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食べ道楽 | パン屋さんだらけのワンダーランド

◇ まえがき


食に関する連載を始めることにした。"衣食住"は人間生活の基本だが、なかでも"食"に興味のない人は少ないだろうと考えたからだ。

"衣食住"における"衣"と"住"の部分は、すっぽんぽんで野宿でもギリギリなんとかなるかもしれない。野生動物なんかみんなすっぽんぽんで野宿でなんとかやっているものだ。しかし"食"がなければ人間はあっという間に死んでしまう。

「美味しいものが好きで…」という自己紹介があんまり意味を成さないくらいに私たちの舌は肥えてきている。「不味いものが好きで…」なんて自己紹介する人はいないだろう。まあ、いないとも限らないけど…。いたとしたらよほどの物好きである。

ごく稀に「食に興味ないんですよ〜。食べてる時間って人生においてムダじゃないですか?」と言ってのけるハードコアタイプな人も中にはいるが、そんなアンチグルメな人ですら食事なくして生きていくことはできない。近い未来には経管栄養やら謎の経口栄養剤などで食事の役割を補う人もいるにはいるかもしれないが、それでも顎は退化しそうだし、だいたい顎が退化するとロクなことがなさそうだ。顎が退化した生物なんていざという時すぐ絶滅しそうだ。…話がSFの方にズレてきた。

私は生活や日常に関するエッセイを書いている。ところが"衣食住"における"衣"に関しては、毎日同じガーゼのパジャマを着ているのでお話にならない。着古しすぎてミュージカル『キャッツ』の衣装くらいにズタボロになっているくらいだ。"住"に関しても同様で、やはり毎日同じ部屋にい続けているので話の膨らませようがない。内覧とか間取りとかが好きではあるけど、今のところ内覧に行ける気配はない。となれば頼れるのは"食"である。

エッセイというやつは、なんでもありなようでいてなんでも書きすぎると"どうでもいい話"感が強くなる。やはり何かテーマをひとつに絞り、連載という形で定期的に文章を書くのが望ましいだろう。それらが蓄積された時には本のようなものにしやすいだろうし、だんだん筆力も上がっていきそうだ。今のところ本になる見通しは経っていないが、なんらかの足掛かりになれば良いと思う。今回の連載はそんな想いを込めてスタートした。

ところで『食べ道楽』というタイトルには、「道楽者になってみたい」という兼ねてからの私の願いが反映されている。『食い道楽』ではなく『食べ道楽』としたのは、そっちの方がゆっくり味わっている感じがするからだ。食らうのではなく、食べるのである。この違いが重要だ。

これはいわゆる"どうでもいい話"だが、最近心底太ってきていて危機を感じている。一日に何度も出っ張ったお腹が視界に入るし、その度にバナナマンの日村さんを想いだしてしまう。もうヒム子のことを笑える立場にはないのだ。

エッセイを書くためには対象の観察も必要だろう。単に食べるだけでなく、見て、匂いで、感じて、ゆっくり噛みながら考えることでついでに満腹中枢を刺激し、ついでにちょっとお腹も引っ込めば万々歳だなぁと思った(さっそく棒々鶏のことを思い出してしまった)。


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◇ パン屋さんだらけのワンダーランド


うちの周りはパン屋さんだらけだ。サッと自転車を走らせば、片道十分〜十五分の間に三軒はパン屋さんに遭遇する。定食屋さんやカフェは少ないのにパン屋さんだけが充実しているのは不思議だが、お昼にパンを買ってきて家で食べる人が多いからなのかもしれない。どのお店もそれぞれに個性があって美味しく、その日の気分で買いに行けるのがとても楽しい。

子どもの頃からそんな生活があたり前だったので、大人になって他府県で一人暮らしをした時は驚いた。どんなに自転車を走らせてもパン屋さんはなく、ただただ虚しく太ももが筋肉痛になるばかりだった。あっても大型スーパーのパン売り場とか、お会計で青ざめるほどに高い個人店とかで、私のパン欲はまるで満たされず悶々とパンを求める日々が続いたのである。「パン屋を求めて三千里」というくだらないフレーズすらも脳裏をよぎる始末だった。

今は実家にいるのでパン欲の疼きもなく、日によって各店のパンを楽しむ自由が与えられている。療養中のため自分で自転車を走らせることはできないが、家族が買ってきてくれたパンから好きなものを選ぶのもこれはこれで楽しい。配給制を疑似体験しているようである(と言うと、随分ぜいたくな配給制かもしれないけど…)。

近隣のパン屋さんは個人経営のお店がばかりなので、毎回どこに行こうか迷う。ソフト系、ハード系、モダン系、昭和系、日本系、フランス風、ドイツ系、などなど、生地の特徴ひとつとっても、そこでしか食べられないパンが目白押しなのだ。

たとえば、家から五分のパン屋さんAは一番最近できたお店だ。開店当時は正直生地が水っぽくて今ひとつだったが、何年か経った今は見違えるほど美味しくなった。大きなフライを柔らかいパンに挟んだフィッシュサンドや、照り焼きチキンを挟んだパンがあり、具材のボリューム感と素材の美味しさも魅力である。

家から十分のパン屋さんBは、ハード系のパンやデニッシュ生地が美味しく、ニ十年は通っている。地元に愛されているだけでなく、近年は店舗数を拡大しているという商売上手さも発揮。スモークサーモンとクリームチーズの硬いサンドイッチとか、ハード系のパンを使ったサンドイッチは噛めば噛むほど美味しくって大好きだ。

その他、パン屋さんC、D、ちょっと遠いEFG…。電車に乗るとなると更にお店は増えるばなりで、候補を挙げればきりがない。

今日は時間があったので、自転車を走らせてけっこう遠めのパン屋さんFに行ってもらうことになった。お昼ごはんのサンドイッチのおつかいである。

けっこう遠めのパン屋さんに行くというのは最高の贅沢である。パン屋さんというのはだいたい買い物帰りなどに立ち寄るものだが、パン屋さんが遠い場合これはただひたすらパンが食べたいがためだけに買いに行くことになる。ついでではない分、期待が高まるのも当然である。

パン屋さんFから帰ってきた家族は「なんか品数が少なくなってた…」と少し落胆の様子を見せた。置いているパンの種類も変わっていたようで、フランス風のオシャレなパンから昭和風の素朴なパンが増えていたらしい。「それもこれも全ては立地のせいだろう」と私たちは納得した。けっこう遠めのパン屋さんFは急な坂の上にあり、誰だって行くのに躊躇するようなロケーションなのだ。多少の路線変更は仕方あるまい。

サンドイッチの入った袋をわくわくしながら覗き込んだ。確かに毛色は変わったものの、やっぱりどれもこれも美味しそうだ。

柔らかいパンに大きなハンバーグ・トマトスライス・レタスを挟んだ素朴なサンド。クロワッサンにハムとたまごサラダを挟んだサンド。ふわふわ白パンのたまごサンド。耳付きの食パンにイチゴとキウイを挟んだフルーツサンド。サンドウィッチマンへの差し入れかと思うくらいにサンド尽くしだ。

こんなにあっては迷ってしまう。どれも半分ずつ切って食べることにした。サンドイッチと一緒にミネストローネをいただく。うーん、食べすぎかもしれない…。

スープを飲みながら、パンにはむはむ齧り付いた。ハンバーグサンドはパンがふわふわと柔らかく、まろやかなオーロラソースが優しく肉の味を包み込んでいた。こういうボリューミーなのは具材が何より大事である。ハンバーグはパンに合わせて柔らかめで、あっさりしていて胃がもたれない。白パンのたまごサンドは安定の美味しさだ。クロワッサンは買いたてでサクサクだし、ああ、しあわせ…!

一番のダークホースはフルーツサンドだった。よく見ると薄切り食パンの表面にブルーベリーソースのようなものが塗ってあって、紫色が滲み出している。そこに生クリームでもなくバタークリームでもない謎のクリームが挟んであって、これがまったりしているのにあっさりしていて美味しいのだ。

あのクリームはなんだったんだろう。ショートケーキの生クリームをたくさん食べると気持ち悪くなってしまう体質なのだが、あのクリームにはそういうくどさがひとつもなかった。食パンもとろけるようになめらかで柔らかく、フルーツの酸味を追いかけていたらあっという間に耳まで夢中で食べてしまっていた。

なんともふしぎな謎のクリーム。あのフルーツサンドがある限り、けっこう遠めのパン屋さんFはきっとまだまだ大丈夫だろう。

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