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古河鉱業飯盛鉱山編(一部¥)

▼このページでは、昭和40年代まで国鉄和歌山線名手駅南方に存在していた古河鉱業飯盛鉱山を取り上げます。


1.紀ノ川流域の黄金狂時代

▼下図は、明治中期に作成された『日本帝国鉱山全圖』です。

紀伊山地北部に「ド」=銅を中心とした鉱物資源が分布していたことがうかがえます。

▼下図は、大正期に作成された『重要鉱山分布図』です。鉱山における採掘は農商務省の許可が必要とされており、「重要鉱山」と「重要鉱山以外の鉱山」に分けられていたようです(その後この区別はなくなりました)。

紀ノ川流域の重要鉱山は言うまでもなく飯盛鉱山で、図には飯盛のほかに赤沼田(後述)が示されていますが、赤沼田は「重要鉱山以外の鉱山」という位置づけです。

(1)紀ノ川流域の鉱脈の存在
▼紀ノ川流域、特に紀ノ川左岸部以南の紀伊山地には、上図の如く銅の鉱床があることは近世から知られていたようで、工部省の採掘特許表には1874(明治7)年の段階で伊都郡内の採掘借区申請が行われていた記録が残っているので(工部省 1884)、かなり古くから(≒近世から)鉱脈を掘り当ててひと儲け狙おうとしていた人びとがいたことはほぼ確実です。ちなみに、明治初期の採掘鉱区は、那賀郡よりも伊都郡のほうがはるかに多く、明治中期から後期にかけて那賀郡内の鉱区が開発されていき、同時に伊都郡内の鉱区の多くが採掘放棄しています。また、硫化鉄が採掘されるようになったのは明治中期以降で、明治初期には銅のみの採掘にとどまっていました。金、銀、銅、錫、鉛の5つの金属については、近世からそのノウハウが確立していたようです。
▼一方、古代には紀伊山地に水銀鉱山が数多くあったといわれています。紀ノ川流域から奈良県吉野地方にかけて「丹生にう)」と呼ばれる神社や名字が多いのは、水銀(昔は丹砂と呼んだ)に関連しているとする説が有力です。どうやら、この水銀という物質は仏教と大きな関係があるらしく、土砂加持(どしゃかじ)という密教流の祈祷法で水銀が使われたのではないかと推察する古代史の本を読んだ記憶があります。
▼紀ノ川や中央構造線すなわち国鉄和歌山線沿線は真西―真東ではなく、僅かに西南西―東北東に軸を置いていますが、紀ノ川左岸部の紀伊山地にはほぼこれに平行する形でキースラガー(Kieslager;層状含銅硫化鉄鉱床)が横たわっており、以下に述べる各鉱山のほとんどはこの鉱床を掘り当てたものです。このキースラガーがどのような地層の上にあり、どのような歴史の上に形成されたかについては、何億何十億年のスパンという、歴史に関する管理人の空間識のはるか別次元のところを行っており、その基礎的理解を完全に放棄しました。関心がおありの方は自習して下さい。層状鉱床を掘り当てる難しさは、鉱床が必ずしも水平方向、垂直方向に横たわっているのではなく、斜めにねじれていたり(むしろこちらのほうが多い)、途切れていたりして不均一であることです。ともあれ、昔の人は近代合理主義精神を汲んだ学問にあまり触れていない段階からこのキースラガーの存在を経験的に知っていたことになります。

(2)鉱脈を発見して一攫千金を狙うあなたへ
▼では、近代合理主義精神を汲んで「いない」学問とはどのようなものであったのでしょうか。紀ノ川流域で鉱脈でも掘り当てて一攫千金、一発逆転を狙っているあなたに、古典的な鉱脈の探り方を以下にご紹介します。20世紀に入った頃から、鉱山関係のマニュアル本が続々と出版されるようになります。読んでみると、概ね西洋の地質学をふんだんに取り入れた内容となっていますが、東洋流の考え方も捨てきれないらしく、両論併記のかたちになっていたりもするのが面白いところです。
▼明治期における鉱脈発見の心得としては、以下のようなものがあげられます。

■探鉱に適した時期は春と秋が良い
・春は積雪が全く消えて草木の芽が出そうなとき、秋は草木がほとんど枯れ落ちたときが最良。言うまでもなく、草木が広く繁茂する夏場と積雪期の冬場はNG。

■地勢をよく観察せよ
・山地の屈曲や起伏の状態を、従来からある模範的な鉱山の地形と比較するのがよい。また、地辻や山崩れ、切開、水洗等の作用によって断崖、絶壁をなしている箇所を徹底的に観察し、岩石や地層の種類、方向を研究するのがよい。特に大出水の時が狙い目で、鉱床の露頭を覆っている地質は他の部分よりも崩れやすく、出水時に最初に流されるので露頭発見に好都合である。
・あらかじめ存在する鉱山の近くで探鉱する場合は、もとからある鉱山の鉱脈の走向を探究するのが合理的である。
・新道を建設するために開墾中の山を探究するのも効果的である。

■山相を観察せよ
・紀ノ川流域の全山岳をことごとく探鉱するのは不経済だから、あらかじめ山相を観察して探鉱すべき山岳を予定し、しかるのちに探鉱に着手するのがベストである。
・必ずその山の太祖(親山)を真北から真南に向かって相する。時季は5月から7月、雨後の巳の刻から未の刻の間が最良。雨が上がって晴れたときに山々を熟視すると、雲と霧が消えて青翠の間に瑞光を発し、その鮮明さで他の山と異なるものがあれば諸金含有の山相である(これを遠見の法という)。
・そのターゲットを定めた上で、金属の種類を見極めるためには、時季は5月から8月、夜中にその山が含有する諸金から蒸発する精気を望見する。精気が出現するのは大抵の場合子の刻であり、さらに月のないよく晴れた夜を選ぶ(月があると精気が見えない。さらに、冬季は精気が蒸発しない)。金精は華のように、銀精は龍のように、銅精は虹のように、鉛精は煙のように、そして錫精は霧のように見える。金銀銅の精気は20丈にまで昇り、銀精は風に従い、錫精は風に逆らう(これらを中夜望見の法という)。
・朝日を受ける山には金と銅があり、夕日を受ける山には銀があるという古説や、南北走向の鉱脈は概して良鉱であるとする古説などがある。

■鉱物を豊富に含有する山は草木が広く繁茂している
・鉱物を豊富に含有する山には草木が繁茂しないという古説があるが、これは地表に露出している岩石の鉄分が豊富だったり、それが酸化して草木の繁茂を妨げることが根拠となっているが、事実は逆で、実際の鉱山は樹木が繁茂していることが圧倒的に多い。
・なお、鉱物が存在する山は他の山に比べて草木の色がなんとなく異なるという古説もある。

■穴居動物に着目せよ
・ネズミなどの穴居動物が穴の中から掻き出した土や石の中に母岩や鉱石の痕跡があるか否かを点検すべきである。

■渓流辺岸を観察せよ
・ターゲットの山の渓流は必ず点検すべし。湧水が落ちている泉が赤色だったことをきっかけに銅山を発見したという古説が多い(鉱物中の硫化鉄が酸化したことによると思われる)。但し、ほとんどの地質は鉄分を含んでいるのでこの説はあまり役に立たない。
・一方、水辺や泉辺等の沈殿物の錆(染錆)に注目すれば、赤褐色の錆が多ければ鉄鉱、藍色や緑色の錆が多ければ銅鉱、帯灰藍の錆が多ければ鉛鉱がある兆しとされている。
・鉱物は一般に、最も微細なものが流れるので、着色された微細な岩石や砂礫の成分をよく調べる。
・もし渓岸に土塊が堆積しているならば、その山の中腹に露頭が存在する。その土塊は露頭を包んでいたものが雨水のために崩落したものである。

■銹石(しゅうせき)を観察せよ
・銹石とは、石英等の母岩の含有鉄分が露頭で酸化されて蜂の巣のように穴が開いたものをいう。これがあれば鉄、銅、鉛がある兆候とされている。

■非金属鉱石を見つけたら、逆に金属鉱脈の存在を疑え
・重晶石、蛍石、方解石、石英等の鉱脈を岩石中に発見したならば、往々にして硫化鉄や炭酸類その他の鉱脈を発見できることがある。

■口碑に耳を傾ける
・先人が何らかの採鉱、採掘活動を行っているならば、その存在は必ず村人には伝わっているはずであるから、樵や村人などと遭遇するたびにその鉱脈の存否を尋ねてみる。

■地名に注意する
・昔鉱山があった地区の寺院の寺号、村名、大字小字名、山河渓流などの地名には、得てして鉱物にちなんだ名称を付してあるものである。

▼さいごに、幸運にも鉱山を発見した場合、試掘出願の手続きを終えていなければ、その鉱業権は発見者に属しません。他のライバルが先にそれを出願すると自分の発見は徒労に終わるので、自分が発見した露頭は隠蔽し、さらにそこに到った足跡も残さないようにしなければなりません。

2.古河鉱業飯盛鉱山

(1)飯盛鉱山の概要
▼かつて国鉄名手駅南方、紀ノ川の南側に古河鉱業飯盛鉱山があり、架空索道を経由して名手駅から鉱物を輸送していました。

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