むずかしさは消せない。それでも前に進む。(フカボリふりかえりゲーム「問い・解い・トイ」)
RayArc(レイアーク)、ならびにRayArc Astrolabe(アストロラーベ)の皆さま、おつかれさまです。新規事業ユニットです!
ボードゲーム🃏制作プロジェクトからお伝えします。
「問い・解い・トイ」はむずかしい?
思えば、W2ナニカソン2023春夏第3回で、「問い・解い・トイ」のオンラインテストプレイを開催したんですよね。時の流れがまさに光陰矢の如しで、油断するともはや記憶もおぼろげではございますが…。🌠
そこで、話題になったのが、
という問題でした。
あそぶなら、そして活用するなら
意見をかいつまむと、以下のようなものでした。
実際に「問い・解い・トイ」のふりかえりをやってみて…。
ギュッとした時間の中で、争点も俎上にあがった。
次のアクションプランも決まった。
なんだかんだで、発言もスイスイでた!
と、体験の全体像としてはわるくない…ものの、
逆に、自分がファシリテーターとして「問い・解い・トイ」をふりかえりに使う場面、または上司として1on1に活用するとしたら…と考えたとき、以下の課題も感じる。
最初の説明の時点で、相手に身構えられてしまうのではと不安。
なんとなく『むずかしそう』と受け止められてしまわないか。
ようするに、
が、
…という提起です。そして、
ということでした。
なるほどですよね。
仮に、つくり手が(あくまでも)自分たちなりには、
と確信していたところで、その時点では「勝手な思い」にすぎません。
まずその体験をしてみようかな、という気持ちになっていただき…
あそんでみて、途中でイヤにもならず(笑)…
習慣化ののちは、ふりかえりの効果をジワジワ感じ…
自分が主体(≒ファシリテーター)になっても、その体験を届けられると確信する
…となって、ようやくほんとうに届いたことになるわけですから。
(ソロプレイは、3まででも届いたといえるかもしれませんが、別の話)
しかし、一方で。
ただ表面的に『むずかしそう』という体験を消したり、緩和すればよいのか? と考えたとき、そういうことではないよ、と内なる声も聞こえます。この問題は、もう少しよく考えたほうがよさそうです。
そもそも『かんたん』はありえるか?
じつはこれ、ある程度予想通りというか、わかっていたことで。
前作「あのねじつは」も同じ傾向はありましたが…。「問い・解い・トイ」はファシリテーターへの依存度が高いゲームです。ネガティブに聞こえるかもしれませんが、「自由度」を意図的に強く選択した結果でもあります。
「問い・解い・トイ」は、基本的に、
です。それはまちがいありません。
ですので、ふだん、
ナニカを
出来合いの問題を解くのではなく
手探りで考える
習慣自体が少なめだと、最初はもしかしたら、より『むずかしそう』と感じるのかもしれません。
だとしたらそれ自体はある程度は宿命です。
ファシリテーターは、そのむずかしさから逃げないヒトである
そしてなにより。
そんな反証もあります。というよりも、
と…。
だって、そもそも。
なのです! …いや、これだとちょっと誤解を招くかもですが。でも、ある意味そうなのです!
のです。
であれば、もし『むずかしそう』を過度に恐れるあまり、
をつくっしまったら…?
あえて極端な言い方をすれば、そこにいるのはもうファシリテーターではない。むしろそのゲームは、いわば、
になってしまいます。
とうぜんそんなものをつくりたいわけではない…わけで。
むずかしさは消せない。それでも前に進む。
少し前の記事で、
と書きました。
「問い・解い・トイ」は、「ふりかえり」や「1on1」のむずかしさそのものをナシにしてしまう『魔法』ではありません。
むずかしさはありつづける。それはおそらく永遠に必然である。だって、最後はヒトとヒトの(あるいは自分との)コミュニケーションなのだから。
しかし、いや、だからこそ。
「問い・解い・トイ」は、そのむずかしさを乗り越えるために伴走するカードゲームです。
ゲームをはじめるとき、やはり少しのむずかしさは感じることでしょう。(ファシリテーターさんは…。参加者にとっては…むしろファシリテーターさんの「足場かけ」次第?)
そんな思いが湧くのも、とてもわかるのです。けれど(もちろん説明書を工夫したり、説明書以外に手引きを用意したり…は追及するとしても、その上で)そのためらいは本当は必要なことだから、大切にしてほしいです。むずかしさを乗り越えるため「問い・解い・トイ」でおまじないをかけましょう。
さあ、toi toi toi!
(新規事業ユニット・ワクワク魔人S)
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