へその緒。英語ではアンビリカルケーブル、、、ではなくコードです。
ヱヴァンゲリヲンの見すぎですね。
それはさておき、最近話題の「マスクで酸素飽和度が下がってへその緒が短くなっている」というのを助産師さんが言ったというお話。

色々思う事があったので、「①本当にそうなるのか」「②医療者の発信として」という2つの観点で考えてみます。


【まずなんのお話?】

インスタグラムでとある助産師さんが、

最近へその緒が短い&難産が多い気がする!

実際に測ったら年度ごとに短くなっている!

原因を「コロナによりマスク装着で呼吸が浅くなり、母体酸素飽和度が下がったことにより、赤ちゃんに酸素を届けやすくするため」とアセスメント
+臍帯が短いから難産が増えているのではと考察

「妊娠期に深く呼吸することが大事」と「緊急提言」

という投稿をして、話題になっているというお話です。

またこれに対し、色々なところでの拡散がされたり、医療者の反論があったりしています。


【本当にそんなことが起きるの?】

これについては、「分かりません」というのが正しい答えです。
ただこの「分かりません」は、「諸々の状況から考えてほぼないと考えるが、影響が絶対に無いとは断言できない」レベルの「分かりません」です。ここを断言できないのが医療(もとい科学)の難しさですが、それはまたどこかで書きたいと思います。

今回は「ほぼないと考える」理由を端的にまとめておきます。

①サージカルマスク着用で血中酸素飽和度は下がるのか?

「サージカルマスク着用では高齢者(平均76.5歳)でも酸素飽和度は下がらなかった」という論文があります。(JAMA. 2020;324(22):2323-2324.)
ちなみに妊婦でどうかの検討はさすがにありません。
確かに妊婦の呼吸機能は分娩にかけて変化します。確かに全肺気量(つまり肺の全体の空気量)は減少しますが、残気量が大幅に減ることで一回換気量はむしろ増加しています。呼吸数も増加し、全身の代謝の亢進(≒増加)に対応するので、むしろ酸素を取り入れる能力という意味では向上しています。
つまり妊婦と高齢者を比べれば、妊婦の方が呼吸機能が低いという事は考えにくく、よって妊婦に限って「サージカルマスク着用で血中酸素飽和度は下がる」という事はほぼないと言って良いです。

②臍帯は酸素飽和度が低いと短くなるのか

まず臍帯は誰のものか、という話ですが、赤ちゃんのものです。母体の血液と胎児の血液は基本的に混ざらない様にできており、臍帯は胎盤から胎児までの経路なので、流れている血液は胎児のものです。
なのでもし母体が酸素飽和度低下を起こしたとしても、それが直接臍帯に影響するとは考えにくいでしょう。どちらかというと影響が起きるとしても胎盤です。胎児が臍帯を短くして酸素をより取り入れやすくする、という構造を考えるならば、更に胎児の低酸素が引き起こされなくてはいけません。
しかし胎児の低酸素に対する応答は(胎児心拍数などの研究を通じて)判明してきており、心拍数の低下や、長期化した際の血流再分配などは見られるものの、臍帯の短縮は指摘されていません。
ちなみに臍帯が25cm以下であると過短臍帯と言われますが、この主な原因は羊水過少による胎動減少が指摘されており、酸素飽和度との関連は指摘されていないのが現状です。

ちなみに実際のデータがあるか探してもみました。
「酸素飽和度が低い」事が考えられる他のシチュエーションを考えると、「疾患」「喫煙」「高山」でしょう。
このうち「疾患」については、酸素飽和度だけで測れない要素が増えてしまう、また喫煙は有害物質の影響が強く、早産などの影響が出るのが明らかになっているので検討から外し、「高地」の例を考えてみましょう。
あまり質の高いデータではありませんが、高地に住むボリビア人の血中酸素飽和度は95%以下になりやすいというデータはあります。しかし、流石に高地民族の妊娠・出産や臍帯の長さに関するデータは見つけられず、これを分析するのは難しいところです。


【医療者の発言の影響力】

上記から、「マスク→酸素飽和度低下→臍帯短縮」というのは、論理飛躍が過ぎており、きちんと検討しないで公にできるものとは言い難いのが事実です。(特にマスク→酸素飽和度低下が問題)

無論、医学というのはこういう疑問から始まり、仮説検証を繰り返す事で進んできた学問です。ゆえにこういう「疑問を持つこと」は大事です。
しかし、SNSなどが使える現代、これを「公にする」際には、我々医療職はプロとして「その発言がもたらす影響」を考えねばなりません。

今回の投稿では「妊娠初期から呼吸を意識することが大事」と締めくくっており、「マスクを外すべき」などとは仰っていません。この結論自体は問題ありません。
しかし、この論理を見た人が、「マスクは有害だ」と考えるのは無理ないでしょう。少なくとも「マスクの着用による酸素飽和度低下」を明言してしまっている時点で、この投稿は「医学的に間違い」であり、その結論が何にせよ、間違いを広めてしまっているのは事実です。
実際にコメント欄にはマスク反対派を思しきコメントも並んでおり、これが「マスク反対の医療者の発言」として利用される可能性もあるのです。

医療者はほぼ全職種が国家資格であり、その発言はある意味簡単に「プロのお墨付き」になってしまいます。
医師法や看護師保健師助産師法では、「医療及び公衆衛生の向上」が第一条に謳われており、その発言が「公衆衛生」、つまり社会に与える影響を考えるのは国家資格たる我々の責務です。

目の前の患者に対して何かを言うのと、SNSで発信するのでは、そのリーチ力や、「思わぬところまで拡散する」という性質上、分けて考えねばなりません。自分の知らない考え方・捉え方をされるリスクまである程度考慮に入れた上で発言をしなければならず、慎重な対応が求められるのです。

そういった意味で、この投稿には問題があると私は考えています。


【反論も考えもの】

上記の話は、「反論する側」にもあてはまります。
医学の論争は、正しくは論文で行われるべきです。とはいえ、SNSでの拡散力を考えれば同じフィールドでの反論が必要です。
私がこの際に心がけているのは、「事実にしか反論しない」という事。

このnoteでも気をつけましたが、「事実関係の間違い」は否定しても、その発言した助産師さん自身、ましてや助産師全体を否定する事はしません。
反論の中には「陰謀論」や「開業助産師はこういうのが多い」というものもありましたが、こちらもプロとして反論するのであれば、「人自身」や「人格」への攻撃はしてはならないと考えています。

この様な発言が公衆衛生に与える影響が大きいのと同様、反論する側の与える影響も大きいのです。だからこそ、反論する側が紳士的でなければ、むしろ「こんな皆を想って言った人を攻撃するなんて!」と、より間違った議論が支持される方向に傾きかねません。

実際に、この助産師さんも、(行ったことの是非はさておき)善意での発言・拡散をしているのではないでしょうか。(最後には調査、研究に協力してくれる医療機関ありませんか、と聞いているくらいです)
確かにコロナでは悪意(利益誘導など)のある医療者の発言も見られ、これに対しては厳とした対峙が必要ですが、多くの「デマ」と言われる情報も、善意が積み重なり拡散されるというのを忘れてはいけません。
だからこそ、冷静に、事実とデータでの指摘に留めなければならないのです。攻撃すればする程、本当に届いてほしい層に届かなくなるのです。


【まとめ】

インフォデミック、という言葉がコロナでも有名になった様に、医療・公衆衛生というのは情報伝達と切り離しては考えられない時代です。
そして「免許」というのは「免じて許される」と書きます。許されるからには、それに応じた知識・技量・責任が求められるという事にもなります。
人の健康を司る医療職は、よりここにシビアでなければなりません。

難しい事ですが、私も一人の医師・そしてライターとして、双方の視点から発信していければと思います。

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