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荒廃した教育を復活させる一手『教育勅語』に学ぶ和の生き方(後編)~教育勅語にはどのようなことが書かれているのか?~ー『日本人のこころ』4ー

こんばんは。高杉です。

日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。


令和6年に入り、まもなく1か月が過ぎようとしています。
ありがたいことに1月早々
ラジオ番組に出演させていただいたり、
学習会でお話しする場を設けていただいたり、
自分の学んだことを活かすことができる場をいただいていることに
感謝感謝です。

今年は、さらにバリバリ働きたいと思います!

さて、



岸田文雄首相が自民党岸田派(宏池会)解散という賭けに出た。派閥の政治資金パーティー収入裏金化事件で内閣支持率がどん底状態から抜け出せない中、1957年から続く名門派閥の解体で捨て身の反転攻勢を図る。首相を支えてきた第2、3派閥の麻生派と茂木派からは首相の独断に「徹底対決だ」と不満が高まっており、政権基盤が揺らぐ危うさをはらむ。

派閥解消 反転攻勢狙う岸田首相 - Yahoo!ニュース


連日にわたり
「政治資金」をめぐる報道がなされています。

政府もメディアも本質からずれた方向に向かっており、
本質を見抜けずメディアの情報に踊らされる国民の多さも
滑稽に思えてきます。

この問題の本質は、
「キックバックの内容を報告書に未記載だった」ことが
問題であり、

キックバックが問題でも
派閥が問題でもありません。

だいたい派閥を解体してしまうことにより、
よりもともとお金を持っていたり、
地盤がある2世議員が有利な政治体制が作られてしまう可能性が
高くなってしまいます。

本質は何か?を考えずに
やれ「派閥をなくせ!」
やれ「キックバックは悪質だ!」
のような思考停止の発言をするメディアや
的を得ない岸田総理の行動にはほとほと呆れます。

このような政治の混乱やメディアの情報に踊らされる国民の混乱を
招いてしまっているのもすべて教育の問題なのです。

時間はかかるかもしれませんが、
やはり地道に「教育」から立て直すほかありません。

今回は、そのような
荒廃した「教育」を立て直す一手についてお話をしていきます。

最後までお付き合いいただけるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。










次に、
日本国の大天才である井上毅がこれほど悩み、
多くの人に支えられ作り上げた。

そして、
荒廃していた日本国の教育を立て直し、
一気に日本国を経済大国にまで発展させた
明治天皇のお言葉であり、
荒廃した教育を復活させるための一手である
『教育勅語』の内容
お話していきたいと思います。


1)『教育勅語』とは何か?【概要】



『教育勅語』


正式名称は

『教育二関スル勅語』

と言います。

明治23年10月30日に発布されました。
明治天皇のお言葉を念のため文書化してまとめたものであり、
明治天皇の個人的著作物です。

明治天皇が国民に対して、

「こういう生き方はいい生き方だからみんなで一緒に取り組んでいこう。」

とお示しになったものです。

『教育勅語』とは何か?を
一言で表すとすると、

「修身」「道徳教育」の根本規範と言えます。

「修身」とは、身を修めること

人間の欲望を自分で上手にコントロールして
やるべきことやあるべき姿を正しく判断する力。

そして

「道徳」とは、場面を見とり、状況を判断し、
「何が正しいか」を判断する力。

この二つの教育の「根本規範」なのです。

つまり、
人間として生きていくために学ぶ教育の「核」になるもの
ということです。

先ほど、
教育勅語』は、
明治天皇が国民にお示しになった「生き方」であるとお話ししましたが、
明治天皇が強制的に国民に生き方を強いたものではありません。

そして、
明治天皇が考えた生き方でもありません。

「教育勅語」に示されている生き方とは、
太古の昔から日本人が「正しい」と考えていた生き方の集大成であり、

それを明治天皇が
「まずは、天皇である私が最初に実践するから国民の皆さんも、
よければ一緒にやりましょう。
そして、天皇のためではなく、自分自身の人生をよりよいものにするために実践してほしい。」

という内容が『教育勅語』なのです。



『教育勅語』は、よく誤解をされます。

なんでも戦前のものが戦争に駆り立てたというのです。

『帝国憲法』が悪かったから日本は戦争に突き進んだ。

『教育勅語』が若者に戦場に行くように命令していた。

そのようなめちゃくちゃなことが言われてきました。
今でもそのように考えている輩もいるのですが…。

『教育勅語』をうがった見方で見る輩は次のように話しています。

「教育勅語は戦前、
子供たちに天皇のために命を捧げることを教え込んだ軍国主義の柱である。 その精神を取り戻すと公言してはばからない稲田氏の防衛大臣としての資質が厳しく問われます。」


と新聞赤旗の社説で書いています。

最近では、
2023年12月に広島市が『教育勅語』を市の職員研修で使用したとして、
左派団体が「教育勅語は憲法の理念に反し、不適切」と述べているという記事が取り上げられました。


左派の伝統芸能ともいうべきものなのですが、
過去のなかったものを作り上げて、たたくのです。

例えば、
「国家神道」とか、そんなものはありません。
本当は「天皇主権」ではないのに、そのような言葉を作り出します。
「女系天皇」という言葉も左派が勝手に作り出した言葉です。

『教育勅語』で子供たちが戦場で命を捧げるなんていうことは、
どこにも書かれていません。

過去のありもしないものを作り出して、ひたすらにたたく。

これが、彼らの常套手段です。

では、
本当にそのようなことが書かれているのでしょうか。

これから『教育勅語』を読み解く中で検証していきたいと思います。


『教育勅語』は、
大きく分けて

【首文】【本文】【末文】の3段構成


になっています。

【首文】から見ていきましょう。



2)【首文】




『朕惟うに、』


まず、
この「朕(ちん)」とは
「天皇」自らが「わたし」というときの一人称です。

つまり、
「明治天皇」が思ったことが書かれていることを示しています。

次に、
2つのことを具体的に思ったと言っています。

まずは、

『我が皇祖皇宗、国を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり。』


皇祖=初代天皇 (日本国を建国した人)

皇宗=歴代天皇 (日本国を途切れることなく存続させてきた人)

をそれぞれ示しています。

日本国は、令和6年で、建国2686年。
2000年以上途切れることなく一つの国が続いてきました。
国連加盟国193か国ある国の中で現存する最古の国家は「日本国」です。

2番目に古い国はデンマークで1000と数十年。

3番目に古い国がイギリスで950年。

他の国と比べても圧倒的な歴史をもっているのです。

では、
初代・神武天皇はどのような想い(大御心)で建国したのでしょうか?

『建国の詔』には、次のようなことが書かれています。

どうしたら戦争に明け暮れている国が平和になるのか?
どうしたら民が豊かになるのか?
どうしたら人々が協力し、いい国を創っていくのか?
「奪い合えば足りなくなる。分け合えば余る」

戦いをやめよう。
人を傷つけるのはやめよう。
みんなで助け合おう。
みんなで豊かになろう。


「国民の幸せを実現するために天皇がある」
国民のために天皇があり
国民のために国家があり
国民のために政治が行われる。

つまり、
世界最古の『国民国家』です。

この建国の精神歴代天皇に代々受け継がれてきました。

そのような歴代天皇はすばらしいと言っています。

つぎに、


『我が臣民、克く忠に、克く孝に、
億兆心を一つにして世々厥の美をなせるは、』


歴代天皇は、すばらしい。
でも、すばらしいのは天皇だけではない。

「国民」もまたすばらしかった。

と言っています。

いくら神武天皇が崇高な理念を語ろうが、
それを国民が理解して、支えなければ成立もしない。

2000年間、国が続くというのは偶然でも何でもありません。

何度も何度も国難がありました。

そのたびに、
「この国をつぶしてはならない!」と日本人が立ち上がり、
必死になって守ってきたのです。

2000年間。
一度も緩むことなく、
国民みんなで手を取り合い、皇室を支えてきたからなのです。

国民は忠誠をつくし、子が親孝行をするように
天皇を親のように天皇に尽くし、
2000年間心を一つにして「日本国」を創りあげてきた。

「天皇が国民を愛し、国民が国を支える。」

このような「国体」(国の根幹)は美しい。

と言っています。


『此れ我が国体の精華にして、教育の淵源亦た実に此(ここ)に存す。』


天皇と国民による「君民共治」による国づくり(国体)は
2000年間、まさに昇華していき完璧なものになってきている。

教育の根本もここにあるのではないか。
と言っています。

先人たちが学び、その学びをいかし、
生活を営むことで今の日本が紡ぎだされてきた
のだから、

先人たちが
「何を軸にして生きてきたのか?」
「どういうものを正しいと思って生活してきたのか?」

先人たちの紡ぎだしてきた
2000年の歴史をみることで
「人間としての正しい生き方」を見出すことができるのではないか。

「先人たちが大切にしてきた生き方」

ここに「教育の根本」「修身・道徳教育の根本」があるはずなんだ!!
と言っているのです。



3)【本文】




『爾臣民』


爾(なんじ)=あなたたち
臣民(しんみん)=天皇の宝物・大切な国民一人一人


これから、
生きていくうえで大切なこと
全部で「12こ」順番に列挙されていきますが、

「最も大切なこと」から順番に


⑴ 『人間』として大切なこと
⑵ 『社会の一員』として大切なこと
⑶ 『臣民』として大切なこと


のさらに3つの大きな項目で書かれていきます。
『人間』として大切なこととは何か?


では、
「一番大切なこと」は何か?


それは、


① 『父母に孝に、』(親孝行しなさい)


「親孝行」
です。
人として最も大切なこと。
それが「親孝行」だと言っています。

自分が生まれてきたのは
「親」がいたからです。

親がいなければ、自分は生まれてくることはできませんでした。

自分に命を授けてくれた恩人。

さらに、
自分が立派に成長するまで
さまざまなことをしてくれた親に対して
「感謝の気持ち」をもつ。

そして、
それに「報いていく」こと。

つまり、
「感謝の気持ち」を持ち、それに「報いようとする」こと

これが、根本的に大切なことであると言っているのです。


誤解しないでいただきたいのは、

儒教のように

「子は必ず、親に服従しなさい」

と言っているわけではありません。

あくまで、

「自分のルーツである親に感謝の気持ちを持とう」

と言っているのです。



② 『兄弟に友に、』(きょうだいは仲良くしなさい)


次に、
「きょうだいは仲良くすること」

対峙することはあっても
お互いに理解しようとし、助け合っていくこと。

特に、
人間にとって大切なものの一つ
「人間関係」が挙げられますが

その基本中の基本として
身近にいる「きょうだい」と仲良くすることの大切さ
言っているのです。


③ 『夫婦相和し、』(夫婦は仲睦まじくしなさい)


夫婦は一緒になって

お互いに協力し合いながら
生活していくことが大切である。

と言っています。



④ 『朋友相信じ、』(友達同士は信じ合いなさい)


全員とはできなくても
大切な友達とは互いに信じ合うことが大切

それが友達の最高の価値である。

と言っています。


⑤ 『恭儉己れを持し、』(自らを律すること)


これまでは、
『人間関係』の話をしてきましたが、

次は、
わがままを言わずに、自らを律していくことが大切なことだ。
と言います。


⑥ 『博愛衆に及ぼし、』(まわりにいる人を愛しなさい)


困っている人がいたら手を差し伸べることが大切である。

と言っています。




『人間』として大切なことを話してきましたが、

次は、『社会の一員』として大切なことが話されていきます。

では、
『社会の一員』として最も大切なことは何か?


⑦ 『學を修め、』(勉強をしなさい)


それは、「勉強する」ことです。
そして、この後は、
「なぜ、勉強するのか?」ということが語られていきます。


⑧ 『業を習い、』(職業を身に付けなさい)


勉強し、職業を身に付けることが

社会の一員として、基本的なことである。

と言っているのです。


⑨ 『以て知能を啓発し、』(知能を啓発しなさい)


知能
とは、
「物事の考え方」
「状況を見て判断すること」
知識や技術の上にあるものを身に付ける
ということです。


⑩ 『徳器を成就し、』(徳のある人になりなさい)


「徳のある人」
とは、
「人の心の痛みの分かる人」
「人の喜びを自分の喜びとし、人の悲しみを自分の悲しみできる人」

のことを言います。

⑪『進んで公益を廣め、世務を開き、』(世のため、人のためになることをしなさい)


「なぜ、勉強するのか?」
「なぜ、職業を身に付けるのか?」
「なぜ、知能を身に付けるのか?」
「なぜ、徳のある人になるのか?」

ここまで、自分を磨き上げる理由

すべての答えが、
「自分のため」ではなく、
「世のため、人のために役に立つ」ためです。

「他者のために生きる」ということです。
これは、『和の精神』の根本です。

「自分のため」だけに生きていても幸せにはなれません。
本当に大切なのは、
『人と人とのつながり』なんです。

これは「死生観」にもつながっていきます。
自分のお葬式で、周りの人に何と言われたいですか?

「この人は、お金がたくさんあって…」
「この人は、フェラーリをたくさん持っていて…」

言われて嬉しいですか?

「この人は、私が苦しんでいるときにこんなことをしてくれました…」
「この人がいてくれたから、私は頑張ることができました…」

このように、
「惜しまれながら」死んでいく方が幸せではないでしょうか。

では、
どのような人が「惜しまれながら」死んでいくのか。

それは、


「他者のために生きた」人
です。


「自分のため」だけに生きても幸せにはなれないことを
先人たちは知っています。
一見、遠回りのことのように思えるかもしれないけれど、
実は一番の近道。

家族のために何ができるか。
地域のために何ができるか。
会社のために何ができるか。
国のために何ができるか。
「他者のために生きる」ことの積み上げが
『豊かな人生』につながる。
ことを教えてくれています。




最後は、
『臣民(国民)』として大切なことが書かれています。
臣民(国民)として最も大切なこと。
それは、


⑪ 『常に国憲を重んじ、国法に遵ひ、』(憲法を大切にしなさい)


「日本国憲法」を重んじ、

「法律」を守ることが大切だと言っています。

⑫ 一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。
 (国が危機に瀕したときは、国のために勇気をもって守っていこう。そして、日本国(皇室)を支え、守っていこう)


これは、
「天皇のために闘って、死ね。」
という意味ではありません。

そうとしか読み取ることができないのは、
思慮がなく、理解力に乏しいと言えます。

義勇公に奉じとは、
いざ、国が危機に瀕した時は、勇気をもって国のために尽くす
という意味です。

「国が危機に瀕した時に一人一人が勇気をもって公のために尽くす。」

これは、当たり前のことです。

別に戦場に行くだけが国のために尽くすことではありません。

「危機」とは戦争だけを指しているのではありません。

コロナウィルスもそうだったかもしれません。

東日本大震災もそうだったかもしれません。

国の危機とはいろいろあります。

経済危機もそうです。

そのようなことが起こった時に、
国民全員が「俺は関係ない」とやってしまったら
助けられる命も助けることができません。

一人一人が「じゃあ、自分には何ができるのか?」
考えることが大切なのです。


東日本大震災の時、

日本中の人が「何かしたい!」と思って、
寄付をしたり、ボランティアに行ったりしましたよね。

これが、この言葉の意味を体現した姿です。

「国が危機に瀕した時に勇気をもって公のために尽くす。」

国が危機に瀕した時に、
日本人がそれに対処しなかったら、誰も対処してくれませんよ。

他の国が何とかしてくれるわけではありません。

国の危機が起こった時には、私たち日本人が何とかしていこう
という意味なのです。

つまり、
『一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。』
とは、

国に未曽有の危機が起こった時には、
国民みんなで国をしっかり存続させていこう!

という当たり前なことを言っているのです。

そして、
国民の宝である「皇室」を守ることは、
天皇のためだけではありません。

「皇室」がなくなることは、「日本国」が滅びることを意味します。

つまり、

「皇室」を守ることは、
「日本国」を守ること
「自分の愛する人々」を守ること
「未来の自分たちの子孫」を守ること
につながるんです。



そして、【本文】の締めの言葉として、


是の如きは獨り朕が忠良の臣民たるのみならず、』


今言ってきた12のことは、

天皇のために実践するのではないです。

国民一人一人。
あなた自身のために実践してください。と言っています。

では、

なぜ、実践することが自分のためになるのでしょうか?


『又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。』


つまり、
今言ってきた生き方というのは、
あなたたちのご先祖様が実践してきた生き方なのだから
ぜひ、実践してほしい。と言っているのです。

この勅語の中には、
天皇としてのエゴはなく
ひたすら「国民の幸せを願う」想いが込められているのです。



4)【末文】




そして、いよいよ【末文】です。


『斯の道は實に我が皇祖皇宗の遺訓にして、
 子孫臣民の倶に遵守すべき所、』


今まで言ってきたような生き方(道)は、
これは歴代天皇が実践してきたことであり、
天皇だけではなく、
国民もこのような生き方をしてきました。

「天皇は国民の幸せを祈り、国民が国を支えてきた」

天皇も国民もともに守ってきた生き方の作法だったのです。
と言っています。


『之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず。』


こういった生き方というのは、
時代とともに変わるものでも
地理的に変わるものでもなく
人として普遍的な正しく、美しい生き方である。
と言います。


そして、
最後

『朕爾臣民と倶に拳拳服膺して、咸其の徳を一にせんことを庶幾ふ。』


今まで言ってきたことを
まずは、天皇である私が実践するから
もしよかったら一緒にやりませんか?
と言って締めくくります。




もう巷にあふれる「自己啓発本」を読む必要はありません。

『教育勅語』に記されている

『和の精神』の根本である

「他者のために生きること」

2000年の日本国の国づくりの
先人たちが実践してきたことを
ひたすらに実践していくことで
豊かな人生を歩むことができるのです。

少なくとも、
あの教育が混沌とした時代の中で
『教育勅語』を
天皇も国民もひたすら実践していったことで
日本国が、他に類を見ない経済大国へと躍進し、
今の私たちの豊かな生活が成り立っているのです。


今から一緒に実践していきませんか?



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国民一人一人が良心を持ち、
それを道標に自らが正直に、勤勉に、
かつお互いに思いやりをもって励めば、文化も経済も大いに発展し、
豊かで幸福な生活を実現できる。

極東の一小国が、明治・大正を通じて、
わずか半世紀で世界五大国の一角を担うという奇跡が実現したのは
この底力の結果です。

昭和の大東亜戦争では、
数十倍の経済力をもつ列強に対して何年も戦い抜きました。

その底力を恐れた列強は、
占領下において、教育勅語修身教育を廃止させたのです。

戦前の修身教育で育った世代は、
その底力をもって戦後の経済復興を実現してくれました。

しかし、
その世代が引退し、戦後教育で育った世代が社会の中核になると、
経済もバブルから「失われた30年」という迷走を続けました。

道徳力が落ちれば、底力を失い、国力が衰え、政治も混迷します。


「国家百年の計は教育にあり」
という言葉があります。

教育とは、
家庭や学校、地域、職場など
あらゆる場であらゆる立場の国民が何らかのかたちで貢献することができる分野です。

教育を学校や文科省に丸投げするのではなく、
国民一人一人の取り組むべき責任があると考えるべきだと思います。

教育とは国家戦略。

『国民の修身』に代表されるように、
今の時代だからこそ、道徳教育の再興が日本復活の一手になる。

「戦前の教育は軍国主義だった」
などという批判がありますが、
実情を知っている人はどれほどいるのでしょうか。

江戸時代以前からの家庭や寺子屋、地域などによる教育伝統に根ざし、
明治以降の近代化努力を注いで形成してきた
我が国固有の教育伝統を見つめなおすことにより、
令和時代の我が国に
『日本人のこころ(和の精神)』を取り戻すための教育の在り方について
皆様と一緒に考えていきたいと思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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