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『#私のこと好き?』なんて聞けなかった、という話。

「私のこと好き?」と聞けたことが、私にはない。記憶にある限り、ただの一度も。
そう聞きたくなるほど好きな人に、そう聞きたくなるほどにしか自信がない状況で、そう聞けるほどの勇気を、私は持てたことがない。

いつでも最悪のパターンを考える癖がある私は、「うーん、別に」などと言われる可能性をどうしても考えてしまう。それに「好きだよ」と答えて貰えたところで、それが嘘でない保証など全くない上に、そう「言わせた」罪悪感や自己嫌悪に後で苦しむだけだ。そんな風に思ってきた。
自分自身が恋の終わりに「俺のこと好き?」と聞かれて、否定するのも面倒だからと「好きだよ」と嘘を答え、その度に冷めた恋心が一層冷え込んでいく、なんてことを繰り返してきたからかもしれない。

「私のこと好き?」と聞く代わりに、私は恋をした相手に「じゃあ付き合う?」と提案し、キスやセックスをねだった。
プレゼントをねだることもあった。相手の財布事情を厳密に把握した上で、私が相手に贈ったものと必ず同等かそれ以下の金額になるように、でもほんの少しだけ、手に入れるのに手間がかかりそうなものを選んで。絶対に断られないように、でも「私のために相手が買って来てくれた」という満足が得られるように、ギリギリのラインを見定めたつもりで。

「私のこと好き?」と聞く代わりに、休日の予定を尋ねた。空いている時間の内の何割を私に割いてくれるかで、相手の気持ちを測ろうとした。
「私のこと好き?」と聞く代わりに、手料理を食べさせて、顔色を窺った。料理の出来がそれなりなら、嫌いなものでなければ、相手のリアクションの温度は「私のことを好きかどうか」を示す。そうかたくなに信じていた。
「私のこと好き?」と聞く代わりに、前の交際相手の話をしつこく聞き出し、元カノをどう表現するかに神経を尖らせた。「私のことを好き」ならば、元カノを肯定的には言わないはずだと思い込んで。

常に占うように、あるいは採点するように、私は相手の一挙手一投足、使う言葉、表情、声の調子、そういうものから「私のことを好きかどうか」を測り続けた。そしてしばしば「私のことを好きじゃない」材料を一方的に見つけては勝手に傷つき、傷ついた分だけ「私は愛されていない、ならば私も相手を愛さないべきだ」という思いを強くして、自分の恋心の温度を意識的に下げた。

今振り返ると、私の過去の恋の相手はそれぞれ、それなり以上に誠実だったし、彼らなりにきちんと愛情を表現してくれていたと思う。
私がもし「私のこと好き?」と聞けていたら、彼らはきちんと「好きだよ」と答えてくれていただろう。私が毎日何度も聞いたら鬱陶しがったかもしれないが、それならそれで、何故そんなに私が不安なのかを聞いてくれただろうし、その不安を取り除く努力だってしようとしてくれたかもしれない。

だが、過去の私には「私のこと好き?」と聞く選択肢がそもそも存在しなかった。自分にそんな事を尋ねる資格はないし、尋ねたくもない、と固く固く信じていた。何故かといえば、多分、恐らく――

私が、世界で一番私のことを嫌いだったからだ。そう思う。

好きだと言われれば、「私のことを嫌いだ」という感情に共感してもらえない事実に打ちのめされる。好きじゃないと言われれば、そう言われた自分にはますます生きる価値などないと絶望する。ずっとそんな心境にあった私には、好きだと思う人に「私のこと好き?」と尋ねる選択肢は存在しなかった。そういう事だったのだろう。

自己受容が出来はじめた今の私は、自分の事を嫌いではなくなった。
私は私が好きだー!と叫べるレベルにはまだないけれど、まぁまぁ悪くないし、良い所もあるよね、ぐらいには思えるようになっている。私の好きな食べ物ランキングで言うならば、もやしやニラの位置だ。めちゃくちゃ大好きという訳ではないけど、あればあったで良いよね、食べたい時あるよね、ぐらいの感じで、つい半年前まで数十年、ずっとピーマン級(世界から絶滅して欲しいレベル)だったことを考えると、格段の進歩である。ここから徐々にキャベツ/ホウレンソウ級、肉/卵級とランキングを上がっていって、刺身/牛タン/ローストビーフ級に到達した時、私は真に自分自身を愛せるようになったと言えるのだろう。きっと。

話がついまた食べ物に行ったが、ピーマン級からもやし級になった今の私なら、好きな人に「私のこと好き?」と聞く事が出来るのかもしれない。
「別に」とか「嫌いだ」とか言われても、だからといって自分に生きる価値がないとは思わずに済む気がするし、「好き」と言われたことを理由に自己嫌悪で凹みもしないだろう。「そうか、それならしょうがない」と(落ち込んだとしても)素直に受け止められる気がする。信頼関係のある相手なら、「またまたぁ、そんなこと言って本当は好きなんでしょ?」ぐらい、言えなくもないような……流石にそこは無理だろうか?そもそもそういう事を言い合うような関係性が、ちょっと想像がつかないけれども。

ただどうあれ、私は多分、「私のこと好き?」と思った時に、そうシンプルに聞ける人間になりつつある。
そんな実感が、またほんの少し、私が私を好きだと思える理由を足してくれている――と、そんな気がしている。


こちらの企画に参加させて頂きました。


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