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食べたくないとは思わない

93歳になる父は、定年退職するまで、中学校で国語を教えていた。
定年退職してから、すでに30年が経っていることを考えると、当たり前かもしれないが、考え方が古いというか、固い。
私からすると、それっておかしくない?とツッコミどころがいっぱいなのだが、本人はいたって真面目、それが常識だと思っているところがある。

父は、そんなに食べ物に対して好き嫌いのある人ではないが、卵が苦手というか、嫌いだ。唯一例外なのは、おでんに入っている卵くらいで、卵かけご飯は滅多に食べないし、目玉焼きは朝食に出されて、他におかずがないとわかったときに、渋々食べるくらい。
卵焼きに至っては、仕出し弁当についている卵焼きはもちろん、家で作った熱々でも、食べようとはしない。

父に言わせると、卵が好きなのは女性で、男性は好まないのだそうだ。
しかし、周りを見ると、卵かけご飯が大好き、卵焼きが大好き、目玉焼きが好きという男性はたくさんいる。
どこでどう、そういう思考になっているのか、さっぱりわからない。

着るものに関してもそうだ。
デザインは地味なもの、例えばTシャツに派手な絵柄やロゴが付いていようものなら、即却下、断固として拒絶する。
当然、セーター、アウターも派手目なものを一切着ようとしない。
無彩色、紺系、グリーン系、ブラウン、グレーに限られる。

たまに、綺麗な色も着て欲しいと、くすんだ赤や、ピンクを勧めるのだが、女の人や、子供が着る色と言って、強い拒否反応を示す。
以前は、その言葉に辟易して黙っていたが、この頃は、認識を改めて欲しくて「男性でも、赤やピンクが好きな人はいる、それは男性と一括りにするものではない、あなたが嫌いなだけだ」と言うようにしている。

自分が嫌いなら、嫌いと言えばいいものを、男はという括りで話をしようとするのは、どうしてだろう。
自分だけじゃなく、他にもそういう人や、仲間がいると思うことで、安心するのだろうか。
私なら、「みんなが」というより「自分が」と主張した方が、気分がいいのになぁ。

甘いもの、特に洋菓子もさほど好まなかった父。
ケーキを買ってきても、「お前たちほど食べたいとは思わない」といつも、一口、二口味見をする程度で「もういい」と言っていた。
家族揃って、おいしいケーキと紅茶で、ティーブレイクしたいなと思っても、すぐに一抜けたを決め込んでいた父だった。

それが最近、変わった。
ケーキを買ってきて、試しに「たべる?」と聞くと、「うん。食べてみるか」と言うようになった。
なっただけでなく「美味しいな」と言うようになったのだ。
あんなに「ケーキはそんなに好きじゃない」と言っていた人が、一個まるまる食べて「美味しいな」と言うようになったのには、びっくりした。

先日、星野源さんがインスタライブをしたとき、いちごのショートケーキを食べたのを見た、witterのフォロワーさんが、どこのケーキ屋さんのショートケーキかを教えてくれたので、早速、買ってきた。
もちろん、父の分も買ってきて、一緒に食べたところ、めずらしく「美味しいなぁ」とすっかり気に入った様子。
三個もいちごが乗っていて、スポンジの間にも入っていて、とても美味しかった。
お値段もそれなりだが、そのお値段に相応しい、いやそれ以上の美味しさに、また食べたい、月一で食べたいと思わせてくれたケーキだった。

で、今日、たまたま用事があって、電車に乗って出かけることになり「あのケーキ屋さんのいちごのショートケーキ買ってくる?」と聞いたところ、いつもなら「どうでもいい」という父が、「食べたくないとは思わないな」と、遠回しながら「食べたい」と返事をしたので、買ってきた。
あれほど、男はそんなに…と言っていた父が、素直に美味しいなと言って、一個、ぺろっと食べるようになるとは。

90代になっても、食べ物の好みは変わるものなのだと、ちょっと驚いている。


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