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【第3回 李】中国少数民族と聞きかじりイスラムの話

 先日、中国の少数民族である「回族」の婚姻にまつわる一般人向けの講義に参加した。
 回族は言語や見た目こそ漢族と変わらないが、イスラム教を信仰している。婚姻に関しては教義上はムスリム同士でしか婚姻が認められていない。一応相手が改宗すれば結婚は出来るわけだが、彼らは歴史上「族内婚」を望ましいとしていたという。(ただ、現在では漢族との婚姻も増えてきていて、それに伴っていろいろ回族の間でも意見が分かれたり葛藤が起きたり……しているのだそう)
 そんな「中国人ムスリム」の婚姻に関する話の中で一番印象に残ったのは、婚姻儀礼における「中国人」としての風習と「ムスリム」としての決まり事のバランスについてのお話。例えば
・ムスリムは頭を下げて良い相手はアッラーだけだが、婚姻の場では中国人の風習にならい頭を下げる
・結婚式ではムスリムの席とムスリムでない人の席を分けて、お酒を提供する
 とか。(あと、中国は昔から新婚の二人をベッドルームに入れて周りで囃し立ててセクシュアルなことをさせるイベントがあるらしいけど(←本当に?なにこれ?)それも、ムスリム的にはあんまり望ましくない、とか。ムスリムじゃなくても望ましくないと思うのだけれど)

 すごく面白い話だったけれど、私からすれば、イスラムの決まり事も、中国の風習もどちらも馴染みがないからポカーンとしてしまった。その配慮とか葛藤、私には全然想像が付かない。
 細かいことを抜きにして単純に考えてみれば、中国人は世界のおよそ20%を占めているし、イスラム教徒はおよそ25%を占めている。それなのに私はどちらの文化も風習も決まりごとも、よく知らない。

 最近はイスラム関連の書籍も増えてきて、たとえばミシマ社で出されている「となりのイスラム」なんかはすごくイスラムを身近に感じることが出来るタイトルになっている。しかし、世界には4人に1人くらいの割合でいるイスラム教徒は、日本では100人に1人もいない。私たち日本人は結婚式でアルコールの配慮のために宗教ごとに席をわけたりしないし、ムスリムのための食事はデフォルトでは用意されていないことがほとんどだし、ムスリムのための礼拝室も見かけたら「珍しいものがあるな」と思ってしまう。率直に言ってしまえば、何が聞いちゃいけないことなのかも分からないというか、イスラム教徒の方と話す機会があったとして、下手に質問したり話したりしていると無意識に傷つけたり嫌な思いをさせたりしてしまいそうで怖い。

 そんな風に思っていた私だったが、ある時イラン人のイスラム教徒の方とお話をする機会があった。彼は少数派とされる「シーア派」の信徒の方だった。彼はごく普通の歴史としてスンナ派とシーア派について語り、メッカに巡礼することがどれだけ大変か(お金も時間もかかるから一生に一度行くもの、みたいな感覚らしい、知らなかった。)、イランの美味しいお菓子や料理の話(塩入りヨーグルトがおいしいらしい)、流行っている雑誌や音楽、故郷の家がどんなに広いか、イラン人がどれだけシャイか、どんなにたくさんの詩で溢れているか……などについて話してくれた。
 彼はイランの伝統的な文化や人々の性格、信仰心や儀礼についてよく話してくれたが、それよりも私は、彼がお喋り好きのあまりか食事を口に運ぶスピードが非常にゆっくりだったことや、奥さんのことハニーって呼んだりするの?と聞いたら「そんな呼び方するわけない」なんて笑っていたのに奥さんのLINEの登録名を「ハニー」にしていたこと(動画を見せてくれている途中で通知が来て見えてしまった。彼は非常にばつが悪そうな顔をしていた)、イランで流行っているバラエティ番組(人狼ゲームみたいな番組が放映されているらしい)の話を聞けたことが、とっても嬉しく、興味深かった。本やお話の中だけだったムスリムの人々、を実体を伴った人間、として知ることが出来て、「どこか遠くの異国の人」だったのが「となりの人」「目の前の人」になった。


 中国の少数民族も、イスラム教も、そのほか様々な国や民族、宗教も、どれだけ本を読んでどれだけ話を聞いても、どこか遠い誰かの話で他人事だ。それらに興味を持ったり、面白いと感じたりしても、実際に会ったり訪れたりするまで、「おとぎ話を楽しんでいる」のときっと変わらないんじゃないかと思った。わたしはまだ、たった一人のイラン人とお話ができただけで全てを知れたわけではないけれど、それでも遠い国のイラン人を誰も知らなかった頃よりは、少しだけ実感を持ってイランを知っている。

遠い国の知らない誰かと、会って話をすること。


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