見出し画像

この国が再生するためには(消去法で)JTC社員や公務員の「生き延びた氷河期世代」が立ち上がるしかないのでは、という話

今週にあまりnoteが書けなかった(週末も更新して帳尻合わせます)理由は、「楽天大学ラボ」の準備……のためだけではなくて、ほぼ丸1日かけて某企業のリーダー研修的なワークショップの講師をやっていたりしたからでもある(僕もこう見えて、いろいろな仕事をしているのだ)。相手先はこういってはなんだけれどいわゆる「JTC(Japanese Traditional Company)」と呼ばれる古い体質の大企業だったのだけど、参加した社員たちは僕のワークショップに来るような人たちだから、なんとうか、骨のある人たちで、たっぷり時間を使ったことありかなり中身の濃い議論ができた……と思う。

で、今日はそこで考えたことを書こうと思う。そのワークショップには僕と同じ日本版ロスト・ジェネレーション、いわゆる「就職氷河期時代」のメンバーが多かったのだけど、ワークショップの後半のディスカッションでは、一瞬この世代の自意識を巡る議論になった。そこで僕が考え、そして述べたのはちょっと自分でも驚くような一言で、自分たち氷河期世代の、それも幸運にもある程度の地位を獲得した「生き残り組」が損得勘定を抜きに社会に奉仕することでしか、この国は変わらないのではないか、というのがそこで僕の口にした結論だった。要するに、ガラでもなく同世代よ立ち上がれとアジテーションじみたことを口走ってしまったのだが、あれから数日経って、やっぱり消去法で「それしかない」と思うのだ。もっと具体的に言えば、頭の中身はある程度新しいのに所属している組織や団体の体質が古い、といった状況に陥りがちな僕たちの世代のエリート層ーー大企業や役人で飼い殺されている人びとーーのポテンシャルを「引き出す」ことでしか、なかなか今の日本で大きな流れをつくることは難しいのでは、と僕は考えているのだ。

告白すれば以前コクヨの働き方改革アドバイザー・坂本崇博(彼も同世代だ)の本をPLANETSから出したのも、実はこういうことを考え始めていたからだ。消去法でJTCや役場に集中している同世代の人材を「覚醒」させるしかない。それが、僕の現時点の結論なのだ。

以下、その理由を書いていこうと思う。

そもそも世代論として、僕の同世代の人材は守旧的な体質のJTCや役場にかなり吸収されている。それは、端的に僕たちが社会に出た90年代末やゼロ年代初頭は「景気が循環して良くなれば、かつての(高度成長からバブル景気までの)日本が戻ってくる」と多くの人たちが考えていたからだ。ほとんどの日本人は製造業から情報産業に資本主義の中心が(少なくともこの速度で)移行するとは考えていなかったし、転職や複業が当たり前のことになることは想像できなかったし、起業は「普通」に生きられないヤクザな人間が仕方なく選択するギャンブルだと考えている人が多かった。同じように戦後中流的なマイルドな家父長制の延命にも疑問を感じていなかったし、グローバリゼーションという言葉の意味は理解していてもそれが具体的に何をもたらすのかは想像できていなかったと思う。その結果として、この世代のある程度能力と意欲のある人のかなりの部分が、就職氷河期の狭き門をくぐり「とりあえず」JTCに就職するか役人になった。それはいい。しかし、問題は彼ら彼女らがこの置かれた環境にその優秀さ故に過剰適応してしまい、気がついたら自分たちが「古い日本」「終わらない昭和」を体現する存在になってしまったことだと思う。

ここから先は

1,427字
僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。