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【場面緘黙症】不登校になる

1学期は一言も発話できず

1学期が終わろうとしていました。小学1年生の場面緘黙症の息子は、1学期の間、クラスメイトとも担任の先生とも、一言も口をきくことはできませんでした。

クラスメイトはそんな息子にもやさしくしてくれ、一緒に下校したいと言ってくれる子もいました。
「声を聞いてみたいな」と親しみを込めて言ってくれる子もたくさんいました。担任の先生もあたたかく見守ってくださっており、側から見ればとても良い環境であったと思います。
そんな環境でも、発話は難しかったようです。

因みに、場面緘黙症の子は「喋って」と言われることにも強いストレスを感じるようです。善意であったとしても本人にとっては辛いことのようです。

夏休み直前に先生に一言だけ発話

夏休み前、多くのクラスメイトが下校し人が少なくなった教室で、先生から国語の指導を少し受けていた時のことです。
詳しくはよくわかりませんが、「名前を言わないと点数がもらえないよ」といった類のことを先生から言われた時、自分の名前を声を出して言ったそうです。

声を出さないといけないという状況になり、咄嗟に声を出したのかもしれません。貴重な一言目でした。

このように「背中を押す」ことは、あるタイミングでは重要なことだと思います。ちょうど、タイミングと本人にとっての理由の合理性が合致したのだと思います。

その一言は、追い詰められて恐怖で言ったわけではないと思います。先生は普段からの息子を否定せず、尊重してくださっていましたので、むしろ信頼している先生だからこそ、声を出せたのだと思います。
先生も大変喜んでくださり、私も「はじめの一歩だ」と感動していました。

夏休みはしっかり毎日宿題をこなす

とても良い状態で夏休みに入りました。
学校が休みとなったことに息子は喜びつつも、毎日自ら進んで夏休みの宿題を1−2ページずつこなしていました。
ただ、絵日記は非常に苦手なようで、何を書いたら良いかわからず不機嫌になり、鉛筆を投げて泣いていました。

「この前行った水族館のことはどう?」「ペンギンを見たと書いたら?」と提案しても不機嫌なまま。
「『かぞくですいぞくかんにいきました。ぺんぎんをみました。さむそうでした』はどう?」と作文に書く文章を具体的に提案してから、ようやく取り掛かりました。
国語の長文読解も苦手なようです。

そういうことがありつつですが、総じて、夏休みは楽しく過ごせたのではないかと思います。

不登校になる

2学期が始まり、最初はなんとか登校しました。
ただ、毎日のように「明日は嫌だな。死にたい」と夜に嘆いていました。やっと学校に着いても、靴箱から全く動くことができずうずくまってしまうという状態でした。

「ごはんは食べない。ごはんもいやだ」と食事も摂らなくなり、どんどん痩せていきました。成長曲線を下回るほどガリガリに痩せ、腕は骨と皮だけのようで、肋骨も浮き出ていました。

ネガティブな発言が出ているだけの間は、なんとか慣れるようにと毎日学校へ連れていきましたが、目に見えて痩せ、食事も摂らない様子を見て
これはもう学校は行かない方が良いなと思いました。

休みがちになっていた10月半ば頃から、完全に不登校になりました。

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