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日本は〝風の谷のナウシカ〟である

通称ブラックスワン事象(あまりに珍しいので、人々が家族を致命的な病気が襲うことは絶対にないとか、市場は決して失敗しないとか、政府は常に安泰だとか信じてしまうような出来事)のために備えをしておくなんて、そもそも可能なのだろうか?実は、もっと大きな時間尺度で見てみると、日本の津波対策は最近の歴史しか見ていなかったことがわかる。

本当に危険であることが確信できるまでぐずぐずと待っているという私たちの傾向は、とりわけ大災害を招きやすい(中略)災害に関する公式報告書によれば、警報に反応できなかった人が多かったのは、「過去に災害に遭った経験がなかったこと、自分だけは大丈夫という思い込みがあったこと、異常な事件を予想するための新しい基準が採用できていなかったこと

現在我が国には16ヶ所に原発が置かれている。北海道に「泊(とまり)」(中略)先ずは一番単純な事実は、原発は全て「海辺」に設置されていることである(中略)ここに挙げるのは「外洋」という大きな海に面していて、山を背景にした立地に設置された原発である。山によって集落とは隔てられているので、安心感があるように感じているが、実際はかなり危険であると言ってよい(中略)泊発電所(北海道古宇郡泊村大字堀株(ほりかっぷ)村、北海道電力、一九八九年運転開始)海抜 一〇メートル 海岸距離 非公表 北海道にある唯一の原発である。渡島半島西海岸部奥内(おこない)に続く海岸段丘と泊川の流域から成り、由来はアイヌ語で入り江の意味で「トマリ」だとされている(中略)「天災は忘れたころにやってくる」とはよく言ったものだが、現に三代目(つまり孫の世代)になると伝達が難しくなってくる(中略)「崎」地名の場所に原発が置かれたのは、仮に事故が起きた場合でも、被害を最小限に食い止められるという「安心」感があるのだろう。「安全」感ではない。地形からいうと「敦賀」「大飯」「玄海」の三つが「崎」地名に属するのだが、「敦賀」は若狭にある四つの原発の代表格なので、「敦賀」に関しては他の「美浜」「大飯」「高浜」を含めて若狭全体の歴史を述べておきたい。現在の福井県はもともと越前国と若狭国の二つの国から成り立っている。越前国は今の福井市を中心とした北部、若狭国は敦賀市を中心とした南部であり、四つの原発は全て旧若狭国エリアに設けられている

大阪駅

「大坂に坂はないが、この坂梨には坂がある」

一見大阪は坂の町のように思いがちだが、実は坂の町といえばやはり東京であって、大阪はむしろ「橋の町」(中略)心斎橋も人名にちなむ地名(中略)ただし、今は心斎橋そのものはなくなってしまっている(中略)東京を始め、名古屋などの大都会に限って、津波への意識が低くなっている。大阪でも同じ傾向であり、津波なんて来ることはないと思っている人が多い(中略)堺が死者ゼロで大坂が二〇〇〇人ということは、単なる人口の差ではなく、津波への対応の差がこのような被害の差を生んだ(中略)大阪も、「浦・津・川」モデルで説明することが可能な、「津」から発展した都市(中略)大阪湾にはやはり巨大な「津」がいくつもある。岸和田市、泉大津市、そして江戸時代に大繁栄した堺の港もある。行き着くところは大阪の「津」である。これもあとで述べるように、古代においては「浪速(なにわ)の渡し」と呼ばれたところで、当時は朝鮮半島や中国への窓口になっていた「津」であった。名古屋の「七里の渡し」の近くに熱田神宮があったと同様に、ここ大阪の地には住吉大社があり、さらに四天王寺が控えている(中略)大阪が名古屋と違うところは、実は大阪が「海の孤島」だったことである。「孤島」というとややオーバーになるのだが、正確に言えば、「海に突き出た半島」だったと言えるだろう(中略)今の大阪城から四天王寺に至る地域を除けば、ほとんどが標高三〜四メートル以下の地域である。大阪市への津波の波高の想定は四メートルだが、まともにこの波が襲えば、大阪の多くのエリアが水没の運命にあることになる(中略)「大阪」というくらいだから、大阪には「坂」が多いだろうと考えると、とんでもない間違いである。「大阪」は昔は「小坂(おさか)」と呼ばれていた。「大きな坂」ではなく「小さな坂」しかない土地だったのである。「小坂」では何だから「大阪」に変えたが「坂」は「土に返る」つまり「死」をイメージさせるので、江戸期後半から「大阪」という文字が使われるようになってきたという歴史的経緯がある(中略)「小坂」はどこの坂を指していたのかというと、今の大阪城から天王寺にかけての台地につながる坂であった。大阪城のあたりの海抜はおよそ二〇メートル程度で、古代においてはそのすぐ南に難波宮(なにわのみや)があった。今の史跡になっている。大阪では南北に走る道路を「筋」と呼んでいるが、台地状を走る筋は「上町筋(うえまちすじ)」、それと並行して台地の下を走る筋は「谷町筋」と呼んでいる。この「上町筋」一帯が、あえていえば古代より安全な場所であったと言ってよい。

嘉永七年一一月四日(一八五四年一二月二三日)朝、東海大地震が発生して、現在の東京・神奈川・静岡・山梨・愛知・三重まで広範囲が大破壊され、それに伴う大津波が沿岸にくり返し襲ってきた。翌日にはそれと連動する双子地震の南海大地震が起こって、和歌山・徳島・高知から九州までが大破壊され、推定死者・行方不明者三万人の大被害(中略)東海・南海地震の大天災のため、幕府は嘉永七年一一月二七日をもって、平穏な世を願って安政元年と改元し、のちにこの大地震が「安政東海・南海地震」と呼ばれる

浪花(浪華・難波・浪速)は商人と職人の町であった(中略)まず初めに宝永南海大地震の被害を知っておく必要がある。一七〇七年一〇月二八日(宝永四年一〇月四日)に東海道大地震が発生して直後、一〜二時間後に南海大地震が起こった巨大連動地震(中略)津波の溺死者一万六三七一人、合計二万一〇〇〇人を超える死者との報告が、大阪町奉行から幕府になされたという事実が二〇一三年になって明らかにされた。当時の人口を現在に置き換えると五倍の犠牲者となり、大阪だけでこの死者とすれば、西日本全域の犠牲者はトテツモナイ数に達したと推定され、東日本大震災の一〇倍規模を出す大地震であった。加えて地震から二ヶ月もたたない一七〇七年一二月十六日(宝永四年一一月二三日)には、富士山の宝永大噴火が起こって江戸まで灰が降り積もり、地獄を絵に描いたような時代

大きな、帝国と帝国の間で健気に生き延びるのが、日本です。宮崎駿が描いた『風の谷のナウシカ』です。薄い放射能の霧の中で元気よく生き延びる民族だ。

日本は風の谷のナウシカである(中略)今の日本は、アメリカと中国という2つの帝国(エンパイア)に挟まれて、健気に生きる、「風の谷のナウシカ」国(宮崎 駿 原作)なのである

放射線によって体内に生じたフリーラジカルは、グルタチオンやカロテノイドなどのラジカル捕捉物質、スーパーオキシドジスムターゼやカタラーゼなどの活性酸素消去酵素によって消去されます。またDNAに生じた障害も、障害の種類に応じてDNA修復酵素によって修復されます。しかし放射線量が増してシステムが追いつかなくなると、生物は死

放射線量が増してシステムが追いつかなくなると、生物は死

体内で、活性酸素などによる酸化反応が抗酸化作用を上回り、細胞などを傷つけるのが酸化ストレス(中略)酸化ストレスがあると、どのようなサプリメントを飲んでも、体の不調を根本的に改善することはできません(中略)まずストレスの原因を(中略)ストレスを溜めないためには、日頃の考え方や発想を変えること。


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