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無職おじさんが異世界転生したけど、痛いのは嫌なので防御力全振り盾の勇者レベルMAXから始める世界に祝福を! あるいは、悪役令嬢幼女の異世界下克上をスマートフォンとともに。


〈プログレッシブ篇〉


 生まれて初めて体験する「静寂」を、「たくろう」は瞬間に理解した。何の音も聴こえない。本当に何も聴こえないのだ。静寂ゆえの耳鳴りさえも聴こえない。
 それが完全でないにしろ、真っ暗闇なら体験してこなかった訳ではなかった。その聴力版だ。音がない。音がないと言うより、耳の機能が完全になくなったかのようだ。
 いや、耳だけではない。眼も、それに近い。暗闇ではないが、何も見えないのだ。白く、淡い光のような空間にいる。地面はなく、また、上下感覚もない。しかし、落ちたり、浮いたりしているようにも思えなかった。
 意識的に、手を動かす。見えた。手と、腕が視界に入る。淡い光の中にいるからか、自分の肉体はちゃんと見えた。何処か感覚はおかしい気もするが、とりあえず肉体は存在しているようだ。いや、聴力がシャットダウンされているだけで、案外そんな感じに思うのかも知れない。
 例えば、今、気温は熱くも涼しくもないと言うより、温度を感じていない気がする。風もない。何かに触れている訳でもない。つまり、本来なら人間の体が24時間受け続けている外部情報をなくした状態と言うのは、そんな感覚かも知れないのだ。たくろうはそう考えた。
 もう一度、自分の身体を見る。
 裸だ。別に、この空間で裸であっても何も問題がない事は直感的に理解していたが、何となく心許ない。
 『服が欲しいな』
 たくろうがそう考えた瞬間、頭の中で「ピロン」と機械的な音が聴こえて、服が発生した。パッと見に、スーパーマーケットの二階で売れ残っているダサい服だ。ダサいとは思うが、たくろうの服飾センスとしてはまだ無難な方だったと言える。だがそれより、何だ? 今の「ピロン」は? まるでゲームの選択肢を選んだ時のような「効果音」じゃないか。そう思った瞬間、
 「だいたいソレで合ってますねぇ」
 と、綺麗で可愛らしい女のーーー、わかりやすく言えばアニメ声が聞こえた。
 「ステータスポイントを割り振って、服を作ってしまったんです」
 その声が何処から聞こえたのかはわからなかったが、わかる必要もなかった。女が、眼前にいた。腰まである亜麻色の髪に、草? ツタ? のようなカチューシャ。腰紐で留めてあるだけのシンプルで上品なワンピースドレス。白い肌に、細い手足。長い睫毛に、青い瞳、そして、それに反するかのような豊満なバスト。それは、見るからに、
 「そうです、私が女神です」
 たくろうが問うまでもなく、ふざけているかのように、屈託のない声で笑う自称女神。しかし、それが嘘でない事は脳味噌が理解していた。ちなみに、相当な美人である事は間違いないが、たくろうの好みからは外れている。
 「あ。面倒なので、諸々の説明は飛ばしますね。要するにタクロウさんは、非業の死を遂げたので、今までと別の世界で人生をやり直してもらう事になりました。いわゆる異世界転生と呼ばれているアレですね。しかも、チート転生です。ニートからチートですね。おめでとうございます」
 ニコニコと告げる女神。ニートは学業も職業訓練もしていない34歳までの若者。たくろうはニートでさえない無職だ。夢でも見ているかのような話だが、それが嘘でない事は直感的に理解している。
 「話が早いな。ブラック企業の研修より雑だ」
 もっとも、「働いたら負け」を地で行く、まともに働いたことのないたくろうからすれば、ほぼすべての企業はブラック扱いだ。
 「もちろん、時間を掛けてみっちりと説明もできますが、聞きますか? だいたい地球時間の換算で8時間ぐらいになりますけど」

 笑顔を崩さずに、女神が言った。たくろうは唇の端を吊り上げて苦笑する。
 「遠慮する」
 「では、話を進めますと、異世界に転生する訳なんですが、最初の設定年齢はどうされますか? 生まれた直後から死ぬ直前まで自由に選べますけど、オススメはなるべく実年齢に近い方です」

 淀みなくスラスラと説明する女神。異世界転生だの異世界転移だの異世界憑依だのと色んな種類はあるが、たくろうの考えはこうだ。
 「何でだよ? 子供の頃からやり直した方が人生は選び放題だろ?」
 記憶を持ったままチートな人生を送れるなら、赤ん坊からやり直す方が選択肢は増えるし、新しい世界への理解も深まるはずだ。だが、
 「赤ん坊からやり直す際、脳味噌も赤ん坊になりますので、今、お持ちの記憶が消えます。だいたい生誕から6歳ぐらいまで、いわゆる物心をつくぐらいまでは、記憶が断片的になりますけど、いいですか? 場合によっては、チート能力の存在も思い出せません」
 つまり、前世の記憶や、この空間での会話も忘れてしまう。また、歌えば一生食えるだけの歌唱力をもって生まれたとしても、育ち方によっては人前で歌うなんて出来ない引っ込み思案になる。宝の持ち腐れという訳だ。
 「なるほど。それは困る。じゃあ、7~8歳ぐらいからやり直したい」
 たくろうとしてはなるべく、幼い頃からやり直したいのである。何しろ、無職で引きこもりのニート気質だ。記憶を持って俺様無双な人生を送るには、子供であるほどにいい。暗くて卑屈で怯えているのに傲慢な人生をやり直したい。
 「構いませんけど、幼い頃からやり直すほど、転生先の人生の記憶や経験や性格が、今の人格に影響しやすいんです。つまり、タクロウさんは、そのままのタクロウさんでなくなる」
 原理は今ひとつわからないが、言いたい事はわかる。要するに、転生先の時間が長くなるほどに、転生先の人生や出来事や出会いが、性格に作用する。
 「それを回避する最低年齢は?」
 「どれだけ子供時代に戻りたいんですか、まったく。まあ、100%の保証は出来ませんが、20歳ぐらいですね。いわゆる成人です。今の記憶や性格を99.99999%引き継ぎたいなら、実年齢の35歳ですかねえ」

 軽蔑の眼差しを隠しもせず、呆れた声を出す女神。死ぬ前の自分の状況が好ましくなかった事は明白だが、自分を消してやり直すなら、自分である必要もない。
 せっかくのチート能力を持ってやり直すなら、今の自分そのものでなければ意味がないではないか。
 「20歳なら、どの程度だ?」
 たくろうの目が昏く光った。せっかくのチート人生なのに、それさえも思い通りにいかないのか。幼稚園ぐらいからやり直したい。高校の頃なんてイジメられた記憶しかない。それ故に引きこもりにもなった。一体何歳から始めるのが最適解なのか。
 「タクロウさんの場合、17歳からほとんどヒキコモリのニートですからね。20歳で99.999%って所です」
 「19歳なら?」
 「99.99%で、18歳なら99.9%です」

 99.9%がどの程度なのかは判断が難しい。しかし、99%が高確率ではない事ぐらい理解できる。
 99%という事は、逆に言えば1%もエラーがあるという事に他ならない。一体何の99%かはわからないが、「文章で言えば100文字に1文字もミスがあるという事になるのだ」と言う文字で30文字。かなり致命的な数値である。これが文章なら、1文字程度間違っていても意味は通じるだろう。
 しかし、それがプログラムコードなら、エラー判定され、プログラムが作動しない可能性さえあるのだ。
 99.9%でエラーが0.1%なら、10000文字にエラーがひとつ。10万と100万では大差ないだろう。
 35歳と36歳では大差ない。しかし、19歳と20歳は大差なのだ。
 「うん。よし。じゃあ、19歳だ」
 「かしこまりました。では、ステータスを振り分けるんですが、どんな感じにしますか?」
 「ひとつ聞きたいんだが、転生先の異世界はファンタジーな感じか?」

 たくろうが、意気揚々と説明を始めようとした女神の言葉を遮って質問した。
 「そうですね。剣と魔法と怪物と冒険の世界です」
 現代やらSF的未来に転生しない所を鑑みると、ひょっとして、異世界転生とは割と頻繁に起きていて、現世に帰還した人間もいるから「異世界転生モノ」がヒットするのかも知れないと、たくろうは訝しんだ。
 そして、そのファンタジーな世界で生活するなら、たくろうの決意は最初からその方向を向いていた。

 「じゃ、防御力とヒットポイントMAX」


 「また極端な」

 女神が、げんなりした声で言う。
 「痛い思いをするのは、、、嫌なんだよ」
 かつてイジメられていた記憶が、ぞわり、と甦る。暑くも寒くもないのに、体毛がそそけ立つのを感じる。痛くて、苦しくて、つらい。ハッキリと覚えている。
 それに、死に方だ。
 こっちはボンヤリとして何も思い出せない。いや、記憶そのものが抜け落ちているのか。ただ、相当に痛くて苦しくてつらい思いをした事を、この肉体や精神や概念が記憶している。
 例によって例のごとく、トラックに轢かれでもしたのか。おそらくは即死できなかったのだろう。もがき苦しんで死んだと思われる。あるいは、その恐怖から記憶にロックを掛けたのかも知れない。
 全身から冷や汗が吹き出そうになるのを引き戻したのは、何処か間の抜けた女神の声だった。
 「多分、防御力は999、ヒットポイントは9999もあれば充分ですけど、それ以上振りますか?」
 実にゲーム的な馬鹿げた表現に、たくろうは苦笑した。だが、お陰で厭な記憶の片鱗が首を引っ込めた。999や9999という表現が何とも巫山戯ている。いわゆるカンスト。カウンターストップと言う奴だ。だが、それよりも気になったのは、ステータス割り振りの残高である。予想では、1つの能力に極限まで振り切ったら、さすがのチートも終わりだと思っていたのだ。だが、どうやらまだ余裕があるらしい。
 「そんなにポイントが余ってるのか?」
 「防御力は9999、HPは99999まで割り振れますよ」

 女神が言う所の「充分」の10倍がカンスト値らしい。要するに世界を救える勇者で999ぐらい、と言う数値なんだろう。
 「どれぐらいの差があるんだ?」
 999以上まで振っても変化がないなら、やる意味はない。しかし、999でも全力で戦わなければならないのなら、振る意味はある。
 「防御力999なら、最強魔王の必殺技で12HP削られます。9999なら、クリティカルヒット判定で1HP削れるかどうか」
 曰く、カンストさせれば、魔王より強力な天災クラスの隕石群を受けても、受けるダメージは1ぐらいらしい。そこまで上げなくても良いのかも知れないし、それだけポイントが余ってるなら、攻撃力やスピード、魔力にも振った方が良い気はする。だが、転生先で特に頑張りたい訳でも、何なら世界を救う気もない。
 「なら、全振り一択だろ」
 たくろうの言葉に、女神が、鼻から溜息を漏らした。表情も、隠してはいるものの、軽蔑の様相が浮かび出ている。だが、女神にとっても仕事は仕事らしい。鼻息ひとつで再び笑顔を取り戻した。
 「|魔法防御力<マジックレジスタンス>はどうします?」
 現実世界で魔法を受けた事はないが、ゲームなどでは物理攻撃と魔法攻撃のダメージは別種になっているのが普通だ。だが、それよりも、カンストまで振っても余っているポイント残高が気になった。
 「いや、何ポイントあるんだよ?」
 「服の精製とHPと防御力を差し引いて、残り32534ポイントですね」

 約140000ポイントもあったらしい。大盤振る舞いでも度が過ぎている数値じゃないのか。だが、これから先に行くのは異世界だ。そう簡単じゃないかも知れない。
 「結構あるな。じゃ、魔法防御に9999。てか、服の精製に1ポイントも使ってるのかよ」
 交換レートがいい加減過ぎる。そう思ったが、実はそうでないらしい。女神が言うには、どんな豪華な服であれ、宝飾品が付いていようと、重ね着していようと1ポイント。そう考えるとると、かなりお得な初期特典らしい。しかし、服飾の知識もセンスもないたくろうには、まさに豚に真珠だろう。
 「ちなみに、他の特殊スキルは100ポイントとか1000ポイント消費するものもありますけど」
 曰く、剣術や弓術のように特定武器の扱いが効果的になる武術スキルは100ポイントでレベル1、+200でレベル2、+400でレベル3、+800でレベル4、+1600でレベル5、+3200でレベル6と倍加していく。そう考えると、剣術に全振りしていれば140000ポイントもそこまで馬鹿げた数値ではない事になる。
 「先に言えよな。オススメはどんなのだ?」
 「タクロウさんは、さっきから口調が何かと無礼なので、話術スキルなどどうですか?」

 女神は淡々と答えた。
 「あんたも無礼だな。だけどまあ、あった方がいいか」
 無礼な事にはあまり自覚がない。何しろ十数年もの間、ヒキコモリ生活しているのだ。会話スキルなどある訳がない。実家暮らしで両親も健在だが、会話どころか顔さえロクに合わせない有様だ。話術スキルは必要と言える。
 とにかくこのスキルは説明を聞く限り、膨大な数があるらしく、きっちり説明を受けたらそれこそ8時間必要だ。しかも、考えながら割り振った後にもっと便利なスキルを見つけてしまうかも知れない。
 だから、女神に使えそうなスキルをピックアップしてもらう事にした。
 ヒットポイントMAX、防御力MAX、魔法防御力MAX、ステータス異常無効、即死魔法回避、自動回復、自ステータス確認、モンスターステータス目視、バフ効果+50%、|怪物遭遇<エンカウント>率調整、クリティカルヒット率UP、アイテムボックス拡張++、話術強化2、盾術レベル7、見た目装備、料理レベル4、幸運上昇レベル3、メモ機能[会話再生]、サバイバル知識レベル4、サバイバル技術レベル4、言語レベル6、初期所持金などなど、かなりの能力とスキルと、そして、スラリとした体型に、ハンサムな顔を手に入れたのである。
 それに加えて、防御力と盾術が規定値を上回ったらしく、「盾の紋章」が付与された。女神が言うには、世界に散らばる「能力者」の徴らしい。つまり、一個人が持つ能力としては強大過ぎるため、世界のパワーバランスを左右するキーパーソンに選ばれた模様。
 だが、たくろうは正直、面倒だな、としか思っていなかった。
 「それでは、転生を開始しますが、よろしいですか?」
 ポイントを全部使い切ったたくろうに、女神が問うた。
 「これ以上、細かい割り振りをするのは面倒だ」
 時計がある訳でもない謎の空間なので、正確な時間はまるでわからないが、体感では、かれこれ2時間は経過している。中にはそれを取った方がいいかも知れない、という幾つかの魅惑のスキルもあったが、それを考え始めると全部最初から見直す羽目になるのが嫌だったのだ。
 どういう状態で転生するのかはわからないが、少なくとも人里離れた山奥から開始しても、麓までは確実にたどり着けるだろう。町から始まったとしても、路銀はそれなりに潤沢だ。どうにかなるだろう。
 今までもそうだ。計画性や持続性がない。行き当たりばったりで、ロクな目に遭わないが、それでも案外どうにかなってきた。実際、10年以上ヒキコモリでも意外に暮らして来れた。いや、どうにもなってないかも知れないが、案外と死なない。いや、今はどうやら死んだらしいが。
 取り返しがつかない大概な事になっても、追い詰められても、実際に今は異世界転生して逃げ出せる。この世は捨てたもんじゃない。いや、この世は捨てても、異世界が拾ってくれるらしい。
 「そうですか。では、最後の確認です。よろしいですね?」
 女神が職務を思い出したように、凛とした声で問う。
 「ああ。また女神さんに逢えるかな?」
 新しい人生は退屈しないだろうか。ネットさえあれば、ヒキコモリはさほど苦痛じゃなかった。むしろ、退屈な人生がいいとも思う。別に世界なんか救いたいとも思わない。幼少期がないなら、いじめられる事もない。不思議とスムーズに話が出来た女神。好みのタイプではなかったが、女と話すのも悪くはない気がした。新しい世界でモテでもしたら、少しは変われるだろうか。彼女の1人でも出来てたら、話は違ったろうか。
 ほんの僅かな時間だったが、異世界転生という特殊な状況の付添人だった女神に、何らかの共感を覚えていたらしい。いや、久々に長時間話したからか。金髪碧眼巨乳と、たくろうの好みからは大きく外れていたが、それでも、また逢いたいと思ったのである。
 「ええ。あなたがこの世界での人生を終えた時に」
 女神の唇が笑う。だが、唇の形だけでは、その笑みの意味を汲みかねた。
 「その時はーーー」
 女神の瞳を見れば、その笑みの意味がわかるはず。そう思ったが、女神の顔は光の中に消えていった。そして、その眩い光が去ったかと思うと、TVでしか見たことのないような、ヨーロッパ的な丘が眼前に広がる。たくろうの知識的には「スイスっぽい」だ。
 「異世界か」
 ヨーロッパ風の丘の眼下には平原が広がり、川の流れを目で追うと、その先には石垣で囲まれた城下町が見えた。RPG的に言えば、最初の街、という事だろうか。
 たくろうはスキルを使い、自分のステータスを確認する。問題ない。HPは99999あるし、防御力もMAXである。女神の話は嘘ではないと証明された。
 これで道すがら野盗に襲われようが、モンスターと遭遇しようが殺される事はない。まだ安心は出来ないが、大丈夫なはずだ。
 その時、丘の向こうから悲鳴が聞こえた。たくろうは咄嗟にステータスウインドウを閉じて、悲鳴が聞こえた方を見る。
 そこには、こっちに向かって一目散に逃げてくる数人の成人と、
 「さっそく、、」
 初めて生で見る、全長3メートル越えの野生生物。ツノやヒレは見当たらないものの、四足歩行の巨大な爬虫類が姿を現した。怪物だ。まだまだ距離はあるものの、人間との対比で、それがどれほど怪物的であるかは明白だった。
 黄土色の皮。長い舌。無感情な眼球。
 「に、逃げっ」
 怪物に襲われたのか、逃げてきた男の1人が息も絶え絶えにたくろうに伝える。
 だが、たくろうは逡巡していた。素直にびびって逃げるか。だが、おそらく敵は雑魚モンスターだ。能力を確かめるには最適の相手に違いない。
  何人もの人が、たくろうに構わず逃げた。ちなみに、たくろうの方へと逃げて来たのは単に、道らしい草木の少ない場所だったからでしかない。
 逃げて来た最後の男が、たくろうに指示を出して来た。どうやら、逃げて来た数人に雇われていた水先案内人か何からしい。護衛か、用心棒と言ったところか。こいつだけは息も切らさずに、依頼人たちを逃がそうとしてる。それなりに手練れという事だろう。
 「おい、妙な服の兄ちゃん。逃げな。さすがに相手が悪い、こいつはーーー」
 親切にも、依頼人でもないたくろうへの指示。だが、たくろうはもう、決心を固めていた。スキルを発動し、巨大な爬虫類をターゲットする。
 「ファイアー・ドレイク。ドラゴン族としては最下層の雑魚だが、リザード族としては、ほぼ頂点に位置する平原の捕食者」
 ステータス的に見て、巨大で獰猛なドレイク「如き」の攻撃が通じる訳がない。本来ならば、ヘルファイアーの名を持つ毒が、その長い舌にあり、最も強力な攻撃手段となるが、チート能力が本当なら、毒は効かない筈だ。
 「あんた、冒険者の類か? 魔法使いか? 武術家でもさすがに無手で勝てる相手じゃない」
 用心棒と思われる粗野な男が言う通りだ。敵は人間の1人や2人は丸呑みしそうな怪物。おそらく、この世界の基準で言えば「小型モンスター」の類だ。だが、その小型モンスターでさえ自分より大きい。
 巨大な四足歩行のトカゲは、移動速度も恐ろしく速く、足音も立てずにグングンと近づいてくる。
 いくら体力が残っていようと、丸呑みされたら死んだりするかも知れない。怖い。どうなるかわからない。だが、たくろうの口から出たのは、
 「後ろに居な。俺が引きつける、弱点を狙え。眼だ」
 という言葉だった。実際のところステータスを確認していないが、用心棒よりも、能力を強化してあるたくろうの方が強くなっている。おそらく、用心棒の使う武器より、素手のたくろうの方がダメージを与えられるだろう。それぐらいには強いのだ。理論上は。
 「正気か?」
 用心棒が問いながらも、攻撃への決心を固める。依頼人たちを逃しさえすれば、いずれ何処かで逆襲する為の手を打つしかないのだ。ならば、囮になる存在があるほど助かる。
 「最初にしちゃ、ちょっとハードル高すぎる気はするけど」
 自ら囮となったたくろうは、試したい気持ちと、逃げ出したい本心の恐怖から動けずにいた。
 だが、用心棒にはそれが、堂々と迎え撃つ姿に見えた。
 「マジかよ」
 怖い、と逃げ出したい、と試したいの気持ちが交差するたくろう。
 「コイツの攻撃力は112。計算上はダメージなんか通るはずがーーー」
 念仏のように唱えるたくろう。ドレイクが眼前でターンし、野太い尻尾で素早く薙ぎ払ったのである。
 咄嗟に手を伸ばすたくろう。
 その掌が、人間の胴体より太い尻尾の攻撃を、止めた。
 「止めた!? いや、今だ!」
 用心棒は割り込むようにして、ドレイクの目玉から脳へと剣を突き立てた。意外にもあっさりとした勝利だ。
 「すげえよ、アンタ。ドレイクの尻尾を片手で受け止めるなんてな」
 動かなくなったドレイクから、たくろうの方へと振り返り、用心棒が言った。
 「・・・・・・」
 だが、たくろうは微動だにしなかった。
 「いつまでカッコつけてんだ? そこはアンタの剣もな、って褒めるところだろ?」
 用心棒が軽口を叩く。
 「・・・・・・」
 それでも、たくろうは指一本動かさないでいた。いや、動かせないでいた。声も出せない。
 ちなみに、受けたダメージはゼロ。HPは満タン。防御力が高過ぎて、尻尾の攻撃で吹っ飛んだりする事もない。だがそれでも、

 攻撃を受けた瞬間の激痛は、
 普通に感じていたのである。


 痛いなどという生易しいものではない。全身の骨が砕けたような激痛だ。死んだ方がマシな痛みと言うものが存在するならば、この事だろう。痛みだけで発狂しかねない。だが、ただ痛いと言うだけで、傷ひとつない。涙も出ない。ただただ、痛いだけなのだ。
 こうして、人知を超えるような激痛とともに、たくろうの冒険は今、幕を開けた。



無職おじさんが異世界転生したけど、痛いのは嫌なので防御力全振り盾の勇者レベルMAXから始める世界に祝福を! あるいは、悪役令嬢幼女の異世界下克上をスマートフォンとともに。



<オルタナティブ篇>



 眠っていた。これだけ深く、ゆっくり眠れたのはいつ以来だろう。たくろうが異世界に転生させられて以来、地獄のような日々が続いていた。
 防御力とヒットポイントに全てを注ぎ込んで、一切ダメージを受けない肉体でのチート転生。これでもう、人生は安泰のはずだった。
 だが、痛覚は常人のままだったのである。例え、魔王の放つ豪炎を受けても、ヒットポイントは一切減らない。熱で焼け焦げたりもしない。爆風で吹き飛ばされる事もない。
 だが、痛みや苦しみはそのまま感じるのだ。焼かれれば熱いし、刺されなくても痛いし、モンスターの攻撃を受けるたびに、死んだ方がマシな苦痛を味わう。死なないから、苦しみ続けなければならない。
 とても戦闘向けの能力ではなかった。完全な選択ミスだ。いや、痛みについて何の説明もしなかった女神が悪い。わかっていればこんな能力は選ばなかった。冗談ではない。
 だから、この世界でも引き篭もる事にした。幸い、持っている能力は防御力と耐久力だけではない。幾許かの路銀もある。
 普通に戦っても、雑魚モンスターぐらいなら、攻撃を食らう事もなく、簡単に狩れるだろう。それぐらいの強さはある。可能なら戦闘なんて2度と御免被りたい所だが、いざとなれば並の冒険者よりは格段に強いのだ。
 それ以外にも、手に入れた特殊能力を使えば、街はずれで細々と暮らしていく程度なら、そう難しくはない。
 それに、前世と違って面倒な法律もないのだ。少々危ない橋を渡っても、金を稼ぐ手段ぐらい見つけられる。
 例えばギャンブルだ。あるいはネズミ講でも宗教でも、詐欺そのものでもいい。警察の執拗な科学捜査がある訳でも、戸籍がある訳でもないのだ。犯罪であっても露見しにくいし、発覚したところで、それこそ遠くの街へ逃げてしまえば、見つけるのは困難になるはず。
 無論のこと、魔法がある世界だ。油断は出来ない。魔法が科学捜査や戸籍を上回る可能性も考慮すべきである。
 だから世界に馴染みながら、少しずつ上手なやり方を見つければいい。
 そう思っていた。いや、その考え自体は間違いではなかったのだ。
 たくろうが「盾の紋章」を持つ勇者でさえなければ。
 見つけられてしまったのである。この世界におけるパワーバランサーの頂点とも言うべき存在。そう。「剣の勇者」御一行に。
 勇者パーティーへは、事実上の強制参加である。自分が剣の勇者に勝てない事は、ステータス確認のスキルを使うまでもなく、感覚でわかった。後でこっそりと能力を使って確かめたが、勇者の一撃は、たくろうに明白なダメージを与えられるのだ。無論、剣の勇者の渾身の一撃でさえ、たくろうを殺す事は難しい。おそらく勇者パーティーを相手にしても、たくろうを殺すのには一晩かかる。
 だが、たくろうの心を折るには、たった一撃で充分だ。何しろ、防御力カンストのたくろうにさえダメージを与えられる勇者の攻撃力である。死んだ方がマシどころか、死んで転生してまた殺されてまた転生するのを20回繰り返した方がマシであろう激痛が身体中を駆け巡る。
 だから、たくろうには剣の勇者に協力する以外の手はなかった。それも、パーティーの肉の壁役として。
 そこからは、地獄の日々だった。戦闘の前衛として、攻撃を受けるためだけの囮。
 ちなみに、この世界のパワーバランサーとも言える剣の勇者に、サポートなんか必要ない、と言えばその通りである。たくろうなど利用しなくても、剣の勇者に勝てる相手など、魔王以下数名。この世にはほとんどいない。
 そう。この世には。
 勇者御一行の敵は、もはやこの世界に止まらず、別次元からの侵略者になっていた。剣の勇者と言えども油断は出来ない。その囮役がたくろうなのだ。
 辞めたい。逃げたい。死にたい。殺して欲しい。何でもいいから解放されたい。それがたくろうの望みだ。
 イジメを受けていた前世が生温く感じる拷問のような日々。何度も逃げ出そうとした。何度も辞めさせてくれと懇願した。だが、駄目だった。たくろうは世界を救うための生贄、死なない人柱となったのだ。
 気が狂いそうな毎日だが、いつまで経っても気が狂わない。それもそのはず。たくろうには「ステータス異常無効」の特殊スキルが常時発動しているのだ。だから、気が狂いそうな苦痛を何度味わっても、正気でいられる。いられてしまうのだ。
 隙あらば逃げ出そうとした。だが、無理だった。盾の紋章を持つ肉体は、同じく紋章を持つ剣の勇者には存在が感知できる。
 戦闘中に働かない、裏切る、そんな手段も講じた。しかしそれも、状況を悪化させるだけだったのだ。
 問題は他の紋章持ちである「ことわりの魔女」と、「白の聖女」の存在である。いわゆる紋章持ちだ。この2人の女が、ある意味では剣の勇者以上の脅威だった。
 たくろうには圧倒的な魔法防御力がある。激痛苦痛を除けば、こいつらの魔法など効くはずはない。
 表面上のルールでは。
 そう。攻撃魔法ではダメージを受けない。これが表面上のルールなのである。状態異常魔法も効かない。それこそがルールの穴なのである。
 敵の攻撃による爆風では微動だにしないたくろうでも、味方の、補助魔法による空中浮遊には抵抗出来ない。敵の念動力では1ミリも動かせないが、味方からの念動力なら自由自在に動かせてしまう。
 敵による睡眠魔法では眠りに落ちる事もないが、味方の癒しの魔法では、一瞬で眠らされるのである。
 たくろうが剣の勇者への協力を渋り始めてから、2人は天敵となった。
 確かに、たくろう自身に魔法は効かない。だが、魔法によって生成された鎖はたくろうを縛る事が出来る。そして、ルール上で補助魔法と見做されてしまうと、何の抵抗も出来ないのだ。
 勇者への協力を拒んだ瞬間から、たくろうの存在は、「盾の勇者」から、物理的な「盾」に成り下がった。
 そして、少しでも苦痛を和らげ、安らぎを与えてくれる手段を持つ2人には、もはや靴を舐めてでも媚び諂うしか、打てる策がなくなったのである。特に、痛みを和らげる魔法を持つ白の聖女には、どれほど侮蔑の目を向けられようと、平身低頭従うしかない。
 いっそ狂えたら、どれだけ楽だっただろう。もはや、意思を持つだけの「盾」となったたくろうは、異次元からの脅威との戦いが、1秒でも早く終わってくれる事を願うだけである。
 内心に叛意がない訳ではなかった。強敵を相手に、手に入れたステータスポイントから、いつか脱出する為の手段を模索し続けた。有効なスキルや、必要な能力を得続けた。おそらく、これほど真剣に考えたのは生まれて死んでまた生きて、初めてだ。
 だが、下手を打てば立場はさらに悪くなる。確実に勇者一行を出し抜く一手を得るまで、行動は出来ない。
 それに、連中に絶対服従さえしていれば、さすがは勇者一行だ。美味い飯と酒にはありつける。
 もう、プライドも装いも人権もあったものではない。たくろうは石畳に額を擦り付け、剣の勇者に懇願した。協力するから、自分好みの女をあてがってくれ、と。
 一行からは更なる侮蔑の眼差しを向けられたが、もはやそれだけが生き甲斐だ。もうどうでもいい。苦痛に耐え忍ぶには、それしかなかった。
 あてがわれた奴隷の子の肉体でストレスを発散する。そうして、狂いそうで狂えない毎日を過ごした。
 本当なら、ストレスで奴隷の子を何十人と殺しているであろう勢いだったが、勇者の監視下でそれを行えば、もう奴隷を与えてもらえない。だから、ただひたすら性欲を奴隷の子に吐き出すことで、苦悶の日々を耐えるしかなかった。

 それから二年の月日が過ぎただろうか。たくろうには、二百年にも感じる激痛の日々。
 世界を救う旅は、あっさりと終わりを告げた。
 異次元から送り込まれた「鋼の獣」には苦戦を強いられたが、異次元の皇帝の使者を通じ、和平交渉の場が用意されたのである。
 そして、和平は成立したらしい。
 たくろうは、勇者一行として、講和成立の宴に呼ばれた。そこで用意された恐ろしく美味い飯をたらふく食い、全てから解放される喜びと美酒に酔い痴れた。
 この痛みの日々から解放される。たまらない喜びだ。
 だから、深く眠っていた。いつ以来であろう、深く、安らぎに満ちた眠り。
 疲労と苦労と解放と。肉体が液体になったかのようなまどろみ。目覚めたら、奴隷の子にありったけの性欲をぶちまけたい。
 これまでの財産は剣の勇者に管理されていたが、さすがに幾らかの報奨金は貰えるだろう。それで新たに奴隷の子を数人買って、ひたすら隠遁生活をしたい。
 いや、あまり期待はするな。また新たな敵が現れたとか言って、肉の盾にされるかも知れないのだ。とにかく今は、解放と微睡みを。
 恐ろしいほどに静かな、眠りを。
 静かだ。静か過ぎる。白の聖女に静寂の補助魔法を掛けられた時のような静けさだ。あの時の怪物の金切り声は、防御力にも状態異常にも関係がない厄介な攻撃だった。あの静寂の魔法には助けられた。白の聖女は間延びした声も腹黒い性格も豊満な体型も、全てが気に入らない女だったが、助けられた場面が多数あった事も事実だ。
 理の魔女も気に入らなかった。2人とも、剣の勇者に惚れている。気に入らない。それに、あの侮蔑の目。たくろうがまるで汚物以下であるかのような目を向けられた。
 2人とも、まるでたくろうの好みの女ではなかったが、あの2人から能力を奪い、拘束し、犯し尽くしてやらないと気が済まない。
 無論、そんな日が来ない事は理解している。肉体にも精神にも、絶対に勝てない事を刻み込まれている。だが、2人を屈服させる妄想によって、性欲よりも嗜虐心だけで、下半身が隆起するのを感じた。
 その瞬間、ちりりとした、しかし強烈な痛みを覚える。
 「どんなに下劣な夢を見てるのかしら?」
 ころころと鳴る鈴のような声が、頭上から聞こえる。突然の痛みと違和感に、肉体が目を覚ます。
 何年も恐ろしい体験をしてきた肉体が、更なる危険を感じ取ったのだ。
 「誰だ」
 そう短く怒鳴る。だが、たくろうの肉体は、見たこともない色で輝く鎖で、両手両足を拘束されていた。
 両腕は天井に、両足は石畳に。
 「誰だかわかる? 当ててみて?」
 声の主は、眼前にいた。明らかに小さくて細い身体を、綺麗で豪華で繊細なベルベットのドレスが大きく見せていた。
 少女だ。年の頃は小学生から中学生ぐらいだろうか。色白で、顔立ちも整って美しいが、豪華なドレスには不似合いな地味顔である。端整ではあるが、しばらく見なかった東洋系の顔立ち。一言で言えば、たくろうの好みの顔立ちだ。
 しかし、その美しいながらも淡白な顔は、豪華なドレスに劣らないだけの威厳と迫力を持っていた。
 「この世界の、皇帝・・・!?」
 リコ・ストンウェル。たしか、そんな名だ。リコと言う愛称から、リカルドやリカールという男を想像していたが、違う。この少女こそが異次元からの侵略者の黒幕だ。その威圧感は、剣の勇者の比ではない。
 「ぴんぽ〜ん♪」
 少女は、屈託なく無邪気な笑顔を見せた。
 「でも、正解をあげるにはまだ遠いかな?」
 少女が、うっとりとした表情で続けた。
 「どういう事だ?」
 「ずっと見てたの。貴方のこと。ずっと、ずーっと」

 なんという嬉しそうな声。なんと歓びに満ちた表情。蕩けそうな愉悦で、少女は身体を震わせた。恍惚という言葉は、その表情にこそ相応しい。
 「貴方はもう、3度もチャンスを不意にしたの。だから、こうなった」
 少女のころころとした可愛らしい声が、感極まって震えていた。
 「わからないでしょうね。おぼえてないでしょうね。だからこうなってるの。上坂拓郎さん」
 たくろう、いや、上坂拓郎は全身の体毛が痛いほどに総毛立つのを感じた。今の名前の発音でわかる。この少女も、転生者なのだ。拓郎と同じ世界からの。
 「石井りこ。この名前で思い出した? 思い出せない?」
 拓郎は全身から脂汗が吹き出るのを感じる。石井りこという名前に覚えはない。覚えはないが、おそらく間違いない。
 「さすがに、長岡美憂ちゃんは覚えているでしょう?」
 りこが、声のトーンを落として告げ、拓郎はそれを受け入れた。
 「・・・ああ」
 「そうよね。美憂ちゃんの名前は何度も何度も何度も何度も、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、ずーっとニュースで流されてたものね」

 長岡美憂。そして、石井りこ。石井りこの名前に覚えはないが、獲物の1人である事は間違いない。
 「美憂ちゃんの名前を覚えてるのはニュースで流れたから? それとも、

初めて殺しちゃったから?」


 りこの声が、狂気を孕む。
 「それは・・・」
 言い淀む拓郎。犯して殺してしまった少女の名前など知る訳がない。行き当たりばったりで、計画性などなかったのだから。単に、無防備な少女を陵辱できる機会に恵まれただけなのだ。
 「そうよねそうよね? 犯して殺した女の子は3人。殺して犯した子が1人。犯した数は56人。事件として立件されたのは22人。性的なイタズラとして発覚してないのが117人。その56人のうちの1人なんて、あなた、覚えてるわけがないもの。そうでしょう?そうでしょう?」
 少女は歌うように罪状を読み上げる。
 「わたしのこと、忘れられないようにしてあげる」
 そう言って、ドレスに左手を差し込み、見覚えのある四角くて薄い物体を取り出す。
 「スマートフォン?」
 「そう。わたし、自殺しちゃって。貴方と同じように転生する時、手に入れたのが、このスマートフォンよ。コレがあったお陰で、私は皇帝の座まで登りつめられた。びっくりするぐらい簡単にね」

 嬉しそうに告げながら、今度はドレスから右手で小さなナイフを取り出す。
 「じゃーん♪ 防御力MAXの貴方に、こんなちっぽけなナイフが刺さるはずはない」
 そう言ったが先か、りこは拓郎の身体を斬り付けた。
 ぞぶりと、ナイフの切っ先がいとも簡単に拓郎の肉体を裂いた。そして、それはまるで強敵だった鋼の獣の攻撃のような激痛を伴っていたのだ。
 声にならない声をあげ、苦悶で暴れ回ろうとするが、鎖がそれを許さない。
 「このスマホで操作できるのは、世界を構築する『システム』そのものなの」
 少女が操作したのは、そのナイフに付与されている「属性」そのものだ。属性を「物理」でも「魔法」でもなく、「防御力無効」に変更したのである。
 「それも、感度3000倍。好きでしょ? 3000倍」
 げらげらと、りこが初めて品のない悪い方をした。
 「安心して? 自動回復はちゃんと機能してるし、この程度の傷はすぐ治るわ。私の気が済むまでいびり倒したら、ちゃんと殺してあげる」
 りこは、これまでに世界を操作して、農民の娘からわずか数年で皇帝の座を手にしていた。そして、スマホの機能で拓郎の存在を監視し続けていたのである。
 地獄の苦しみを味わっているのを見て、忘れて生きようかとも思ったが、少女を買って犯したのを知って、復讐を決意した。さすがに世界をコントロールできるスマートフォンを持ってしても、別世界の操作までは出来ない。だから、事件の扉を開き、生成した「鋼の獣」を送り込んで餌にした。
 りこにとっては、剣の勇者と同格の獣を生成するぐらい造作はない。だが、欲しいのは拓郎の死ではない。むしろその逆、拓郎の生である。だからこそ、苦戦させて、拓郎の身柄を交渉の材料にしたのだ。
 剣の勇者はあっさりと条件を飲んだ。当然の結果だろう。だって、盾の勇者が子供をいたぶって犯す時にしか発情しないクソ変態ペド野郎だ、という情報を流して孤立させたのは、りこ自身なのだから。
 「それに、心配しないで。わたし、優しいから、腹が立った時ぐらいしか貴方を傷付けたりしないわ。それどころか、貴方が望むものも与えてあげる」
 りこはそう言うと、意地悪な笑みを浮かべ、ドレスの裾を、挨拶するかのように上品に持ち上げた。
 「この下、何も履いてないの」
 少女が、秘密を打ち明ける熱を帯びた声で囁き、そのままスカートを持ち上げる。その言葉に正しく、少女の細い脚が、白い肌が露わになる。
 りこの眼が、情欲を孕んでいるように見えた。いや、間違いなく、この少女は興奮している。誘っているのだ。わかっている。間違いない。この少女は誘っているのだ。甘くて蕩けそうな罠に。
 ゆっくりと挑発的に晒されていく素肌へと、拓郎の視線は否応なく釘付けにされ、少女性愛者の習性で、下半身が鎌首をもたげた。
 その時である。
 激痛が走った。これまでに受けた苦痛の中でも最大級の痛みが、陰茎の先端に集中して走ったのである。
 信じられない痛みだった。それもそのはず、
 「おちんちんが反応したら、キュウリみたいにすりおろすシステムを構築したわ。もちろん、感度3000倍で。自動回復は残してあるから大丈夫よ」

 「殺す!」


 拓郎は絶望の中から、一縷の望みを託した。隙を突き、これまで耐えてきた中で得た、あらゆるスキルと知恵を集結させ、「無詠唱魔法」での「念動力」で少女の手からスマートフォンを奪い取ったのである。
 一瞬の出来事だった。
 物体の摩擦を減らす魔法、時間錯覚の魔法、そして念動力。この重ね掛けは全て無詠唱魔法だ。
 2年間の苦行の中で身に付けた。途轍もなく強大になっていく敵を相手に、長々と呪文を唱えていては間に合わない。だから、小さくても確実に効果を発揮する無詠唱魔法を鍛錬し続けた。ひとつは、怪物どもの攻撃をわずかでも軽減するため。そして、もうひとつは好機さえ訪れれば、剣の勇者どもの首を刎ねるためだった。
 それが、ここに来て役立つとは。
 するりと少女の手から落ちたスマホは、吸い寄せられるように拓郎の手に収まった。
 ーーー勝った!
 世界の理を自由に操作できるスマートフォンだと。馬鹿げている。その馬鹿げたモノを手中に収めたのである。
 「ガキが・・・舐めてると潰すぞ・・・!」
 このクソガキだけは特別な目に遭わせてやろう。初潮を迎えてるかどうかは知らないが、「理」を操作してやろう。何度も犯して、その度に妊娠させてやるのだ。すぐに出産させ、また妊娠させてやる。娘を産ませて、すぐに成長させて、娘を目の前で犯してやろう。成長させた娘の前でも犯してやる。息子も産ませて、息子にも犯させてやる。
 何しろ、このスマホさえあれば、全ては思い通りなのだから。
 ーーーだが、手の中のスマートフォンは反応しなかった。
 「知らないの? スマホは2段階認証よ? もしかして、パスワードとか設定しない方? それに、この世界に来た以上、貴方の能力なら自由に設定できるわ。わざと残しておいてあげたのに、腐ったロリコンの根性は直らないのね」
 そう言ってりこは、拓郎の手からスマホを優しくもぎ取る。とんでもない力だ。おそらくはあらゆる能力がカウントストップに達している。いや、カウントストップという概念さえ操作されているのかも知れない。
 最初からわかっていたのだ。どんな小細工も通用しないほどの能力差があると。
 「言わないの・・・? くっ、殺せ・・・! って」
 少女は耳元で囁き、楽しそうに踵を返した。
 「殺してあげないけどね」
 拓郎の冒険は、ここで一度幕を閉じる。もう死ぬまで苦しむだけの毎日なのだから。

 白い部屋だ。眼は見えていない暗闇だったが、光や温度は感じる。暗いけれど、眩しさを感じるのだ。
 男の声は、吐き捨てるように言った。聞こえている。
 「ようやく容態が安定したよ」
 「お疲れ様でした、先生」

 女の声がしみじみと言う。聞こえてはいる。いや、匂いもある。独特の匂いだ。何の匂いだろう。
 「連続幼女強姦殺人事件の容疑者、上坂拓郎。警察の聴取から逃げ出し、トラックに轢かれて瀕死の重傷。こんなのが運ばれて来るなんてな」
 拓郎は自分の名前を呼ばれた事に気付く。
 「そんな悪人でも助けるのが医師の仕事です」
 先生。医師。この匂い。そうか。病院か。
 「死んで罪や罰から解放されるなんて、許されない。生きて罪を償うべきだ」
 助かったのか。よくわからない。
 「そうですね。だから、『生かした』んでしょう?」
 「そう。『ジョニーは戦場へ行った』のようにね」

 何だろう? 何か聞き覚えのある名前だ。
 「眼は見えませんけど、鼻と耳には反応がある。口は、喋る事も食べる事も出来ない」
 「そして、痛覚は残ってる。生きてる肉だよ、キミは」
 生きてる肉?
 「診断書には、意識不明の昏睡状態と書いてあるわ。もう警察の聴取から逃げる必要はないのよ」

 「逃げる方法もないけどね」
 痛みを感じる。何かされたんだ。
 痛い。痛い。苦しい。だけど呻く事も出来ない。
 そうだ。そうだった。
 拓郎は、現実世界で死ぬまでの記憶を思い出していた。そうか。だからあんなに防御力が欲しいと願ったのか。
 そして、それからどれぐらいの時間が経過したのか、拓郎は死んだ。
 女神の声を聞いたのは、その後だったのか。
 「いいえ。合ってますけど、それは2度目の出来事ですね」
 頭の中に、いつかの女神の声が聞こえる。
 「今から思い出してもらいますけど、異世界転生は2度目です。2度目の世界でも、ようやく死を迎えたんです。そしてコレから、3度目を生きる事になります。その前に記憶を消しますから、また似たような人生を辿るのでしょうけど」
 まるで覚えてないが、最初の転生とやらも、ロクな死に方をしなかった事は想像に難くない。
 「今から、3度目か。あと何回あるんだ?」
 「タクロウさんが更生したとしても、残り17回ですね。異世界でも復讐者を生んでますから、増え続けていますけれど」

 溜息交じりに、女神が告げる。
 「まったくクソみたいな人生だ」
 ロクでもない環境にさえ生まれなきゃ、こんな事にはならなかったんだ。ロリコンになりたくてなった訳でもない。汚らしく下劣で下品で低俗な女どもに欲情する方が狂ってるだけだ。拓郎に言わせれば、悪いのは世の中の方だ。
 「そのクソに汚される側の気持ちが、まだまだわからないんですね。馬鹿は死ななきゃ直らないなんて言いますが、貴方の人間性は何度死んだら直るんでしょうね」
 何度死んでも終わらないなんて、まったくクソみたいな人生だ。



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 なお、この先にはアレしか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。