見出し画像

遠方に住む母。母とはコミュニケーションが取りたくても取れない。

私の母は、耳が不自由だ。
だから、会話しようと思っても一筋縄にはいかない。電話での会話は「え?」「なに?」「ん?」「-(無言)」ばっかりでなかなか難しい。

私の故郷は東北の片田舎、私は大学進学とともに田舎を出て、それからずっと関東に住んでるので、かれこれ実家を出て20年が経つ。

田舎の父は75歳、母は71歳。だいぶ高齢になって来た。

両親共にアナログな人間なので、便利な昨今のデジタル化にはついていけていない。
私の父はかろうじてスマホを所有しているので、孫が生まれたのを機に、気軽にテレビ電話できるようにとLINE電話を教えたが、やはり使いこなせなかった。

母とうまくコミュニケーションを取れない私はずっとずっとずっとずっと昔からもどかしさを感じていた。

電話が出来ないだけならまだマシだ。

夫と結婚してから、義理の母と姉に言われた。

「りさちゃんのお母さん、(耳が不自由で)電話での会話が難しいなら、LINEで(文字で)やり取りすればいいね!」

と。

-それが出来たらどんなにいいことか。

私の母は“それ”すらできないのだ。

母は、識字能力がない。

コミュニケーションが取れないのだ。

子どもの頃って、

何か特別なことがあった時ではなくても、自分のお母さんに話を聞いて欲しかったタイミングって世の子どもには皆あったと思う。

例えば、
給食をぜーんぶ食べられた日。

先生に褒められた日。

四葉のクローバーを見つけた日。

かけっこで負けてしまった日。

友達とケンカしてしまった日。

などなどなどなど。

色々報告して、「そうだねー」とか「そうだったんだー」とかありきたりなことを返答して欲しかった。

私には一回たりともそういう受け答えをしてもらった日がなかった。母の事情を理解していたから諦めてもいた。
でも、正直寂しかった。

母に自分の気持ちを話して、受け止めてもらって、その都度褒めてもらったりアドバイスをもらったりして私自身を認めてもらう経験をしてみたかった。

私は、何一つとして私の心の思いを母と共有できたことがないのだ。

母は親として、育児放棄とか、ネグレクトとか、毒親とか、そういう類では決してなかった。

私の母は、聴覚障害+知的障害なのだ。

耳が不自由だけなら、手話ができればコミュニケーションが取れるが、手話ができるほど知能指数が高くはないのだ。

たらればだが、せめて手話が出来れば細かい意思疎通が出来たのかもと思う。

私はいろんなことに興味がある子どもだった。
だから、大人に色々教えてほしかった。

それなのに、モノを知らないお母さんにウンザリした。

そのウンザリは自分の中だけに留めておければよかったのだが、
なんだか時は残酷で私の母をバカにする友達たちもいてとても落胆した。

狭い田舎だから、私の母の事情を知る子たちはたくさんいた。

「この成分表示、全部読めるか、りさのお母さんに試しに聞いてみよう!」

母と一緒に親戚のお兄ちゃん(私の2個上)の家に遊びに行った時、カレーのルーの箱の裏を見ながら面白おかしくそう言われた。

私は辞めてと言いたかったのに言えなかった。

聞かれた母は、とっても困っていた顔をしていた(ように私の目からは見えた)。

頑張って読めるふりをして必死に誤魔化したのもしれないし、

その辺は定かではないが、確かにその子どもの悪意は感じていたと思う。

バカにされた母のことがとても可哀想で不憫で仕方なかった。

でも、とにかく私はそう思ってることを悟られるのが嫌だったから必死に強がった。

私までバカにされたくなった。

「絶対に負けない」

そう心に決めた。

具体的にどうなれば勝つのか負けるのかなんて言葉にできなかったけど、

私はそのとき、置かれた環境に、人生に絶対に負けたくないと私は思った。

私は今でもコミュニケーションを大切にしたいと思っている。

夫とケンカする時もあるが、その時はだいたいコミュニケーション不足だなあと思う。

お互い健常者で言葉という手段があるのに、その「言葉」という手段を使えるのに使わずに、それゆえに誤解が生じて通じ合えないなんて贅沢すぎる悩みだと思うのだ。

「コミュニケーション」

は、私の人生の課題だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?