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在野研究者やフリーの書き手がもっと「食べやすく」なるために整備したいある回路について

さて、今日はちょっと真面目な話をしたい。少し前に磯野真穂さんのブログで在野研究者の「お金」の話が取り上げられていた。

これは研究者に限らず、いわゆるフリーの物書き全体に当てはまるように思う。僕は何年か前から、この手の「業界を憂う」話がちょっと苦手になっていた。それは要するに、実際に歴史的に意味のあるものを書くよりも、「業界の話」を書くほうが楽だからだ。「これからがんばります」と意識の高い宣言をするほうが、実際にことをなすより簡単なのと一緒だ。だから、考えていることがあってもあまり書かないようにしていたのだけど、しかし磯野さんのこの文章はそういった卑しさがなく、とても考えさせられた。そこで今日はちょっとじゃあどういう仕組みがあったらいいのかを、少し書いてみたいと思う。

僕がもう少し在野の「書き手」が儲かる仕事にしないといけないと思うのは、やっぱり同世代や若い書き手たちに、少しでも目立って席を確保するためにとにかく誰かが何かをやらかして「攻撃できる」口実を探しているようなスタイルが増えてきたように思うし、レジーさんとの対談で述べたように文化系が嫌いがちなビジネスマンやブルーワーカーの文化を(外見的には分析的な文化論の体裁を取りながら)小馬鹿にしてヒットを狙う、なんて企画も目立つようになってきたと思うからだ。

しかしここで考えなきゃいけないのは要するにこういった卑しい行為にインセンティブのある環境の問題だ。もちろん、それがすべてではないが(と断っておかないと「宇野は環境決定論のみを信奉していてけしからん」と、僕の原文を叩きやすいようにアレンジして攻撃されるだろう。そしてネットは訂正コストが高く「言ったもんがち」になりがちだ)「貧すれば鈍する」という問題は確実にある。

やっぱりもう少しフリーの書き手や、研究者が「食べやすい」環境が合ったほうがいいと思うのだ。もちろん、90年代の出版バブルのようなものがもう再生するとは思っていないし、有能な書き手や研究者の絶対数なんてそんなになくて、いまくらいシュリンクしたほうがいいという考えも分からなくはない。しかし僕は自分がインターネット出身の書き手なので、やっぱり勝手に個人がいいものを書いていたら、それが見つかる……みたいな回路はそれなりに担保しておいたほうが絶対に豊かな世界だという考えは捨てられない。

じゃあ、どうしたらいいのか。僕の考えは「一度SNSを切断する」だ。もちろん、完全に切断はできない。しかし限りなく遠くなるべきだ。ポイントはSNSでタイムラインの潮目を読むことのインセンティブを限りなく低下させることだ。SNSでポジションを取らないと生き残っていけない、という状況を緩和するための介入が具体的に必要なのだと思う。

で、僕はここしばらく考えていることがある。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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