マガジンのカバー画像

記号過程、システム、意味

194
人間と自然、人間と機械、人間とAI 対立するふたつのもの それらはなぜ対立するふたつのものになったのか? その答えを「記号過程」という用語を手がかりに考える
運営しているクリエイター

2020年4月の記事一覧

言語思想の極致は感染であり憑依であり

所用でテレンス・ディーコンの『ヒトはいかにして人となったか』を再読していると、おやっ!と思う一節に目が留まる。 「ある意味で言語をヒトの脳を宿主として寄生し繁殖する別の生命形態と考えるのも有益である」(テレンス・ディーコン『ヒトはいかにして人となったか』p.120) 言語が、ヒトの脳に寄生する別の生命である、という記述。 これは単なる「たとえ話」「言葉の綾」を超えたもっともらしさ、事実らしさを生じる記述である。 「言語をウイルスと考えるのはそんなに突飛なことではない。

「ある」と「ない」?否、「ある」と「成る」

「ある」と対立するのは「無い」 ではない。 「ある」と対立するのは「成る」である。 ☆ 「ある」を「無い」との対立で、「ないではない」ことと捉えてしまうと、ひとでもものでもあらゆるナニモノかが、それ自体として端的にあることになってしまう。「無くないのだから、あるでしょう!」と。 もちろん「ある」を「無い」と区別し対立させるのもまたひとつの記述であって、それは「現実にあるかないか」という問題とは別である。 「現実にあるかないか」という問題は、こちらはこちらで「現実」

文字の意味を固める神 ー読書メモ:『サピエンス全史−文明の構造と人類の幸福』(4)

ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』を読む。 歴史学者であるハラリ氏は、われわれ人類が進化の途中で手に入れた「虚構」によって協力する力に着目する。そして、虚構の伝搬と変容のプロセスとして人類の歴史を振り返る。 虚構とはなにか? 神から、国家をはじめとするあらゆる組織、貨幣に至るまで、異なる複数の人間同士の振る舞い方を予め規制する信念の体系を、ハラリは「虚構」と呼ぶ。虚構が「共同主観的」な「想像上の秩序」を支える(p.152)。 私たちにとっての世界は、個人の内部の

「トトロはどうして終わるのか」という4歳児の質問に対し、本気で仮説を提示してみる

「トトロはどうして終わるの?」 4歳の長男からの質問である。 しばらく前からジブリのDVDがお気に入りで、よく視聴している。 映画が終わる。 映画に限らず、マンガでも、小説でも、論文でも、何らかの「モノ=媒体」に置き換えられた情報は、そのモノ=媒体の時間的空間的な「端っこ」で、必ず終わる。 情報それ自体の言い分としては、「モノの枠さえもらえれば、まだまだ続きますよ」ということなのかも知れない。が、モノ=媒体を離れて純粋に情報として存在する「モノ」はない以上、やはりモ