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SNSで感情をすぐにシェアする習慣の弊害と、直情的な人間にならない方法の考察


「SNSで感情をすぐにシェアする習慣がつくと、物事を深く考えられない人間になる」という仮説を検証するため、SNSを閲覧のみにして今日で一週間が経った。

そもそも近頃は投稿数もめっきり減っていたが(公に何かを訴える情熱が失せたからでもあるし、意図しないバズで平穏な生活を失いたくないからでもある)、より意識的に思考を長くする癖がついた気がする。

たとえば負の要素を含むネットニュースや一般人のバズツイートを見て「なんて話だ!許せない!」と憤ったり、苦しい経験をして落ち込んだりしても、それに対する言葉を反射的にツイートするのではなく、一旦寝かせるようになった。

感情とは面白いもので、数時間も別のことをしていれば、波形はなだらかに鎮まっていく。一時は自分を激しく苛立たせ、混乱させた出来事も、(よほどの一大事でなければ)何事もなかったかのように過ぎ去っていく。

逆に、いつまでも頭の片隅から離れない出来事もある。ワクワクするものもモヤモヤするものも全部ひっくるめて、放っておいても感情を刺激しつづけるものこそ、自分にとって本当に重要なものなのかもしれない。

今回の検証と訓練は私に我慢することの大切さを教えてくれた。ベッドの上で寝ているだけの生活は、一人ぼっちだし、時間を持て余すから、つい喜怒哀楽のどれかに走って感情を昂ぶらせがちだ。

喜びや楽しさが持続するのは嬉しいけど、怒りや哀しみが加速するのは避けなければならない。直情的な人間になりたくない。自分から不幸せを選択しないためには、SNSの使い方を考えなければならない。

人間の感情のうち、最もSNSでシェアしたくなるのは怒りかもしれない。喜怒哀楽のうち、怒りは堪えが利かないからだ。ツイッターには毎日「なんて話だ!許せない!」が溢れている。怒っているときは自然と声が大きくなるから、目立つだけかもしれないけど。

ふと思い立って、ついカッとなって投稿したツイートが、地球の裏側の人の耳もとにだって届く時代。小さくつぶやいただけのつもりが、大声で叫んだかのように遠くまで響いてしまう時代。

その実感が乏しいのは、肉体的な労力がたったワンクリックで済むからだろうか。SNSを通して、公に意見を表明することが簡単になった今、その内容は熟慮の上に成り立つものなのか。自分の心に問いかけて、じっくり感情を育てていきたい。


執筆期間:7/26〜7/29
984文字



【参考文献】

特に参考にした項『常時接続で「長い思考」が失われる。』



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HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞