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日本から、日本が消えてく。

*タイトル変更しました*
 カタチについて。を
 日本から、日本が消える。に変更。
 カタチ、という言葉への思い入れは
 型+血、という解説を
 どなたかの有名なデザイナーの人の
 (著者名を失念)
 著書で知りました。
 ですが、切実な思いへの
 フォーカスを優先いたしました。
 応援をよろしくお願いいたします。

1月20日(土)2018

ご自服なさいませんか?
(ご自服とは
 =お抹茶をご自分で点てご自分で喫む)
ってのを、イベントとして
やろう、やってみよう、と決めたのには、
いくつか理由があります。

一つは、お抹茶を
点てたり、喫んだり、が、
とても敷居の高いことだと思う人が、
想像以上に多いこと。
かたくなに恥をかきたくない思いが、
ビシビシ伝わってきてしまう場面が
わりと多くあったからです。
そーじゃないんですーよー。
と、ハードル下げることを目的として。
その点、外国人は
興味のあることに対して、素直だし
敬意をもって接してくれるので
言葉が通じなくても、日本人より
思いが通じるような気がします。
心が歪んでませんか?ってのは、むしろ
日本人のほうが多いような印象があります。

また、一つには
自分の、仕事とか仕事以外とか
どれもこれもの境界線を超えた、
自分のランドマークみたいなものとして
役目を果たしてくれそうだ、と思ったから。
Work という英語のおおもとの意味は
人生すべてだと知ったとき、
この言葉が大好きになりました。
いつの頃からか、意味が、働くことに
偏ってしまったのも、時代の流れを
大きく眺めると、理解できなくもない
のですが、、しかし、、本来の意味を
味わいたい派です。
行為に境目のない、ただのわたし、
丸ごとのわたしの目印として
「和言」というカタチを
掲げてみることにしました。
後押ししてくださった方々への
信頼も大きいし、わたし自身も
信頼できる場を、一つ、また一つ、
と増やしている最中です。

今すぐには必要だと思えなくても、
百年たった後に、たしかに!
ささいな日々の営みの積み重ねが
やがて、国の人格としての文化を
担うほどの底ぢからとなり得るよ!
という証を立ていきたいという思い。
自分の正しさの立証ではなく、
失うわないほうが、いいと思える
ものやことに対する敬意と継承です。

文化は共有してこそ文化ですから、
多くの人の豊かさに寄与しないと
意味はないと思っています。
かと言って、なんでもかんでも
ネット上に出ているものは、
共有OKなのかという疑問もあるし、
孫引き、ひ孫引き、の情報に対して
どこまで責任をもつんだろうと考えれば
(疑問の矛先は、つねに自分自身を含む)
後ずさりしたくなる思いも生じます。

よく言われることですが、
変わるもの変わらないもの、の見極めは
とても重要だと思います。
何が本物で、何が正しいかの前提は
共有するのに必要ですが、
個々人としては、愚直に
積み重ね、積み崩し、積み重ねる、の
繰り返しが、暮らしの美を形づくっていく
と考えています。
知行一致、が近いかもしれません。
漠然とした正しさに準じたい気持ちが
日に日に大きくなったように思います。

茶道をはじめ、
日本の文化みたいなものに対して、
いわゆる一般的な解釈や接しかた、
眺めかたもいいとは思うのですが、
もっと根っこを知れば、その人その人
それぞれが、自分の豊かさを
自分で育むことができるのに!
という考え方は変わりません。
豊かさは、
押し着せのものではないし、
通り一遍の上っ面を撫でて
満足できるものでもないし。
つねに原点、根っこを見つめることに
力を惜しまず、見つめ行なうことで
自分の生きていくなかで継承し、
自分以外につなげていけると思います。

しかるべき人に届けたい。
それは、たぶんネットを見る暇すらない
ネットを見ても実践する時間もお金も
余裕がない、と、嘆く人にこそ
読んでもらいたい。
しかるべき人たちこそが、文化を味わい
継承していく分厚い層だと思います。
それは自分も含めて。
たまたま時代の恩恵にあずかり、
たまたま人より多少余分なことを学ぶ機会を
逃さず食いついてきた、体験を
一次資料として提供したい。
それを活かしてもらいたい。

なのに、
そこにダイレクトにリーチできない
わたしの力不足があります。
力不足だけでなく、経済の循環として
余っている人が、足りない人に回す。
足りない人が足りたら、また別の
足りない人に回す。
それが理想に近いと思います。
上下ではなく、流れる円です。

突き動かされた、具体的なキッカケは、
銀座通りにあった、「くのや」さんという
着物小物店(もともとは足袋のお店)が
2011年に、姿を消してしまったことです。
ちょうど、銀座シックスの向かいあたりに
ありました。

くのやさんが失くなる前には、
「白牡丹(はくぼたん)」という
着物小物店が、ビル建て替えとともに
失くなりました。

銀座は、さすがに銀座だけあって
京都の老舗「しま亀」さんがあります。
めちゃくちゃお高いです。
見るだけ見たくて、目垢をつけに
引き戸を開け、ビビっているのを
隠せるだけ隠して、あれこれ聞きました。
ビッックリするようなお値段の風呂敷を
少しだけ広げて、そして
逃げるようにお店を出たのです。
そのくらい、お高い。
そして、柄ゆきは、もうコテコテの京風。
京都のお金持ちにお任せしましょう。

男性の着物は、銀座にもお手頃で
手に入るようです。
女性の着物で、値段に優先順位をおくなら、
馬喰町の問屋街が、おススメです。
会員制で、品揃えの幅が広い。
ただし、どうしても
ありきたりになりがちですが
右も左もわからない着物初心者が
大きく失敗しないで挑戦できる場です。
知識が豊富なスタッフが多く
ウインドウショッピングだけでも
十分に知識が身につくし、
実物を見ながら学べます。

さて、銀座の話です。
くのや、は、江戸の粋な柄を多く
扱っていました。
いわゆる江戸小紋柄と、それ風も含め。
庶民にも手が出るお値段で
ものがよくて、信頼もありました。
個人的には、足袋は、
くのやさんが好きでした。
誂えでなく、0.5ミリ刻みだったか、、
うろ覚えですが、、不細工な形の足にも
沿うラインで履き心地がよかった。
同じ銀座に、足袋屋さんは、大野屋さんが
ありますが、ここは
歌舞伎役者やそのご贔屓さんで賑わうので
一角を堅持されています。
誂えの足袋や手ぬぐいで、有名です。
くのやさんは、その親しみやすい
お値段のせいなのでしょうか、、
まさかまさか、潰れるとは
思いもしませんでした。
庶民の支えでは、いかに心許ないか
が如実に出てしまったのです。

着物を芸術品と位置づけるか
普段着に捉えるか、は極端なので
たぶん「気合の入ったよそゆき」の
ポジションになっていくのでしょう。
着る人がいないと、売る人も買う人も
作る人も存続できない、と以前にも
書きました。

くのやよりも先になくなった白牡丹、は
あっさりした京風という
ポジションで捉えています。
この、あっさり京風が、わたしは大好きで
お店のおかみさんもいつも着物で
感じのいい人でした。
黒地に、赤い達磨の染めの名古屋帯を
何度も眺めては、ほしいなあ、
と見入ったのですが
、、12万円を8万円にしてくれる
ところまでいったの買いませんでした。
てか、買えませんでした。
染め(後染)の帯は、織り(先染)よりも
遊びの帯として格が下がってしまいます。
十分に帯は手持ちで揃っているので、
遊びの帯を増やすわけにはいかない、
と諦め、二度と会うことはありませんでした。

白牡丹が潰れ、まさか、くのやまで。。
くのやさんが閉店したのを知ったのは、
東北の大震災のすぐ後でした。
震災よりも以前に閉店は決まっていたようで
兎にも角にも、大ショックでした。

洋服も着物も、そして人もすべてのものも
出会いとタイミングがあるようです。
縁がなかったものは、どうあがいても
縁はありません。

でも、しかし。
ネットのチカラで、多くの人から
再興を渇望された
大分のお菓子「ざびゑる」は
一度、潰れたのに、販売が再開されました。

お菓子のように賞味期限は短くないけど
お菓子のように単価は低くない。
どうしたものだろう、どうにか再開は
ないものだろうか。
もしかしたら、ネット販売かどこかの店舗で
細々やっている可能性もなきにしもあらず。
ですが、銀座通りのあの場所に
くのやさんは、もうありません。

コマツビルから、ビルごとDHCになって
白牡丹は消えました。
香十という、お香のお店も入っていましたが
麻布十番に本店があるので、
銀座支店を失うに止まりました。

どんどん、ますます
日本から、日本が消えています。

着物になる絹は、国産が少ないというのは、
もう、かなり以前から言われていました。
実際に、今は、国産の絹は1割くらいだそう。
中国産が多い、ようです。
刺繍にしても、ベトナムに移行したと聞いて
すでに久しい。
日本産ではない、日本の品々。
国産だけがいいとは限りませんが、
さみしさ、むなしさは、ぬぐえません。

具体的な目標は、くのやさんの再興、かな。
このお店があるとないでは、着物の楽しみが
だんぜん違ってきます。違うと思います。

一度、潰れてしまったものを
再興させるというのは
とてもとても甚大なエネルギーがいります。
「ざびゑる」の再販売だって、どんなにか
勇気と情熱が必要だったろう、と想像します。

再興、という意味でいうと、恥ずかしながら、
わたしの身の上にも重なる経緯もあります。
失われた十年間で何度も潰れ、その事情は
知る人だけが知ってくれているので、
それで十分ですが、とにかく潰れました。
ようやく過去になった今、ひたすら
再興していくことが、恩人の方々と自分への
報いだと思います。
もちろん、わたし自身が楽しめないと、
なんら再興も果たせませんので、
全力で遊び尽くしたいと思います。

遠くの大きな目標と、
近くに見える具体的な目標と、
どちらもつながっており、
目の端に、どちらも入れながら、
日々の文化をつなげていく道中の
一助になれば、と思います。

意気に感じていただけましたら、
応援していただきたく思います。
よろしくお願いいたします。
折に触れ、ご報告させていただきます。

和言のかおり

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