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行かなかった旅行、ほっぺの真ん中のニキビ

流産についての記事をマガジンにまとめ、更新に一区切りをつけた。

noteの文章は、日記とは別に書き下ろしていた。
1日分だけ、いろんな人に読んでもらおうと思いながら書いていた日記がある。(中略やフェイクがあります)


巨大子宮筋腫と絨毛膜羊膜炎で後期流産をし、赤ちゃんを火葬した日の日記


2023年7月某日
先週の火曜日にお腹の中の赤ちゃんの心臓が止まっていることがわかり、水曜日に入院をして木曜日の深夜に破水、金曜日の朝に出産、土曜日に退院し、日曜日の今日、火葬を終えた。

入院当日から今日まで恐ろしいくらいの晴れで、太陽光がこれでもかと地球の地表を照らしているなあという、恐ろしい彩度の明るさだった。入院中は外出していないのでわからないが、今日もエアコンを23℃にしても寒くないレベルの暑さだった。

腹痛による覚醒はあったが、朝は6時ごろまで寝ることができた。退院後初めて自宅で目を覚ましたので、この5日間全てのことが夢のように思えた。

のは一瞬で、現実には赤ちゃん用のドライアイスが溶けないよう、部屋のエアコンの設定温度を最大限下げ、ドライアイスの二酸化炭素で寝てる間に死なないために全開の窓からは蝉の声が響きわたり、冷蔵庫の野菜室に入った手作りの棺で赤ちゃんが寝ている。
目覚めた瞬間に隣にいた夫の寝顔は赤ちゃんにそっくりで、撫でたりしたくなったが、起こしてしまわないようにそっと起きた。

冷蔵庫の野菜室をそっと開け小声で「赤ちゃんおはよう」と挨拶をして閉じた後、せっかくだから寝顔を見ようともう一度野菜室を引っ張り、棺を開けて顔をみた。昨日あった霜はだいぶ減っていて、ほとんど生まれた時のままのつるんとした赤ちゃんだった。

昨日買った線香にここぞとばかりに火をつけ、布団で手紙を書きつくり、パジャマで涙や鼻水を拭ってからシャワーを浴びた。この家の浴室は朝日がすごくよく入って気持ちがいい。

浴びてるうちに夫も起きてきた。よく眠れたか話していると、「きみは眠れなかったよね、泣きながら『赤ちゃんどこ』って言ってたし」と言われ、目を剥いた。そんなの記憶にない。
腹痛で夫に薬を取りに行ってもらったのは覚えている。しかし睡眠薬と痛み止めと自宅に戻った安心感から、寝付きは良く、すっきりと起きられた気でいた。いびきで夫に迷惑をかけることはしばしばだったが、今回のように感情まで叩き起こしてしまっては申し訳ない。


時間はあっという間に過ぎ、家族3人の時間は残りわずか。ゆったりと歌ったり写真やホームビデオを撮って過ごしたいと想像していたが、「もう時間じゃん!」慌ててバタバタ私が化粧を始め、夫が私の指示通りに準備を始めるいつもの朝だった。

夫に、先に車のエアコンをつけておいてもらった。アナ雪のオラフと一緒で、私の赤ちゃんの肉体に、日本の夏は厳しい。
結局ドライアイスは消えてなくなってしまっていたので、赤ちゃんには保冷剤を詰めた保冷バッグの中に棺ごと入っていてもらうことになった。

なんとかギリギリに身支度を終え、忘れ物がないか確認して私たちは家を出た。
荷物は夫が持って、私が赤ちゃんの入った保冷袋を抱っこして車に乗った。これもまた家族の時間だ。赤ちゃんと3人でドライブした道を忘れない。普通にいつもの道を通るというところも良かった。

火葬場はなんともこぢんまりしていて、見つけるのに苦労しそうなくらいだった。私の小さな赤ちゃんにぴったりに思えた。
それでも立派に「〇〇家控室」の字があったので、そこで赤ちゃんやお供えを並べて別れを惜しんだ。夫は慣れない手続きに慌てていたが、時間通りに着いたので事務所で手続きをしてもらった。

参列した家族から、赤ちゃんへの手紙と絵本などをもらい、赤ちゃんを連れていた袋がまたいっぱいになった。想いの重みを感じた。
参列者が控え室に揃ってからは、今日に向けての心持ちや、みんながイメージしていた赤ちゃんとの未来について聞かせてほしいという話をした。


時間になったと係の人が伝えにきたので、いそいそと出発のときがきた。
控室で待っている間に、手作りの棺を全方向から撮ったり(装飾物や花束にはそれぞれ意味があるので)、お供えと赤ちゃんの姿を存分に写真におさめたので満足していたが、唯一このときに私は赤ちゃんに手で直接触れることをしそびれた。かわりに夫が自宅で触れていてくれて本当に良かったと思った。

火葬炉の前にみんなが集まり、いよいよ、というときに夫は「あいさつ用のメモはない」と言い始め、何も言わないのかと思ったら、泣き震えながら、昨日2人で話したことをみんなに語ってくれた。夫の感情的な姿はみんなの心を揺れ動かしたようで、参列者はみんな泣いていた。私は夫の背中をさすってハンカチを差し出した。夫の赤ちゃんへの想いが全身から溢れていて、私のあいさつをするまでもなく、「同じ言葉を返します」と思った。役割が普段と全く逆転していた。
葬式はしないつもりだったが、このときお焼香を上げることができたのでなんだか気が済んだ。

控え室に戻って、今度は私から、今日を私たちは赤ちゃんの門出を祝う壮行会だと思っていること、赤ちゃんの肉体は生きていないけれども彼なりの人生が確かにあったこと、そしてそれはみなさまの思い出のなかに生き続けているので、いつか聞かせてほしいと話した。

そして今日までの心情に自責があったこと、夫と話をしながら心情に変化があること、さらに出産当日のエピソードを話し、落ち込むだけでなく、心から赤ちゃんの誕生を祝っているということを話した。
最後に、少年刑務所のプログラムに着想を得て、赤ちゃんへ宛てた手紙の、赤ちゃんからの返事を想像して書いたものを読み上げた。昨日は赤ちゃんの火葬中のこの時間を、歌ったり楽器を披露するか、と赤ちゃんを前にして夫とふざけて話していたが、そうしなくて本当によかったと思えるみんなの顔つきだった。

一度区切って、みんなの話を聞きたいとしたところで、少し場の空気がゆるんだ。
夫の幼少期の話題になり、一気に笑いに包まれた。みんなで笑いながら泣いた。赤ちゃんも夫と一緒におふざけをして、きっとたくさん笑わせてくれただろうね、と話した。夫の歩んできた人生のエピソードが、赤ちゃんの歩むかもしれなかった人生と重なって思えた。

まるで「行かなかった旅行」のような大切な思い出だと勝手ながら受け取った。でもそれでいいよね、赤ちゃんを想って今日集まってくれたみんなは、当然私たちのことを想ってくれてもいるわけなので。
そう思うと赤ちゃんは森羅万象になり、どこにでもいるので寂しくないし忘れることもないと思えて嬉しかった。


話が盛り上がっている最中に赤ちゃんの火葬が終わった。
お骨は、思ったよりしっかりと頭蓋骨が残り、かわいいかわいい脚の骨も1本残っていた。火葬場の方の赤ちゃんへの想いを感じてまた涙が出る。小さな骨壺にちょこんと収まった赤ちゃんの新しい「形」も十分愛おしく思えた。

火葬後はそれっぽく和食かと考えていたが、夫が食い気味に「シズラーに行きたい」と言うので、行くことになった。
法事じゃないけど、火葬後にシズラーに行く遺族はいないだろうなと思ったが、我が家らしくて良い。

夫は好物を食べ、めったに揃うことのない両家族も満足そうだった。私はふだん調子に乗って食べすぎるところを、退院したばかりの食生活を振り返り、こらえた。
会話は途切れることなく、クライマックスに定番の旅行の話をして終わった。ほっとけばいつまでも駄弁ってしまいそうだった。
端から見ても、紙袋に入った小さな骨壺の中身さえ見えなければ、
絶対に流産をして赤ちゃんを火葬してきた家族には見えないだろう。


そして赤ちゃんのいない自宅へ帰った。赤ちゃんは自宅の見えるところの景色にいなかったはずなのに、帰るなり寂しく、「心にぽっかり穴が空いた」気持ちになった。
しかし夫も私も、ミニお葬式とも言える壮行会をきちんとできたこと、美味しいご飯を食べてシズラーでめちゃくちゃ笑った後だったので、2人とも満足していた。きっと赤ちゃんも安心して昇って行っただろうと話した。心からそう思った。妊娠期間中に外していた結婚指輪をつけた。

家族が帰宅後、アドベンチャータイムの最終回「ミュージックホール」を見返したとのことだった。ジェイクが死んじゃって悲しいけど、穴から音楽がして楽しいねという子ども向けアニメの最終回にしては哲学すぎる最高のラストを私も思い出し、心に空いた穴も愛おしく思えた。

ほっぺの真ん中のニキビも、股から出続ける赤ちゃんと繋がっていた分泌物や血液も、心の乱れの通りに散らかった自宅も、飛んできたコバエも、妊娠から今日までのことが全てどんなことも愛おしく思えた。これからの人生大丈夫、と夫と確認し合った。
赤ちゃんは不在だが、子宮筋腫で膨れたお腹がぴったりと夫にくっついて、「空有り」を感じた。

(この日記を書き途中に睡眠薬が効いてきて、ほとんどを翌朝書き上げた。)



更新に一区切りなんて言ったけど、心の整理なんて一生終わらないと思う。でも!父ちゃんも母ちゃんも笑って過ごせているので「大丈夫」です!
どんな人にもきっとそういう古傷みたいなことってあるよね。

想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってるんだろな~~

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