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自分を確立するもの

不覚にも感情が揺さぶられて涙が出るアラフィフの私。
何かの琴線に触れた時、自分の軸がブレブレになり、
私は一体何に喜びを得て生きてきたんだろう、
これから何を生きがいに生きればいいのだろうと立ちすくむ。
多分、毎日何かのタスクやノルマに追われている時には想いに浸る
余裕の1ミリもなかったことが、自分と向き合う時間ができると心が病むのです。

1人を楽しめる人と1人でいると病む人。

違いは何だろう、と思う時、
その人が抱えている トラウマ なんじゃないか
と思うのです。
親兄弟を心配したり、他人軸で生きるのではなく、
思いっきりわがままに自分を生きれていたかどうか。
遡れば幼少期くらいから超自己中時期にちゃんと愛され、チヤホヤされ、
大事にされてきたか。
やりたいことやしたいことをちゃんと自己主張できて親に応援されたかどうか、信じてもらえたかどうか。
何より、幼い頃に、親や周りの大人に見守られながら1人で没頭して何かの遊びや練習に集中できて、それを全面的に肯定してもらえ、関心を持ってもらえて、作品を褒められたり。そういう自己肯定感を高められる機会と環境があったかどうか。
子どもの没頭力ってすごいと思います。
そして没頭できるということは、ちゃんと睡眠をとって、
栄養が取れていて、健康であること。

没頭=好きで夢中になること

勉強であれ、スポーツであれ、芸術であれ、人の評価云々の前に
まず自らが没頭してのめりこむことがどこまでできるか。
究極の没頭力がその人の軸となり道になる。
だから親ができるのは、何かに夢中になっていることを全面的に見守ること。
つまり、余計なことをしないことじゃないでしょうか。
余計なこととは、夢中になっている我が子に
過干渉、否定、邪魔はもちろん、自分の思い通りに動かそうとしたり、
支配したり、過剰に期待したり。

さて、それを思うとき、私の中の不安定さは、「親」が起因しているのは自覚しています。幼少期の頃から、夜中に父は飲み仲間を連れて我が家で2次会、3次会。当然寝ている幼子の私。酔いがマックスになると起こされて酒の席に座らせる。或いはうるさくて目が覚める。だからおそらくあまり眠れていない幼少期。
それに、何か夢中になってもいつもあーだこーだと言われる。
せっかく夢中になっていた習い事も転勤の度中断させられて何も身に付かず、
何でも中途半端。

こういうぐだぐだとした暗いことを更年期になって瘡蓋が開くみたいに思い出して可哀想だった自分に涙するのです。
思春期と同様、心のバリアがブレブレで弱い。

若い頃の不摂生は40、50の中高年になってから健康被害が出る、と言いますが、
幼少期、思春期に抱えたトラウマは中高年になってから精神疾患として出る、のではないか、と感じています。健康についてのことはよく見聞きしますが、心のことについてはまだ論じたり警鐘を鳴らす専門家は少ないように思います。

自分のことでいっぱいいっぱいの20代、
我が子のことでいっぱいいっぱいの30代、
そして子が巣立ち、親の介護が気になり出す頃、
親とのトラウマを抱えているとホルモンバランスの崩れのせいもあって
とても苦しい気持ちを抱えます。
そんな時、没頭力が自分を助けてくれるのです。
好きなものを何か一つでいい、やり続けてみると闇の中に一筋の光となってくれると思います。

私は今、油絵を描いています。もう2年が経ちました。
どんどん夢中になっている感覚が嬉しい。自画自賛でいいのです。親の評価や世間の評価なんかどうでもいい。自分の自己満足の世界。

昔学生の頃描いた油絵を父に貶され、ゴミ扱いされ、美術系の大学を否定された私は、今実は本当にやってみたかったことにハマっています。
誰の許可も批評もいりません。
人生は生き直せる!
生き直せる時間をもらえて何て幸せなんでしょう。

日々是感謝  羊




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