【映画評】「マルクス・エンゲルス」(2017) きちんと赤狩りしておけば……

「マルクス・エンゲルス」(ラウル・ペック、2017)☆☆★★★

 うっひょー、アカだあ!おーいみんな、アカがここにいるぞ!アカのプロパガンダだ!
 いやはやこれには驚いた。まさか今どき、ここまでストレートにマル・エン礼賛を噛ましてくる監督がいようとは思わなかった。ハリウッド的ヒーロー映画の手法とポリコレの精神で現代に蘇る、リベラル(!?)の先駆者への惜しみない神格化!おまけにエンディングで流れるのはディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」である。堪忍してくれよ!
 やっぱり、アカ狩りは正しかったのだ。こんなゴミ映画でマルクス主義者の血塗られた歴史に蓋をして、マルクスを口当たりの良い「労働者のヒーロー」像へと矮小化することは、逆説的に言えば革命精神に真っ向から反する裏切りなのである。極左サイドからの赤狩りを遂行するべきなのだ。左翼共産主義精神(?)によって映画界から「リベサヨ」を追放するべきなのだ。ついでに、極右サイドからはレイシズム狩りを遂行しよう。「右から考えるアンチ保守」と「左から考えるアンチ・リベラル」の重要性を改めて感じさせられた、というのはまあ嘘だが。
 とはいえ、「革命」というものに何がしかのフェティシズムを持つ者としては、この時代のマルクスとその周辺の人々が画面に登場するだけで、なんとなくうれしくなってしまうのも確かである。何せいきなりシュティルナーが登場するわ、フォイエルバッハの名が飛び出すわ、プルードンとバクーニンがマルクスとつるむわ……我ながら単純なことに、興奮させられてしまった。坂本龍馬が登場するとついつい気持ちが高ぶってしまう歴史マニアのようなものだ。
 残念ながらマルクス以外のヘーゲル左派や社会主義者は露骨に「だめな奴ら」扱いであり、風貌からして冴えない感じに描かれ、特に活躍するでもなく消えていくばかりであり、大いに欲求不満は残る。プロパガンダたるゆえんである。
 今度はバクーニンかトロツキーで撮ってほしいところである。あるいは、まさかのドゥボール。きっと、スリル満点のスペクタクル大作になるだろう。
 (2020年執筆)

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