【映画評】映画短評2020

 2020年に書いた、映画についての短いメモ。
 2020年公開の映画はほとんど含みません。観たのが初めてだった映画、すでに観たことがあった映画、双方についてのメモを含みます。

5段階評価

 ☆☆☆☆☆……名作。
 ☆☆☆☆★……良作。
 ☆☆☆★★……凡作。
 ☆☆★★★……駄作。
 ☆★★★★……ゴミ。

「アンダー・ザ・シルバーレイク」(デヴィッド・ロバート・ミッチェル、2018)☆☆☆☆☆

 統合失調症のような物語世界ではあるが、あくまで陰謀論のパロディに徹しているためか病的な感じはまったくなく、リンチよりもわかりやすくて観やすい。村上春樹的、と言ってしまってもよいだろうか。裏ポップ・カルチャーの力で現実に対抗するというプロットには、裏版「レディ・プレイヤー1」を感じ取ってしまった。

「リアリティのダンス」(アレハンドロ・ホドロフスキー、2013)☆☆☆☆☆

 自伝映画。父親の、若きアレハンドロに対する仕打ちはほとんど虐待というほかないが、そんな酷い父をこんな描き方で許すとは、さすがアレハンドロ、揺るぎない狂人だ。もっとも、「ホドロフスキーのDUNE」などを観るに、アレハンドロ自身も息子(ブロンティス・ホドロフスキー)にはなかなか過酷な仕打ちを与えているようである。第一、自身の人生を赤裸々に振り返る映画に息子たち(ブロンティス&アダン・ホドロフスキー)を出演させるアイディア自体、冷静に考えればなかなか酷いのだ。
 しかし、波乱万丈の人生をくぐり抜けてきたポジティヴな狂人パワーの前に、冷静なツッコミは通用しない。
 相変わらずフリークスの描き方も容赦ない。手足のない労働者達と父親の喧嘩の場面は圧巻だ。
 「汚いユダヤ人め!」と腕のない労働者。
 「何を、足も引っこ抜いてやるぞ!」と父親。
 フリークスの群れ、フリークスと暴力。画面から眼が離せなくなってしまった。その次の場面も容赦がない。彼らはゴミ収集車に乗せられ、どこかへ連れて行かれてしまうのだ。
 ただし、私は「エンドレス・ポエトリー」の方が好きである。

「キューポラのある街」(浦山桐郎、1962)☆☆☆☆★

 暗い……。吉永小百合演じる少女が社会の様々な問題に直面しながらも持ち前の明るさで乗り越えていく物語、なのかと思って観始めてみれば、「様々な問題」の具体的な内容が重すぎる上、少女は現実に押しつぶされっぱなしである。家出、初潮、夜遊び、眠剤レイプ未遂まで一気に突き進むのだから、こりゃ、持ち前の明るさでどうにかできる範疇を超えている。
 そしてさらに暗い影を落とすのが、北朝鮮への帰国事業の描き方。希望を胸に祖国へ渡った在日コリアンたちがその後たどるであろう運命を思うと、後味が悪いことこの上ない。しかしこれは結果論であり、当時は日本もまた地獄だったのだ。おまけに韓国も地獄。地獄しかない世界の中で、北朝鮮という選択肢は、現在から考えるよりはるかに妥当なものだった。いわばこの作品は、歴史(北朝鮮史)のエアポケットに転げ落ちているのだろう。北朝鮮が「希望」たり得た時代が確かにかつてあり、しかも「希望」の燃えかすは今なお日本と朝鮮にくすぶっているのである。

「デッド寿司」(井口昇、2013)☆☆☆☆★

 突如として人を襲い始めた殺人寿司の恐怖!浦沢義雄を思わせる世界観である。玉子ちゃんがかわいい。
 難点を挙げるなら……汚いこと。劇中で使われた食べ物について、白々しく「スタッフが美味しくいただきました」というテロップが最後に出てきたが、口から吐き出していた米はどうなんじゃい。ゾンビの要素はいらなかったと思う。

「ヴィジット 消された過去」(アダム・レビンス、2015)☆☆★★★

 単純な設定を引っ張る引っ張る。無理のある細部をごまかすごまかす。
 屋敷に火をつけようとする場面は少しハラハラした。お化け屋敷感覚で楽しむにはそこまで悪くないホラーだが、映画としては凡作以下。

「ディケイド 腐敗する者たち」(ジョセフ・ワートナーチェイニー、2015)☆☆★★★

 退屈。カルトっぽい要素を適当に散りばめただけの映画を「アート系」などと言って甘やかすべきではない。ただの駄作である。ネクロフィリア感も足りない。

「下妻物語」(中島哲也、2004)☆☆★★★

 監督はこれを本気で、いい大人が観ても楽しめる作品と思って作っているのだろうか?
 子供向けと言うなら、100歩譲ってまだわからないでもない。が、これは明らかに「1周まわってスタイリッシュ」なポップさを目論んだ作り方である。そして目論見は見事に外れ、少しも「一周まわ」れていない。中島哲也の常である。

「32/サニー」(白石和彌、2018)☆★★★★

 なんですかこれは。何を思って撮ろうと思ったのですか、白石和彌監督。何を思って撮らせようと思ったのですか、秋元康スーパーバイザー。これが白石版「実録・連合赤軍」ということで良いのですか。これがあなた方の考える「現代の若者の闇」ということで良いのですか。
 「キタコレしろ!」いかにもナウなヤングが使いそうなスラングを叫びながら一発殴られただけで悔い改めることができてしまう人生しか送ってこなかった人々、それがネット住民である――そんな程度の認識でしかネットを理解できていない事実、あっさり白状してしまってよいのですか。
 そんなに簡単でよいのですか。

「亰城学校 消えた少女たち」(イ・ヘヨン、2015)☆☆★★★

 ポリコレ・フェミ映画かと思いきや、反日レズ・ホラーであった。
 韓国人にとっては、日帝統治時代というのは歴史のブラック・ボックスのような、「何か想像を絶することが起こっていたとしてもおかしくない」と思わせるような、負の想像力を掻き立てる時代なのだろうか。日韓併合については一人の日本人として申し訳なく思いますが(嘘)、しかしですねえ、病弱な少女をサンプルとしてスーパー(ウー)マンを作る実験をしていた責任だなんて、いくらなんでも日本は背負いきれませんよ……。何かの誤解じゃないですか?私達の先祖、多分そこまですごい人々じゃなかったと思います。

「レッド・ファミリー」(イ・ジュヒョン、2013)☆☆☆★★

 面白いが、ちと、くどい。「家族」というテーマを全面に押し出し過ぎである(まあ題名が題名なので仕方ないが)。「敵だって同じ人間なんだ」式の思想も、その思想を描写するために「家族」を担ぎ出す手法も、私は好きではない。特に終盤、スパイたちが南の家族の会話を再現する場面は長すぎるだろう。

「エベレスト」(バルタザール・コルマウクル、2015)☆☆☆★★

 山に登ったら大変な目にあった!ということ以外には何も内容のない映画。そんなに面白くなかった。同じく何も内容のないパニック映画「サンクタム」は、さすがジェームズ・キャメロンが制作総指揮(の一人)なだけあって、まあ良い映画とは言い難いもののアトラクションとして非常に楽しい娯楽作品だったのだが。

「キューブ」(ヴィンチェンゾ・ナタリ、1997)☆☆☆☆★

 有名な作品だが観るのは初めて。非常に面白かった。しかし悪徳警官はともかくとして、数学専攻の大学生はイライラさせるキャラクターである。何故かアマゾン・プライムに吹き替えしかなかったので、ダイレクトに日本語で耳に突き刺さるセリフのせいでイライラが割増になった感もある。「素数よ素数!素数なんだわ!」「やっぱりデカルト座標よ!あたしって天才!」やかましいわ!
 ナチュラルな障害者差別に制裁がくだされないのも胸糞が悪い。はっきり悪人とわかるキャラクターによる差別よりたちが悪い。

「デッド・フレンド・リクエスト」(サイモン・ヴァーホーヴェン、2016)☆☆★★★

 ああ、くだらない。ティーンエイジャーが半径5メートルの出来事を参考に「恐怖体験」というものについて想像力を振り絞った、という感じの内容だ。友達0人の呪い!恐怖のSNS!教訓は、「友達の居ないゴスには優しくするな」ってことですか。冷たくしても呪われそうだしなあ……。

「当選」(向井寛、1997)☆☆☆★★

 90年代のヤクザもののVシネマだが、主人公は漁師である。これでもかというくらい良いやつに描かれているが、特にてらいもなく喧嘩上等、レイプ上等、任侠上等……マッチョですねえ。漁師ってみんなこんな風なんですか?海の男の怖さを体感させられた。

「パリの恋人」(スタンリー・ドーネン、1957)☆★★★★

 いつも途中で脱落していた映画。今回は途中から観始めて、なんとか最後までたどり着いた。非常につまらなかった。内容はヘップバーン主演のアイドル映画のようなものだが、逆にヘップバーンが少し嫌いになった。
 いや、アイドル映画を観てそのアイドルが嫌いになる、というのはありがちなことかもしれない。私は「時をかける少女」を観て原田知世が嫌いになり、「シロメ」を観てももいろクローバーが嫌いになった。前者はぶりっ子すぎ、後者はうるさすぎである。

「狂人ドクター」(ジェームズ・フランコ、2017)☆☆☆★★

 題名からして酷い。内容は男性サディスト向けポルノのようなものだが、案の定、最終的には被害者が「覚醒」して悪人を懲らしめ、めでたしめでたし。所詮ポルノなのだからこんなオチは付けないほうが良いと思うのだが、女囚もののフォーマットとしても「女囚の反逆」で終わるのは定番のようであるし、案外観客の多くもこうしたラストで日常に引き戻される安心感を味わいたいのかもしれない。
 ある種の官能小説では、「女の子がひどい目にあったまま終わると、可哀想で抜けない」という馬鹿馬鹿しい読者の意見を取り入れて、最後の1ページで被害者が反逆して終わりというのが定番になっているらしい(と昔どこかで読んだ)。よくわからねえなあ嫌なら読まなきゃいいのに、などと思いそうになるが、まあ他人の性的嗜好は笑いません。
 笑うべきなのは、特定の性的嗜好が、さも他の性的嗜好よりも更に「健全」で「善良」だとみなす考え方だろう。男性のサディズム、女性のマゾヒズムというやつは、男性のマゾヒズム、女性のサディズムに比べて「正義」に反する嗜好とみなされやすいものである。だからこそ、最後の1ページに蛇足を加えて性的ファンタジーの方向を逆転させ――つまりサディズトが反逆されるというマゾヒズム的なファンタジーだ――別に「正義」に反するつもりはないのだと自己弁明したくなるのだろう。「正義」は、所詮性的ファンタジーの一パターンに過ぎないものを通じて描かれがちであり、この「狂人ドクター」もまた然り。

「コリアタウン殺人事件」(わからない、2020)☆☆☆☆★

 統合失調症の患者がユウチュウブに上げた動画、のスタイルを真似た、集団ストーカーが大活躍するモキュメンタリー・オカルト・ホラーである。こうした動画が体験させる「嫌な感じ」が実によく再現されている。……いや、この手の「嫌な感じ」は実はそんなに再現するのが難しいものではないのかもしれないし、だからこそ、神経の高ぶった病人がカメラを手にするだけで、「嫌な感じ」の封じ込められた映像は量産され、ユウチュウブに次々アップされていくのかもしれない。が、いずれにせよ、「病人が撮った映像」のスタイルをオカルト・ホラーの演出に利用するアイディアは大成功だ。白石晃士「オカルト」を思い出した。

「監禁惑星アメーバ」(越坂康史、2018)☆★★★★

 Z級SFピンク映画。女性を襲い妊娠させるアメーバの恐怖!でも、アメーバというか、ビニールじゃん……。

「名前のない女たち うそつき女」(サトウトシキ、2018)☆☆☆★★

 これは意外な収穫だった。「最低。」などよりずっと良質な、AV女優をテーマにした映画である。ある価値観で登場人物を断罪しようとしないのが良い。簡単なようで難しいことだ。

「バカがウラヤマシイ」(鋤崎智哉、2010)☆★★★★

 薄っぺらなお説教をするためにつまらないギャグを稚拙な編集で延々見せつけてくる不快な映画。
 おこがましくも、冒頭には赤塚不二夫の言葉を引用。赤塚に土下座して謝れ!「真面目にふざけなくちゃだめだよ!」(赤塚)。

「のぞきめ」(三木康一郎、2016)☆★★★★

 主役の演技がエド・ウッド映画並みに酷いという評価に釣られて観始めたが、あまりの退屈さに途中で脱落。

「日本の黒い夏 冤罪」(熊井啓、2000)☆☆☆★★

 松本サリン事件での冤罪をテーマにした映画。
 冤罪を生んだ警察、許すまじ。冤罪を煽ったマスコミ、許すまじ。そして河野バッシングに加担した一般市民、許すまじ。
 しかし、劇中で述べられる「人権について考える」ということは、「実は無罪かもしれない人を犯人と決めつけない」ということではなく、「仮に犯人であったとしても、その人の権利を奪わない」ということだろう。冤罪の問題は、「オウムならひどい目にあっても仕方がないが、河野さんを犯人扱いしたのはまずかった」ということではない。冤罪被害者への「人権弾圧」と過剰なオウム・バッシングは全く根が同じ問題であり、要するにマスゴミは全く反省などしていないのだ。許すまじ。

「68キル」(トレント・ハーガ、2017)☆☆☆☆☆

 さながらアメリカ版「オールナイトロング」(の「2」かな)というべき内容だ。
 それでは監督はアメリカ版松村克弥か、と思いアマゾン・プライムで検索したものの、監督作はこれしか公開されていなかった。ただし、

「デッドガール」(マルセル・サーミエント、2008)☆☆☆☆☆

では脚本を書いているようだったので、こちらも鑑賞。
 輪をかけて、凄まじい作品であった。さながらアメリカ版「女子高生コンクリート詰め殺人事件 壊れたセブンティーンたち」である。ここまで欲望に正直なゾンビ映画は初めて観た。はっきり言って禁じ手だ。「仮面ライダー」の世界で、ヒーローの力を使ってレイプしてまわるようなものである。鬼畜だ。

「ラブ&ポップ」(庵野秀明、1998)☆☆☆☆☆

 庵野の底力を思い知らされた……「新世紀エヴァンゲリオン」以上に。奇妙なアングルからの短いカットを次々つなげる手法は、アニメで観るよりずっと斬新で力強い。
 私は「エヴァンゲリオン」をほとんど全く面白いとは思わなかったが、このように1本の実写映画として見せられると、庵野の世界観もさほど抵抗なく受け入れることができる。
 とはいえ、結局最後に「エヴァンゲリオン」最終話よろしく自己啓発じみたお説教をナレーションで被せずにいられないのは……困ったものだ。陳腐で安っぽい言葉だと思う。しかし、そのように、わかりやすくて丁寧な説明(的セリフ)をいちいち挿入したからこそ、「エヴァンゲリオン」もあれほど広く受け入れられたのかもしれない。

「マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン」(リブ・コーフィックセン、2014)☆☆★★★

 レフンの妻による、「オンリー・ゴッド」撮影時のレフンのドキュメンタリー。ホドロフスキーが登場する場面だけは面白かったが、それ以外は、どうでも良い夫婦喧嘩を延々見せられるだけの退屈な作品だった。
 いや、もう一つ面白いレフンのセリフがあった。「今では僕は「ドライヴ」の監督だと人から呼ばれてしまう……ラース(・フォン・トリアー)は「奇跡の海」の監督だなんて呼ばれないのに」。そうなのか。

「パーティで女の子に話しかけるには」(ジョン・キャメロン・ミッチェル、2017)☆☆☆★★

 特に興味もない映画だったが、(1)アマゾンのレヴューでカルト映画と評されていたこと、(2)アマゾン・プライムでの公開が本日いっぱいで終了すること、により鑑賞。完全にアマゾンの奴隷と化している。自由ソフトウェア主義者の風上にも置けない体たらくだ。
 で、作品はそんなに面白くもなかった。どうでも良いような内容である。同じパンク映画ならば、島田角栄&鳥居みゆき「ヴィヴィアン武装ジェット」のほうが面白い。同じくアマゾン・プライムで公開されている。

「ジャップ・ザ・ロック・リボルバー」(島田角栄、2009)☆☆☆★★

 その島田によるドキュメンタリー映画。メンバーのほぼ全員がろう者というロック・バンドを取材した作品――ん?ろう者?どういうことだ?説明だけ読んでもさっぱりわからない。不思議なバンドである。
 結局、映画全編を観ても、どういうことなのかさっぱりわからなかった。なぜこの人々はここまで音楽に熱中するのだろう――聞こえないのに。
 ヴォーカルは、歌詞が楽しめるし、歌う時の感覚も味わえるだろう。ベースは、もしかすると振動が伝わっているのかもしれない。しかしギターとキーボードは、ろう者にとってそこまで熱中するほど楽しい作業なのだろうか。(なおドラムは健常者)。

「ろまんちっくろーど 金木義男の優雅な人生」(今井いおり、2014)☆★★★★

 「宇宙人のツッコミ」と題する自費出版した自著を、リアカーに乗せて売って歩く老人、金木義男。彼は一体何者なのか。「宇宙人のツッコミ」とは何なのか!?
 ……うーん、そんなに興味は湧かないかな。よくあるトンデモ案件を取材したドキュメンタリー映画である。
 と思いきや、この金木という人物、具体美術協会(1950年代、関西を中心に活動した前衛芸術グループ)の元メンバーなのか……。少し変わった面白い大阪のおっちゃん、という感じではあるが、波乱万丈の人生が明かされるわけでもなく、トンデモとしてのインパクトは大きくないしドキュメンタリーとしても稚拙である。金木から「しょうもない2人」呼ばわりされている制作陣は、奥崎謙三(ある種のトンデモとして名高い。「宇宙人の聖書!?」という著書がある)のことなどどの程度意識しているのだろう。

「シン・ゴジラ」(庵野秀明&樋口真嗣、2016)☆☆☆☆☆

 ゴジラシリーズは、平成シリーズ以降はただ1作、この作品だけを観ておけばよいのである。ほかは、「ビオランテ」も「デストロイア」も「大怪獣総攻撃」も、観る必要なし!(いくつか観ていない作品があるので断定は避けるべきなのかもしれないが、多分この見立ては正しいと思う)。庵野秀明は、平成以降の「負債」をたった一人ですべて返済し、お釣りまで支払ってみせた。恐るべき底力。

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