、数年という年月が経ってしまった。

家族に認知症ではないかと疑われるひとがいる場合、その対処、対応は、とても難しい。
我が家でも、母が90歳になった頃、頻繁に同じことを聞くようになって、これはちょっとおかしいなと思い「病院へ行く?」と話したときの反応は、「どうして私が行かなくちゃいけないの」「私は何も悪いところなんてない、絶対に行かないからね」とけんもほろろの反応だった。
それでも心配で、色々調べてみたところ、認知症と間違われる症状に、別の病が該当しているという記述を見つけ、その病名を使い「もしそうだったら心配だから、一度病院で診てもらおう」と提案したところ、すんなり「行く」との返事があり、本人の気が変わらないうちに脳神経外科・内科を受診したことがある。

レントゲン、CTなどの診断の結果はグレーゾーン。
認知症ではないけれど、将来、進行したら認知症になる可能性があると言われ、薬を飲むことになった。その時も、抵抗なく処方された薬を飲んでくれて、年に二度の検診では、進行することなく、かえって状態は良くなっているとの診断をもらい、やはり早期に対策を立てると、進行を遅らせることができたのは、本当によかった。

肺がんで亡くなる数ヶ月前、病状が悪化して、病院に入院したとき、看護師さんや担当医の先生が、母の認知の状態に不安があると、頻繁に連絡があったけれど、一時帰宅をして見れば、入院前の状態と変わらず、普通に私たちと会話ができて、気配りもできて、なぜ精神が不安定と言われたのかわからなかった。
考えられることとしては、たったひとり入院生活をして、一時的に不安定になったり、判断力が低下したのかもしれない。

家で数週間過ごした後、病状が悪化。再入院してからは、面会ができずモバイル面会だったけれど、その時も、ちゃんとやりとりができて、最後の最期まで母でいてくれたのは、本当にありがたかった。

知り合いの妹さんは、最初の異変の年齢まで遡ると「若年性認知症」を罹患したようだ。
数年前に、会話や言動、行動がおかしいなと思った段階で、何かしらの方策、病院を受診する、家族が相談に行くなどしていたら、今のような状態まで進行することはなかったのではないだろうか。それを考えると残念でならない。
今回、知り合いと話をして驚いたのは、認知症という病気に対して、知識がほとんどないことだった。
罹患年齢についての知識はもちろん、どんな症状、状態になるか、認知症が、病気であるという認識も薄く、一般の人と同じ反応があると思っていることにも驚かされた。

母方の祖母は、70歳になる前には認知症だった。
青森の同人ホームに入所していたので、月に一回くらいしか面会に行けなかったが、認知症の疑いがありますと言われてから、徐々に病状は進んで行った。最初は本当に、認知症なのかと疑うほどしっかりした話しぶりだったのが、ある時期から、マダラぼけと言われる症状になり、一緒に会話をしていたのに、ある瞬間から、目の前にいる母や私のことが、誰かわからなくなるという、ちょっと信じられないような現象を何度も繰り返していた。
そして、いつしか私たちのことが、まったく誰かわからなくなっていった。

知識もそうだが、実際に祖母が認知症だった経験者として、知り合いに話をすると、そんな風になるの、そんなことが起こるのと…いちいち驚かれた。しかしそれは、認知症と言われる症状の、ほんのわずかな事例でしかない。年齢や性別、かつての職業や気質、性格などによって、表に出てくる症状は異なる。私が知り合いに話したことも、あくまで参考であって、たくさんの事例が存在するので、枠にはめた捉え方は禁物なので、念の為。

続けざまに深刻な病の話を聞いて、ふと、私が子供の頃に父とした会話を思い出した。
父も結婚する前、20代後半の時に結核を患ったことがあった。
そのとき、何日も熱が下がらず、このまま死ぬのかなと思ったことが何度もあったそうだ。
私自身も、生まれた時から病弱で、二十歳までは生きられないと、Dr.から宣告されていたと、後になって聞いた。
そんなこともあり、父は私によく「息をすることと生きることとは違う。たとえ寿命が、それで短くなったとしても、やりたいことがああったらやればいい、ただぼんやりと生きながらえるような生き方はするな」と言っていた。その言葉通り、身体が不自由なことで、断念したことはたくさんあったけれど、自分のできる範囲でやりたいことをやってきた。
今、二次障害で脚が痛くなったり、甲状腺の病気で疲れやすくなったりして、以前ほど思うように行動はできなくなって、なおさら好きなことをしてきて良かったと思っている。

ただ、あの時交わした「息をすることと生きることとは違う」という言葉は果たして本当だろうか・・・

今年、95歳になる父は、自分のことができなくなってきた、ロングステイから帰ってくるたびに、できないことが増えている。施設で折り紙を熱心にして、壁に貼ってもらったり、行事のときに頼まれて折ったりしていた。それが今は、まったくしていないそうだ。意欲の減退が起こっている。
ただぼんやりとしたり、眠くなったら寝たりしてるらしい。

自宅にいるときも、デイケアに入浴とリハビリのため、週2回通っていたけれど、リハビリは名目だけで、入浴すると昼寝をして、昼食を食べて、夕方帰ってくる。そんな生活が当たり前になってきた。

何かをすることが、何かに取り組むことが生きていることだと、父は言ったけれど、知り合いにしても、従姉にしても、自分が思う生き方はもうできる状態にない。
本人の責任でもなけば、意思でもない。病気の進行がそうさせてしまったことが無性に悲しい、悔しい。
でも、これだけは言える、二人とも、必死に生きている、生きようとしているということは間違いない。
何も自分の意思ではできなくなったけれど、息をしているだけかもしれないけれど、確かに今を生きているのだ。

先日、従姉のご主人と電話で話をしたとき「お互い、大変な状況ではあるけれど(父の施設入所、世話の話etc)暗い話はやめよう。明るく、前向きに行こう」と言われて、「そうですね」と答えたけれど、本当にそうだなと思う。どんなに暗くなっても、気落ちしたところで、状況は変わらない。むしろ、こちらのメンタルがやられてしまう。
できるだけ、自分を喜ばせるようなことをしたり、見たり、聞いたりして、明るく過ごすことを心がけた方がいい。
今を楽しむこと、喜ぶこと、感謝すること、今、できることをしていること、そして今を、全身で感じながら過ごすこと。

それが生きるということなのかもしれない。
与えられたいのちの時間を愛しみながら、大切に過ごしていこう。





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