シェアの意味が逆転した世界で生きていく。

ここ数年で《シェア》という言葉の意味が逆転したように思います。

それまでシェアといえばマーケットシェア(市場占有率)を意味するところが多かった気がします。でも最近では『分かち合う』とか『共有』の意味でシェアを使うほうが多いのではないでしょうか。

ひとつの市場をどれだけ多く独占するかというシェア。

ひとつの事柄を分かち合い、共有するというシェア。

ふたつは両極端。まさにシェアの意味がここ数年で逆転しています。そんな激動の世界で、どう生きていくのか。その変化に遅れて淘汰されないよう、自らも対応していく必要があるんじゃないかと思います。

個人的には、2011年に会社員としての生活を思いきって辞め、それまでのつきあいや所有物を限りなくゼロに近いほど断ち、ここ数年で全国を旅しました。

自分の目で見て、感じたものを信じて。自らの興味の赴くままに出会った偶発的な出来事とご縁を頼りに。そして、この数年の集大成として、自分が死ぬまで楽しく暮らせる家となるよう《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》を立ち上げました。

いまでは自分なりにシェアの逆転に対応してきたかな、と思います。そしてこれからも時代の変化に即応できるよう、多様な人や情報が集まるコミュニティの場に自分を置き、アンテナを張っていきます。

だからこそのギルドハウス十日町。そこを拠点にしながら、あちこちに旅できるよう、いつもだれかしら家を見てくれる共同生活の場にしています。また、いつでもだれでも来ていいように住み開きをすることで、いろんな人たちが旬の情報を運んできてくれるようにしているわけです。

そして、ギルドハウス十日町で得られた情報や人とのつながりを頼りに旅して見聞を広めて。あとはゆっくりのんびり。しばらくはそんなソーシャルな《住み開きの隠居生活》。自分ができうる時代の変化への対応の仕方です。

みなさんは、どうやって変化に対応していきますか?

よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。