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情報戦の優位と「戦争の日常化」(庭の話 #16-2)

昨年末から僕が『群像』誌で連載している『庭の話』を、数ヶ月遅れで掲載しています。今回載せるのは第16回です。過去の連載分は購読をはじめると全部読めるように設定し直しておいたので、これを機会に購読をよろしくお願いします。(今回、長いので3分割します。最後の1/3は今月の後半にでも載せます。)

3.情報戦の優位と「戦争の日常化」

 では、この情報化された「戦争」こそが究極の「庭」なのかーー。結論から述べれば、それは異なっている。今日の情報化された(ことによって日常と一体化した)戦争は、むしろプラットフォーム上の相互評価のゲームを、承認の交換を強化してしまうからだ。

〈プロパガンダの一部は大衆に関わっている。大衆の気持ちを戦闘で功績を挙げるのにふさわしくなるまで調整することであり、変わりやすい大衆の気持ちを一定の目的に前もって振り向けることだ。また、一部は個人に関わる。そのときには、プロパガンダは、意図的な感動を引き起こすことで心のゆるやかな論理的順序を超越し、人間味のある好意というめったにないわざとなる。それは戦術よりも油断がならず、より実行する値打ちがある。なぜなら、それは制御不可能なもの、直接には指揮できない対象を扱っているからだ。(中略)敵の心も、手が届く限りは調整しなくてはならない。そして銃後で我々を支えているほかの人々の心もだ。戦闘の半ば以上は、後方で起こっているからだ。さらに結果がどうなるか待っている敵国民の心も、そして注目している中立国民のそれも……〉

 これは現在も進行中のロシアのウクライナに対する侵略戦争における、両国のプロパガンダ戦略について解説したもの……ではない。この文章が書かれたのはおよそ100年前、おそらくは1922年ごろだと思われる。執筆者はトマス・エドワード・ロレンス、「アラビアのロレンス」の二つ名で知られる第一次世界大戦の「英雄」だ。考古学者の卵だったロレンスは大戦中に中東の専門家としてイギリス陸軍に参加し、そして敵国トルコ(オスマン朝)に対するアラブ諸民族の反乱を扇動、支援する任務を帯びてアラビア半島に派遣された。そこでロレンスはもっともアラブに「近い」イギリス人として反乱の中心人物となるのだが、ここで重要なのはむしろロレンスの「活躍」の軍事史的な価値のほうだ。

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宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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