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たからもの #74 少年柔道

この記事は、2011年9月に、別のサイトに投稿していたものです。
そのサイトを閉じることとなったため、noteに移設させていただくことにしました。


地元の宮城県仙台市で、小学5年生から大学生まで柔道を続けました。
先生方には親身にご指導いただき、両親にも応援してもらいましたが、結果的に芳しい成績は残せませんでした。

その恩返しの意味でも10年以上に渡り、小学生、中学生の柔道指導に携わっております。

サラリーマンですので、転勤はつきものです。
現在の会社には、仙台で入社した後に、東京に転勤しました。
その後、つい先日までの約2年半、郷里の仙台に戻って働いておりました。
現在は、仙台勤務を終え、再度、東京で働いています。

異動に際しては、寂しい思い出もできました。

仙台の2年半も、仕事の合間で少年柔道の指導をお手伝いをしておりました。
サッカーや野球の方が人気があり、最初は、4人しか居なかった子供達も、先生方と協力して勧誘し、20人にまで増えました。

宮城県大会を勝ち抜いて全国大会に出場した子・・・

常に上位入賞ができるようになった子・・・

逆に努力をするもののなかなか、結果に現れなかった子・・・

最後の稽古では、一人でも多くの子たちと組み合い、汗を流しました。
心残りもありましたが、みんな笑顔と花束で見送ってくれました。

最後の稽古の翌日、引っ越しの荷造りをしている私の元を小学3年生と1年生の兄弟が訪ねてくれました。
二人は、東日本大震災以降、事情があって柔道から離れてしまっていました。
しかし、そんな兄弟が、わざわざ訪ねて来てくれたのです。
そして、こんな手紙をくれました。

いつも、れんしゅうで、大そと 大うちを、教えてくれてありがとうございます。
はじめて、あった時は こわかったけれど いつのまにか大すきに、なってました。
帰りの時あそんでくれたり、じゆうけいこで いっしょにやったりしてくれてありがとうございました。
とおくに行っても、元気でわすれないでください。

いつもありがとうございます。
ねわざのとき こちょ こちょ された
ひっこししても げんき でね。

この手紙は仙台の思い出と共に、私の大切な〝たからもの〟となりました。
みんな、楽しい2年半を、ありがとう。

・・・ほんとうに、ありがとうございました!


私は元々、宮城県仙台市の営業所に勤務していました。
それから東京に転勤し、2009年に、再度、仙台に転勤しています。
その際に、2011年の東日本大震災を経て、9月に東京に再度、転勤となっています。

この記事は、東日本大震災を挟んだ2年半で携わった仙台の少年柔道の思い出です。

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