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庭の椿|曙 対 白鳳

すっかり冬になり、いつの間にか大晦日まであと一週間と二日を残すところとなってしまった。そんな馬鹿な。もう年末か〜、時が経つのは早いですね〜、という趣旨で文章を書こうとしてはいたが、今こうしてカレンダーを改めて眺めて日数を確認するまで、まだ大晦日まで二週間くらいあるつもりでいた。恐ろしい。時が経つのは恐ろしい。私は時空の狭間に吸い込まれてしまったのだろうか。ドラえもんの机の引き出しに挟まれたまま帰って来なかったケンタ君のように。ちなみにこのケンタ君というのは今適当に考えた架空の人物である。ケンタ君は存在せず、さらには言うまでもないがドラえもん家の机の引き出しも存在せず、なんならドラえもんの存在も架空である。架空の物語の上で架空の少年の架空の失踪事件を語る。完全に机上の空論である。もちろんその机も存在しないのだけれど。

明日明後日にはクリスマスがやってくるらしい。クリスマスといえばクリスマスツリー、クリスマスといえばクリスマスケーキが恋しくなる。そういう年頃なのだ。年頃の私は、12月の頭のうちからクリスマスツリーを欲し、早々にして見事その願いを叶えてもらっていた。母にデパートのオモチャ売り場でクリスマスツリーを買ってきてもらったのだ。なぜならそういう年頃だから。私はクリスマスツリーに大満足だった。ドイツ製のクリスマスツリー(子供用)。かわいくないわけがなかった。おまけにクリスマスツリーにはオプションパーツが付いていて、このパーツを自由に飾ることで更にツリーをかわいく演出することができる。オモチャといえば創造力を養う最強のツールである。遊ばない手はない。

オモチャといえばだ。昔見た名探偵コナンの話で、「オモチャメーカーに勤めている犯人が、同僚が木製オモチャの面取りを怠ったことから殺意を覚えた」という事件があった。それを見た当時は「なんちゅー理由で人殺しとんねん」と思ったものだが、我が家のクリスマスツリーのオプションパーツは木で出来ており、なるほど、確かにこれが面取りされていなければ危なそうだ。腹が立つ理由も分からなくはない。オモチャメーカーで起きた、優しすぎるあまりに起きた悲しい殺人事件。そしてそれを思い出しながら眺めるクリスマスツリー。なかなか味わい深いものである。

冬になると庭の景色も随分変わる。木々が茶色く変わっていき、柿の葉が散り、最後にはハナミズキの葉が散った。いわゆる「最後の一葉」を見届けたのだ。その瞬間、私はハッとした。有名な話で「あの木の葉っぱ、最後の一枚が散ったら、ぼくは死んでしまうんだ…」というものがあるが、登場人物の気持ちが完全に分かったのだ。日々一刻一刻をゆっくりゆっくり舐めるように生きていると、葉っぱが一枚落ちる、たったそれだけのことですら、大きな喪失のように感じられてしまうし、植物の生命力に毎日感動しながら生きていると、その分枯れた時のショックが大きいのだ。あの物語の少年はこんな気持ちでいたなんて。まだまだ学ぶことはたくさんある。人生まだまだこれからだ。まあだから何がどうということではないんですけど。

この文章を書きながら、枕元に置いたゆずから仄かに漂ってくる香りを楽しんでいる。今日は冬至だ。切り花にしてもらった庭の椿が二輪、まあるくかわいく咲いている。桃色と白。聞けば品種は「曙」と「白鳳」だそうである。なんだか相撲の取組のような組み合わせになってしまった。椿が命を終える時などはなかなかの見もので、じわじわと茶色く枯れていくのではなく、ある日突然、ぽとりと、美しいままにその花を落とす。その儚さは縁起でもなく、悪い報せの象徴として時代劇に登場しまくるだけのことはあるなと思う。さて、我が家に咲く「曙 対 白鳳」の戦い。どちらが勝つのか、楽しみである。

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞