見出し画像

結婚11年、子供一人。夫のブツを見たことも触ったこともない、という話。

※完全にシモの話です。ご注意ください。

私は、夫のブツを見たことがない。
上半身を見ることは稀にあるが、下半身は前からも後ろからも見たことがなく、触ったことも一度もない。11年前から結婚していて、小学生の子供もいるのにだ。

セックスをしたことは勿論ある。ここ5年ほどはレスだし、元から頻度が高いわけではなかったが、まぁそれなりにしていた。
だが、ブツに関しては見たことも触ったこともない。あることは間違いないだろうし、子供が生まれた以上は機能も問題なさそうだが、観測できないので、もはやシュレディンガーのブツである。

私がその手の事が苦手だから、という話ではない。私は元々腐女子で、思春期は蔵×飛や剣心総受けを主食に生きてきた。性欲も存在するし、セックスに対する知識や興味はある方だと思っているし、男性の体を見たり触ったりするのはかなり好きだ。
だが夫の方は、体を触られたり見られたりすることが嫌いだということで、私に見せる事さえ徹底的に避ける。それを長年許容し続けてきたが故に、こういう事態が発生しているのである。

交際開始から一か月ほどで、「俺、体触られるの苦手なんだよね」と言われた時には、正直耳を疑った。どこを触られるのが嫌なのか、と聞けば「全部」で、肩だろうと腕だろうとなるべく触られたくなく、特に局部は本当に完全に、ほんのちょっとでも嫌だ、ということらしい。

――待って。既にしてるんですけど!?

その話を聞いたのはホテルに2回ほど行った後のタイミングで、つまりそれ以前に私は夫とセックスを済ませていた。確かに言われてみれば、私が夫の体を触るシーンは全くなく、私が触ろうとした時にはさり気なく避けられてはいた。だがまさか、そんな事情があろうとは。

セックスが嫌なわけではない。性欲もあるし、したいと思う。だが例えばマッサージや挨拶として肩を叩くような行為も含めて、極力他人に体を触られたくない。自分から触れる分には問題ない。
――と、夫の発言をまとめると概ねそういう事だったが、それを聞いた私は頭を抱えた。
そういう人もいる、というのは辛うじて理解できるが、「じゃあどうすれば良いのか」がさっぱり分からない。

当時の私にとって、セックスやスキンシップの有無は「男友達」と「彼氏」を分ける重要なボーダーラインだった。「好き」とか「愛してる」とかいった言葉で好意を伝えることが苦手で、かといって感情表現も薄く、「わーすごーい!さすがー!」と男性を持ち上げるようなコミュニケーションも出来なかった私にとって、スキンシップは非常に重要な愛情表現であり、それを抜きにして恋愛関係を深める方法など、全く思いつかなかった。

そして、例えば隣に座るのはどうか、添い寝はどうか、手を繋ぐのは?と根掘り葉掘り聞こうとした私に、夫は言った。

「っていうか、そんなに深く考える必要ないよ。普通にしてくれれば」

――「普通」って、何!?
唐突に哲学的な問いに放り込まれて固まる私に、夫はさらに重ねた。

「そもそもこういう事、別にそんなに話す必要ないよね」

話すのも駄目なのかよ!!

今なら思う。その時、私は喉まで出かかって抑え込んだこの台詞を、その場で叫ぶべきだった。

当時私は28歳、夫は37歳。
元ヤンで、10代後半から20代は車やバイクで山道を爆走するのが趣味だったという夫は、「○○にはよくナンパで行っていた」などと話していた。過去の交際相手もそれなりにいたようだし、誇張を差し引いても、そこそこの女性経験はあったはずだと思う。

そして私の方にもそれなりに恋愛の経験はあった。セックスをした相手も、両手には収まるが片手ははみ出る、そのくらいの経験人数である。
だが私のそれまでの人生で、「体を触られたくない」と述べる男性は登場したことがなかった。男女が逆のパターン、つまり彼女の側が触られるのが苦手というのは男友達の愚痴で聞いたことがあり、「ほえー、大変だねぇ」とハナホジ(の気分)でいい加減な相槌を打ったことはあったが、まさか自分が当事者になる日が来るとは。
すまんリオン!もっと真面目に話聞いておくべきだったわ…!!と当該友人に内心土下座しながら、私はとにかくその日のデートをやり過ごし、家に帰って考えた。

お題。スキンシップを極力排した状態で、交際を継続することが出来るか。
しかも、それに対しての会話をほぼしない状態で。

重要視すべきは前半よりも、むしろ後半の「問題について話が出来ない」点である――ということに、残念ながら当時の私は気付かなかった。
今思えば、ここで私は退いてはならなかった。スキンシップを一切取れないという我慢を私に強いるなら、せめて私が満足できるまで会話を継続するという我慢ぐらいは、夫にも負わせるべきだったのだ。

だが当時の私はあまりに臆病過ぎ、そして結婚を焦りすぎていた。
28歳という微妙な年齢、その直前の恋愛の痛手。更にその前の恋愛で、毒母に「実家が関西で長男だから」と結婚を反対されて、長年付き合った恋人と別れたという経験。
そして幼少期から刷り込まれた「結婚して子供を持つことこそが、女として唯一絶対の幸福な生き方である」という化石のような価値観と、「この世界に私と結婚してくれる男性なんていないのかも」という未婚アラサー女子の不安。

これらの狭間で身動きが取れなくなっていた私は、とにかく母の提示する「地元出身で、将来も地元で暮らす可能性が高く、会社員で、子供を持つ意思があり、私の姓で結婚してくれる、長男でない男性」という条件を満たし、かつ私自身が恋を出来た相手を、何とかして逃さないように結婚までこぎつけなければ、という思考しか出来なかった。

更に言えば、私のそれまでの恋愛は、部活動・サークル・職場でのものばかりで、元々の知り合いと交友を深めて恋愛関係に発展するパターンしかなく、友人の紹介で知り合った夫のような、完全に未知の相手と交際をするのは初めてだった。
そんな夫を「落とす」ための私の武器は、夫が気に入ってくれた(と思われる)自分の外見ぐらいしか存在しなかった。となれば、私の内面を出せば出すほど嫌われる確率は上がり、今よりも好かれるかどうかは博打になるはずである。
ほとんど互いを知らない交際相手をどうにか逃さないためには、とにかく「嫌われることは絶対にしない」しか道はない。夫が明確に「これは嫌だ」と述べた以上、それは私が我慢すべきことであり、どうしても私が我慢できないと思った時はそれ以上の交際を諦めよう――と、私はそんな思考に陥っていた。

今考えれば、アラサーの私よりアラフォーになっていた夫の方こそ「売れ残り」だったわけで、そこまで必死になる必要はなかったはずなのだが、当時の私は本気で自分の市場価値などゼロに等しいと、それでも何とかしてこの交際を婚活として成功させねばならないと、頭から信じ込んでいた。

スキンシップをしない恋愛をする、というのは私からすると未知の世界だが、夫からすればデフォルトのはずである。ならば、私が夫に合わせさえすれば、何も問題は起こらないだろう。
私はそう判断し、夫との交際を継続した。



スキンシップを封印した交際は、意外と順調に進んだ。
私は2か月後に念願だったプロポーズを受け、9か月ほどの同棲期間を経て、夫と結婚した。夫のブツを見たことも、触ったこともないままで。

夫はセックスの最中は必ず消灯し、灯りを付ける前に服を着る。
一緒に暮らす内に、夫は自分の裸を私に見られることも徹底して避けていると気付いた私は、夫の入浴中は浴室付近に近付かないようにするなどの配慮や、逆に私の体を夫にも見せないように振舞うことで、夫を尊重しようとした。

そして、夫はセックスに関して、私に徹底して受け身であるよう求めた。本人にどのぐらいの意図があったかは不明だが、何にせよ私はそう解釈した。「誘われるとその気がなくなる」と言われてからは、夫の誘いをひたすら待つだけにし、「声が大きい」と言われてからは、セックスの最中に一切の声を出さないようにした。

するとどうなるか。
誘わない、全く相手に触らない、されるがままで声も出さない女――どこからどう見ても完璧なマグロの出来上がり、である。

――これで良いのか?マグロとセックスして楽しいの??

私の中には徐々に疑問が湧いてきたが、何しろ「こういう事、そんなに話す必要ないよね」らしいのである。私の方からその疑問を口にするのも憚られるし、まぁ夫の希望ならそれで良いのだろうと思うしかない。
モヤモヤしながらも、私はひたすらマグロに徹した。

正直、不満はかなりあった。夫は私の体液に触れることも好きではなさそうで、私の体に夫が触れるのも、回数を重ねるごとに最低限になっていった。
互いの体に触れないように、かつ前戯のほぼないセックスをするというのは、もう快楽がどうとかの世界ではない。ほぼ毎回裂傷が出来るし、一度すれば1日か2日はトイレのたびに沁みるのだ。
今考えればローションなどを使えば良かったのだろうが、当時の私は男女間でそういうものを使うという発想を持てず、かといって「痛いんだけど」などと言えば、辛うじて月に1,2度あるセックスがゼロになりかねないと予測した。

子供が欲しいのに、そのために結婚しているのに、下手に不満を述べてセックスレスになったら困る。
そう考えたマグロは、もはや自分はオナホであると諦めの境地に達した。

数週間に一度、(夫の職場が火曜定休のため)月曜の夜22:30頃に「今日どう?」と声がかかるのを待ち、30分間オナホになる。ただそれだけのことである。
自分自身の性欲については、夫が寝た後に処理すればいい。世の男性の大半がそうしているのと同じだ。
裂傷だって、2,3日もすれば治る。連日求められるようだときついが、数週間に一度なのだ、我慢できないほどではない。
夫にきちんと説明してカレンダーに丸を付けたはずの私の排卵日を完璧に無視した「月曜夜」にはイラっと来たが、年上の夫としては、セックスするなら休みの前日、というのも分からないでもなかった。

もう、こういう人を好きになってしまった以上は、何もかも仕方ないと思うしかない。
TVを見ている夫のすぐ隣に座れば30cmは間を空けられるし、手を握ったりキスしたりハグしたりすることも出来ない。そんな夫がダブルベッドの隣で眠っているのに背を向けて、私は早く妊娠して自分の性欲がなくなることをひたすら祈った。

そして女性用風俗の利用を真剣に考え始め、しかし様々なハードルから流石に踏み切れずにいた頃、私はついに妊娠した。
私が満30歳、夫は39歳。排卵日に合わせもせず、セックスの頻度もどんどん下がっていた中での妊娠は、僥倖としか呼べなかった。
そして私の目論見通り、2か月後には私の体にも変化が出た。ある日突然、それまで殆ど認識すらしていなかった夫の体臭を「臭い、不快だ」と感じるようになったのである。

性欲を感じなくなれば、夫に対する「触れたいのに触れられない」辛さは薄れるはずだ――という私の想定は、この時点では当たっていた。
妊娠してから以降、オナホにならなくて済むようになったのはそれなりに快適だった。実家に里帰りする形で出産した私は、夫と二人で住んでいたアパートには戻らず、両親の住む家に夫を呼び寄せる形で、夫との生活を再開した。

だが、伏兵は思わぬところにいた。
生まれた息子と、当時保護して飼い始めた猫である。

「他人に体を触られるのが嫌」だという夫に全く頓着せず、夫にじゃれつき、膝に乗って甘える猫。そして夫を単なるおもちゃか椅子だとしか認識しない息子。彼らの事を夫は嫌がらずに受け入れ、愛情深くスキンシップを取って可愛がった。
客観的に見れば、どこから見ても美しく微笑ましいはずのその光景に、私はドス黒い感情を抱いた。

「嫉妬」だ。

無論、息子や猫が憎い訳ではない。だが、私には指一本触らない夫が、私には向けない笑顔を見せ、甘い声で話しかけ、猫や息子を撫でたり抱いたりしている姿は、正直見ていられなかった。

私の手は握ろうとしないのに。
私の頭は撫でてくれたことがないのに。
私の事は抱きしめてくれたことがないのに。
夫は、床に寝転びながら手慰みに猫の尻尾を弄り、息子に背中に登られてヘラヘラしている。私が隣に座ったら、すぐさま最低でも30cmは離れるのに。

この嫉妬が、ネットなどでよく見かける「子供が生まれた途端に嫉妬して赤ちゃん返りする夫」の男女逆バージョンである、ということは理解できていた。そんな感情を抱いて、更に夫にぶつけることはどう考えても間違いだということも。
だが、「誰の事も愛さず、誰に触られるのも嫌がる」夫の事は辛うじて許容できても、「息子や猫は可愛がり、自分からも積極的に触るのに、私には触ろうとせず、触られるのも嫌がる」夫は、私には許容し難かった。

我慢できずに「息子とか猫には触られるのは平気なんだ?」と夫に聞いてみると、夫は戸惑った表情で「そりゃ、猫とか子供は違うでしょ」と答えた。

そこで「私も触って欲しい」と言えるほどの素直さや勇気を私が持っていれば、何か違ったかもしれない。
だが、私は「ふーん」と相槌を打ち、泣かないようにするのが精一杯だった。
その瞬間、私は夫に「失恋」した。
そうとでも思わなければ、やっていられなかった。



夫に愛情を持たない。
夫の事を「元カレ」あるいは「同僚」として割り切った目で見る。
そう意識的に夫を冷めた感情で見るようにすれば、夫が息子や猫を可愛がっていても嫉妬せずにいられる、と私は学習した。
そして意図的にネット小説や女性向けASMRの男性声優さん、その頃に始まっていた過眠症の夢の中で見かける男性などに、恋愛感情を振り向けるようにした。

その頃の私は恐らくうつを発症していた。だがホルモンバランスも、育児や毒親のストレスも、嫉妬や愛憎の感情も、眠っている間は全てが関係なくなる。夢を見ている間の方が、起きている間よりずっと楽しい。
夢の中で出会う、起きた時には顔も覚えていない色んな男性に恋をしながら、当時の私は現実逃避に文字通り夢中になった。

一方で、現実世界で夫の「オナホになる」苦痛は一層増した。
息子が一歳半を超えたあたりから私の性欲は一定の回復を見せていたが、愛情や好意を意図的に遮断している男性にブツを突っ込まれるだけのセックスで、性欲が満たせるはずもない。
煩わしさが徐々に嫌悪感に変わり始めた頃、夫と母は「そろそろ第二子を」と言い出し、私は立て続けに二度妊娠して、二回とも初期流産した。

そして、流産という事態に際しても私への気遣いを一切見せなかった夫に、私は静かにキレた。
第二子はもう作らない、と夫と母に宣言し、今度は夢の世界からネットゲームへと依存先を変えた。それにより私のうつ症状と過眠症は劇的な回復を見せたので、ある種の結果オーライである。ゲームは偉大だ。

だが、一応は夫婦である以上、セックスには応じておいた方が良いだろう。――という考えで、私は内心キレつつもオナホの業務は継続していた。
たかが30分、されど30分。ゲームを渋々中断して、突っ込まれている間はゲームのイケメンキャラを思い浮かべて何とか嫌悪感を誤魔化す。夫とのセックスは当時の私にとって、そういう領域に達していた。

そして、「夫に『死ね』と叫んだ事件」を挟んで、更に2回ほどオナホの業務をこなした頃のある日の事だ。

その日夫はセックスの最中に一旦中断し、無言でコンドームを外し、再びブツを突っ込もうとしてきた。

――ちょっと待て。ふざけんな、避妊しない気か!!

流石にこれは看過できない。もう二度と妊娠も流産も出産も、乳児育児もしたくないし、堕胎など冗談じゃない。
私は夫の体を足で押しのけ、行為を中断させて服を着て、無言のままゲームに戻った。夫もまた、無言だった。何の釈明も、質問も、どういうことなのか問い質しても来なかった。

何故夫がそんなことをしたのか――というのは予測がついていた。
恐らくは、中折れだ。そのしばらく前から、夫はしばしば行為の最中に中折れして、最後までするのに苦労している様子だった。40代半ばに差し掛かっていたという年齢もあるだろうし、そもそもが完全なマグロ相手である。結婚してから何年も経っているのだし、興奮を維持できなくなっても正直仕方ないというか、当然だろうとすら思っていた。だが、マグロあるいはオナホである私は、何の協力もしようがない。どうせ断られるだろうし、そもそも不快なだけのセックスへの協力をわざわざ申し出る気もなかった。
そしてきっとその日の夫は、中折れの解決策としてナマを選択しようとしたのだ。私の妊娠する危険性を考えるのを忘れたか、重大だと思わなかっただけで、悪意はなかったのだろうとも思う。

だが、流石に許し難かった。
オナホ扱いまでは許してきた。だが一言の断りもなくコンドームを外して続行しようというのは、第二子を望まないと宣言したはずの私への配慮のなさとして、致命的だった。

私はこの日から夫を「自分の体を預けるに値する信用ができない相手」とみなし、例えセックスレスを理由に離婚になったとしても、金輪際オナホにはなるまいと決意した。
そして、その次にセックスの誘いがあったタイミングで、夫に宣言した。

「悪いけど、もう二度とセックスはしない。どうしてもしたいんだったら、彼女を作るなりお店に行くなりして、とにかく誰か他の人に頼んで。ただし家計からは出せないから、お小遣いの範囲でね。私もそうする」

オナホの反乱宣言を受けた夫が、この台詞をどう受け止めたのかは不明だ。
どうあれ夫は「死ね」と言われたとき同様に無言のまま、一切の反論も理由の確認も、後から話し合おうとも言って来なかった。



それからざっくり5年が経過した今、私は夫とセックスレスを貫いている。私の完全拒否宣言を受けた夫は、少なくとも私の発言の意味は理解してくれたようで、それ以後一度もセックスの誘いはかけて来ない。

夫のブツはまだシュレディンガーのブツのままだ。夫と私は何かを手渡すときに一瞬手が触れることがある程度で、それ以外は一切互いの体に触れることなく、完璧に同僚としての距離感で、同じ家で生活している。

今も私にはごく稀に、床に寝転んでスマホを弄っている夫を見て「こいつ、ヤったろか」と頭をよぎる瞬間がある。
愛情由来とは思えない、ドス黒くて暴力的な衝動だ。恐らくは、恨みや怒りに起因するものだろう。
私は恐らく、恨んでいる。オナホにされてきた期間、私が自分の内側に押し殺し続けた怒りや恨みが多分、私の性欲が高まっているか何かのタイミングで「逆に夫を肉バイブ扱いしてやりたい」という衝動に転嫁されるのだと思う。

だが、普通の男性ならともかく、夫にそれをやれば完全に家庭内レイプにしかならないし、そもそも腕力や機能の面で実行不可能だろう。かといって夫の同意を取って、再びオナホになる気もない。

恐らく私と夫の関係は一生、「同僚」のままで終わるだろう。私の中のこの恨みや怒り、あるいは意識から追い出したつもりで生き残っているのかもしれない愛情や嫉妬が、完全に綺麗さっぱりと解決しない限り、私が夫をまっさらな気持ちで見られる日は来ないと思う。

もしも話し合いや何かの末に、夫が自発的に私にスキンシップを取ってくれるようになったり、愛情の感じられるセックスを行えたりするようであれば、私の心境が変わる可能性はある、と思わなくもない。だが、それは「夫が夫でなかったら」と同義だ。
私は夫がそういうことが出来ない人間であることを知っていて、なお結婚を選択した。私自身の毒親育ちに起因する、コミュニケーションの問題は大きかった自覚はあるが、私にとって最も予想外だったのは、「スキンシップがない状態に私が耐えられなかったこと」だった。
特に息子や猫を可愛がる夫を許せない、というのは完全に想定外の感情で、夫からすれば完全にとばっちりのようなものだろう。

私の最も大きな失敗は、「私はスキンシップがない状態に耐えられない」ということを自覚できないまま許容を選択したことで、それはつまり夫と結婚したこと自体が間違いだった、という話になる。
夫との関係について真摯に考えず、結婚と出産に焦り、ある意味で夫を種馬扱いしたという点で、私の方に7,8割の非があるとも思う。夫からすれば、交際初期に同意を取ったはずの事柄で、長年経ってから責められるのは、かなり気の毒な話でもある。

ただまぁどうあれ、人生万事塞翁が馬だ。
現在の私は曲がりなりにも、それなりの幸福を感じられている。息子も元気に育ってくれていて、夫も父親としてはまずまず「良いパパ」だろうと思う。夫との関係が上手くいかなかったことも、恐らくは私が自分自身の問題に気付く土壌として貢献しただろう。
夫は夫で、今の生活に不都合を感じているようにも見えないので、概ね問題なさそうだ。
同僚としてならば、私と夫は上手くやれている。当面はこれで良いだろうと思う。

この先に問題が起こるとすれば、私と夫が離婚しないまま、老後を迎えることになった時だろう。

トイレの介助やオムツ交換など、夫の下の世話が必要となった時、私は初めて、シュレディンガーのブツを観測することになる。
どう考えても、今の私にはそれを耐えられる気がしないのだ。「病める時も健やかなる時も」とは確かに誓ったが、「健やかなる時」にお目にかかったことがないものを、「病める時」だけ世話するというのは、あまりにも納得がいかない。
まぁ、息子のおむつ替えすらロクに出来なかった夫が、私の下の世話ができるとも思えないし、やってもらいたくもないので、そこはお互い様なのだろうが。

この先数十年経って、介護の現場がどうなるか。夫婦間で互いのその手の介護を一切行わないというのが可能かどうか。
熟年離婚の要否を決める最重要課題として、経済的な問題よりもむしろ切実に、私としては考えていきたい所だったりする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?