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外来文化の日本化の例としてのレベッカとSPEED[占領下の抵抗(注xxviii)として]

芥川龍之介が「神神の微笑」(*i)の中で示し、他にも多くの論者が述べてきた「日本は外来文化を日本化して受容する」という視点は、間違いであるとは勿論もちろん言えない。

それは仏教の伝来や明治期の西洋文化の受容といったことばかりではなく、私の生きた時代にも多く当てはまる。

レベッカとマドンナ


例えばブレイク後の第1期レベッカNOKKOの衣装には、シンディ・ローパーを思わせるものと混ざり合いつつも、キャバレーのダンサー・ストリッパーあるいは娼婦の服装を私に連想させるものが幾つかある。
映画「フラッシュダンス」("Flashdance"1983年公開)を知る彼女が、その事を意識していなかったとは、私には思えない。
(*1)

これは悪い事とはいえない。社会から蔑視べっしされてきた人々のファッションや言葉をあえて使って、表社会で隠されていたものを表舞台に上げる。そういった事こそ、アーティストの真骨頂しんこっちょうともいえる。

しかし例えばマドンナの「Like A Virgin 」のMVの衣装も、私に同様のことを連想させるが、そこでは前半の歌詞が、その人物の存在あり方を強く暗示している。だからこそ、Like A Virginという言葉も生きてくる。

Like A Virgin / Madonna


それは私に、ある不思議な客に惹かれていく女郎を描いた山本周五郎の短編小説「夜の辛夷こぶし」(*ii)を連想させる。独特のリアリティが底にある。(*2)

対して、レベッカの歌詞の多様な比喩は、どれも全く空想的なものであり、何ら具体性を感じさせない。

マドンナの歌に常にあるラディカルさは、レベッカにはない。それは変容し無害化されている。
(*3)

SPEEDとTLC

他の例をあげれば、TLCに憧れたというSPEEDがある。

1stアルバム『Ooooooohhh... On the TLC Tip』の時のTLCはTeenagerを思わせる子供っぽい格好をしている。しかし彼女らは既に20才はたちを過ぎており、幼さを演じているのである。(*4)

1stアルバム所収
What About Your Friends / TLC


Ain't 2 Proud 2 Beg / TLC


そんな中、メンバーの1人 Left Eye は左目にコンドームで作った眼帯をしている。そのような格好で彼女らは Safe Sexを訴えた。

TLC talking about safe sex


そのようなラディカルさは、デビュー当時本当に子供だったSPEEDのメンバーには求められる訳もない。SPEEDのデビュー曲「Body & Soul」は、初期のTLCを連想させるところがあるが、TLCのラディカルさはSPEEDにおいてやはり変容し無害化されている。(*5)

Body & Soul / SPEED


「Body & Soul」がリリースされたのは、1996.8.5.で、既にTLCの2ndアルバム『CrazySexyCool』(1994.11.15.)が出た後である。SPEEDのデビューアルバム『Starting Over』とセカンドアルバム『RISE』の曲とファッションの中には、より大人っぽいスタイル、『CrazySexyCool』の頃のTLCを思わせるものもある。しかし『CrazySexyCool』のエッセンスとメッセージは尚のこと、当時のSPEEDのメンバーには表現するのが難しかったのではないかと思う。実際に大人だったTLCのメンバーに比べて、それは背伸びをした子供の表現であった。

1stアルバム『Starting Over』所収
Steady / SPEED


2ndアルバム『RISE』所収
White Love / SPEED



『CrazySexyCool』所収
Waterfalls / TLC


『CrazySexyCool』所収
Creep / TLC


レベッカとSPEEDの魅力の先に


レベッカとSPEEDの音楽とパフォーマンスはどちらも大変優れていて、あらがえない魅力がある。
(それは鎌倉仏教のような日本化された仏教が魅力的なのといつにする。)
以後に与えた影響も大きい。

Raspberry Dream / Rebcca
NOKKOのパフォーマンスは圧巻である。


Wake Me Up! /SPEED
今観ても清新である


しかしそのことが返って、彼女らに影響を与えた海外の音楽家の真の姿を見えにくくし、本来あった歌の力を無効化しているように思う。

上述したような外来文化の日本化の現象は一長一短である。このような文化受容の形は、異文化の受け入れを容易にし、日本の同一性を揺るがすような軋轢あつれきを生み出さない。それはただのファッションとして、NOKKOとSPEEDの特異で実力ある個性をあやななしているのである。

それは日本の現実を反映していると同時に、おおい隠してもいる。
それらは例えば八木澤高明の「黄金町マリア 横浜黄金町 路上の娼婦たち」(*iii)にあるような日本の性の現実をおびき出すものには、決してつながる事はなかった。

*上述の論はレベッカ及びNOKKOとSPEEDを日本の異文化受容の一例として見るという一つの試みであって、レベッカ及びNOKKOとSPEEDをおとしめようとする意図は何らありません。

注*1〜6(引用文献・音楽・映画含む)


(*1)「Nokko This Town, New Yorkフォト&エッセイ」の中で、ダンス・スクールの光景を

その光景ってさ、あの映画〈フラッシュ・ダンス〉の一場面に出てきたと思わない?

「Nokko This Town, New Yorkフォト&エッセイ」


と語っている。

映画「フラッシュダンス」("Flashdance"1983年公開)の主人公はキャバレーでセクシーなダンスを踊りながらダンスの練習に励んでいて、ストリップ・クラブへの出演の勧誘を受けている。彼女はキャバレーでのショーの為にたくさんの衣装を揃えている。

また1980年代頃のニューヨークの娼婦のアイコニックでステレオタイプな姿は、映画「大逆転」("Trading Places"1983年公開)や「プリティ・ウーマン」("Pretty Women"1990年公開)に良く現れている。


映画「Trading Places」邦題「大逆転」1シーン


映画「Pretty Women」1シーン


引用文献: 「NOKKO THIS TOWN, NEW YORKフォト&エッセイ」
発行日:1986年6月10日
発行所: 株式会社シンコー・ミュージック


(*2)「 Like A Virgin」 の歌詞も多くのレベッカの曲の歌詞も、何かをほのめめかしているだけで、はっりした事は述べられてはいない。それでいて、両者の喚起するイメージは全くちがう。レベッカの架空さと違って、「Like A Virgin」は現実へとつながる強度を持っている。
マドンナの2ndアルバム『True Blue』収録曲「Papa Don't Preach」でのリアルな表現を見れば、マドンナの目指していた方向性がよく分かる。これは同アルバムの「La Isla Bonita」などにも共通するものと見るべきだし、 1stアルバムから一貫したものと考えるべきであると思う。

「Papa Don't Preach」


「La Isla Bonita」


マドンナは常にアメリカのラディカルな良心であり続けて来たと思う。

『Like a Prayer』所収 Like A prayer / Madonna


Madonnaインタビュー(日本語字幕付き)


(*3)NOKKOがマドンナの影響を強く受けていた事は明らかである。「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」のインタビューでNOKKOはそれまでの活動を振り返る中で

そうした人生の決断を経て、ノッコ自身の具体的な方法論はどう生まれてきたのか、と。

「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」

と問われ

「バンドで?『私マドンナみたいになりたい』っていう短絡的な(笑)、そっくりな"ラブ・イズ・キャッシュ"ーもう汚点だわ私、一生の(笑)。でも、そういうのもどうでもよかったんだよね。何か知んないけれど演れさえすれば」

「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」

と答え

少し後で

「だってやっぱりパクリのフレーズ沢山あったしさあ。だけど何て言うのかな、そうした原曲の威力を取り除いても凄くパワフルな物がでも感じられたのね。だから私はこっちの方がノレたし」

「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」

と言い

だから、マドンナ演りたくなったから素直にマドンナやってみた、みたいな。

「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」

と問われ

「そう。でもアルバムがそればっかりだと、自分の一部分しかないからーバレエで言ったら1幕があって2幕があったみたいな、いろいろな場面があっていろんな衣装があったという世界を、全部一人で演りたかったのね。」

「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」

と答えている。大変興味深い。

このインタビューの発言からも、レベッカは海外文化の日本化の一例として上げるのにふさわしいと思える。

特に

「そうした原曲の威力を取り除いても凄くパワフルな物がでも感じられたのね。だから私はこっちの方がノレたし」

「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」

と言う発言はとても意味深い。

そしてNOKKOかバレエのステージを意識していたとすると、多様な衣装を着こなすのも納得がいく。
彼女は様々な人物を演じようとしていたのかもしれない。

引用文献: 「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」月刊ロッキング・オン・ジャパン3月号 第6巻3号通巻58号 平成元年2月20日第三種郵便物認可 
平成4年3月16日発行(毎月1回16日発行)
発行=株式会社 ロッキング・オン


(*4) TLCは、2ndアルバム『CrazySexyCool』(1994年)で既に「幼さを演じる」路線から脱却している。当然のことであろう。しかし、彼女らは、女性アーティストに求められるステレオタイプな女らしさに一貫してあらがい続けた事も確かである。(時にはドレスアップする事もあるとしても)

『FanMail』所収 No Scrubs / TLC

初期のスタイルは、その流れの始まりである。それは幼なさといっても、少女らしさではなく、少年ぽさである。

(*5)JUNON (ジュノン) 1997年 9月号のインタビューでSPEEDの上原多香子

「私たちは高い目標を持ってるんですよ。TLCみたいになりたいっていう目標。アルバムのジャケット写真を撮った時、カメラの横でTLCのビデオを流してたんです。だからみんな、見つめた目が真剣になってる。目標を持ってやってるっていうのはすごくパワーになりますよね。」

JUNON (ジュノン) 1997年 9月号

と語っている。

この初々ういういしいポジティブな姿勢は素晴らしい。私が行った分析は、決してこういったSPEEDの良さを何ら否定するものではありません。

引用文献: JUNON (ジュノン) 1997年 9月号
発行: 主婦と生活社 月刊(毎月23日)

文献(*i)(*ii)(*iii)

(*i)芥川龍之介, 「神神の微笑」, 青空文庫, 1998.12.19.公開、2004.3.10.修正.
[底本:「芥川龍之介全集」ちくま文庫(筑摩書房)1987.1.27.第1刷発行、1993.12.25.第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房1971.3月〜11月、原典1921.12月]

(*ii)小学館文庫 「新編傑作3 夜の辛夷」山本周五郎 竹添敦子編 2010年10月11日 初版第一刷発 発行所 株式会社 小学館 
所収短編「夜の辛夷」の初出は〈週刊朝日別冊〉(1955年4月、時代小説特集号)です。


(*iii)「黄金町マリア 横浜黄金町 路上の娼婦たち」
2006.11.8.初版第一刷発行
著者 八木澤高明
発行所 ミリオン出版株式会社


占領下の抵抗 / 志賀直哉のエッセイ『国語問題』をめぐって

この記事は↓の論考に付した注でもあります。本文中の(xxviii)より、ここへ繋がるようになっています。


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