朝の通勤の風景

私は毎朝の通勤で東京の品川駅を通るのですが、ある日、ホームに降り立った時に見た光景(今でも毎朝見ているのですが)が今でも印象に残っています。

その日は朝の通勤ラッシュの中、少しでも空いている車両に乗ろうと考えた私は最後尾車両に乗っていました。通勤の目的地は別の駅なのですが、品川駅で降りる人が多くいるため、人の流れに合わせて一度電車からホームに降り立つ必要がありました。そこでホームの端からホーム全体を見たのです。

黒髪短髪、ダークスーツに白シャツ、黒い革靴、似たようなビジネスバッグ。同じ格好をした人たちが、列をなして改札を目指して歩いていました。

そう、駅全体が「黒い」のです。

その日は曇りで暗かったこともあり、より一層、その集団の黒さが際立っていました。

かつて「企業戦士」という言葉がありましたが、日本で文字通り戦士になるためには「個性を抑えなければならない」という暗黙の規範が存在します。その規範の一つとして、見た目ルールです。周囲から浮かないこと、周囲の雰囲気に合った見た目でいることがマナーと見なされています。

それは「マジョリティ(多数派)に合わせろ」ということと同義です。例えば、白い服を着ている人が多い中でただ一人黒い服を着れば当然目立ちますが、別に黒い服を着ること自体に何ら問題はないはずです。逆に黒い服を着ている人が多い中で一人白い服を着ていれば、それも目立つことでしょう。

日本においては、皆白い服(黒い服)なのだから、同じ色か若しくは違いを感じさせにくい色にすることが求められるのです。

ただ、時代と共に常識や暗黙のルールも変わっていきます。例えば、男性の会社員のシャツの色は今までは白しかありませんでしたが、今はブルーやピンク等、色々と出てきていますよね。これも、変化の一つです。

このように、「見た目ルール」もあくまで特定の時間と空間を根拠とした、「実態の無いもの」に過ぎないのです。


話を戻せば、朝の通勤ラッシュで見かける「黒髪短髪、ダークスーツに白シャツ、黒い革靴、似たようなビジネスバッグ」の集団も、先ほど述べた(周囲から浮かないことを正とする)「見た目ルール」に皆が従った結果なのです。

そして、その「見た目ルール」に従い続けるには、「あれが好き」「これが嫌い」といった様な自分の感性を麻痺させる必要があるのです。自分の感性に鈍感であれば、こういった画一性を求められる見た目ルールにも順応できるからです。

これは、組織が構成員を統制するために心身をコントロールしている例だと思います。組織を運営する上で、その構成員たちが、自分たちの感性に敏感で正直だと、コントロールし難いからです。学校も会社も組織の運営の妨げになるような意見が出てこないように、まずは見た目ルールを用意して身体を統制した上で、マインド(思考、考え方、価値観)も組織に合ったものに変革していきます。

よく「心と身体はつながっている」と言われるように、身体が囚われると心も囚われ、心が囚われると身体も囚われるのです。

会社員には色々なストレスがありますが、その中の一つとして心身の自由が限定されるということがあると思います。あまり大きく問題に取り上げられることは少ないかもしれませんが、特に見た目に関してはその縛りが強いです。

男性で言えば、上記の通りダークスーツ、白いシャツ、ネクタイ(色もゴールドとかは許容されないですよね、きっと)、黒(ないし茶色)の革靴でネックレスやピアスがあまり浸透していません。基本、就職活動時の見た目ルールがそのまま適用されています。

女性については、男性のように必ずしもスーツ着用を求められるわけではなかったり、男性よりはヘアカラー、ネックレスやピアス等が許容されている気がします。その分、明確なルールが男性ほどに存在しない分、明文化あるいは可視化されていない、職場毎の女性同士の同調圧力があるかもしれません(そういう意味で男性の見た目ルールより複雑かつ高度かもしれません)。

もちろん集団を統制していく上で規則が必要なのは理解できます。ただし、それはモラルやマナー、コンプライアンスに限定されるべきであって、個々人の趣味趣向まで細かく縛る必要はないのではないかと思うのです。



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